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幸せは小さなところにある

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お金を持っていた時に、稼いでいた時に気づけなかった小さな幸せや思いを綴っています
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#自分

ファミレスにいて、昔と今を思い出した話

近所のガストはいつも空いている いつも行くわけではない。本当に家で何もできないと思った時に行くのだ 家族で行ったファミレスの話私の思い出のファミレスといえば、ジョイフル 関東、特に東京には少ないからか印象が薄いけれど、ガストやバーミヤン、デニーズといったよく見るお店よりもずっと思い出深い 親の運転する車に乗って、少し遠くに出かけた時、帰り際にいつも寄るのがジョイフルだった。もしくは、ローカルのうどん屋さん 私にとって外食とはいつもチェーン店で、ローカルなお店に行くと

空っぽな自分が空っぽなままでもいいと思えるように

「今の私は、もともとあったものが欠けてしまって空虚な状態なんです」 と私は言った。上野の好きな喫茶店で。 空虚さを感じるようになったのはいつぶりか独立してからしばらくたった頃、私は知り合いのデザイナーに連絡した イベントなどに参加した時に使う名刺のデザインを考えてもらうためである 彼と私は、かつて一緒に働いていたことがあり、今はたまに連絡する関係性。私と彼はたしか10歳以上離れていたと思う 著名なデザイナーのところでしばらく彼は働いたのち、以前の職場で一緒になり、今

はじめての商工会議所に行く

今日は、独身孤独フリーランスの私が初めて商工会議所に行った話をします。 YouTube をみて商工会議所を思い出すYouTube でサトマイさんが起業初期に商工会議所にお世話になっていた話をされていました。 当時、私は適応障害で抑うつな気分の中、その話に少し勇気づけられていました。 サトマイさんを嫉ましく思う気持ちも正直ありましたが・・・ 適応障害でしばらく休んだのち、体調が戻ってくると、次第に活力が戻ってくるようになりました。 その頃から「会社に復職するのは難しい

家財売却で生活費を稼ぐ

今日は家財を質に出して、生活費を稼いだお話をしようと思います。 ほんまに落ちぶれたなと思いながらやりました。 家に物を蓄えていた年収1,000万円時代当時は、「自己投資だ」と思って様々なものを買っていました。 最新の家電もそうだし、趣味性の強いものも買ったりしてました。 正直、そこまで使わないものまで、即決して買ってしまうことがカッコいいと思っていたし、自分のためになると信じていました。 当時、一人暮らしながら新宿区の1LDKの家に住んでおり、家賃は17万円越え。

実家に帰ったら負けなような気がしてしまう

今日は、実家に戻ってしまいそうになる自分の気持ちの話を書いてみます。 ホームシックなど縁のない年収1,000万円時代大学進学を機に家を出て、一人暮らしを始めた私ですが、 この今までホームシックというものには縁遠い生活をしてきました。 実家にいる時から、部屋にこもって何かしていることが多く、通学時間も長い少し遠くの学校に通っていたこともあり、 家族とは少し距離があるのが当たり前でした。 特に仕事をし始めてからというもの、多忙を極めていたこともあり帰省の頻度もまちまちに

幸せにも分散投資を考える

さて今回は私の年収と幸せの話をしようと思います。 かつて私は年収1000万円の時期がありました当時の内訳をお話しすると、おおよそ給与でもらっていた金額が全体の7割ほど。 それ以外の個人での取引が3割ほどという感じです。 個人だけでも年間 2〜300万円ほどはこの数年、収入がありました。 ただ、年収が上がるにつれて生活レベルも上げて、自分にプレッシャーをかけるような生活をしていたために、 実際に溜まった貯金は100万円ちょっと。 働かないと生活できないから働けるし、