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松永涼のアイドルになるまでを整理

タイトルの通りです。
松永涼がアイドルになる前、バンド活動をしていた事やお嬢様であったことはご存じの方が多いと思います。
しかしながらその中における情報は非常に断片的なため、一度整理したいと思います。

1.お嬢様時代(幼少期?)

まずはお嬢様時代について。

「アタシはさ、物心ついた頃から歌うのが好きで」
デレステ「ストーリーコミュ61話 あらかねの器」
「歌うのだけは、ガキの頃から好きだし、自信もあることなんだ」
デレステ「R松永涼 ホームセリフ」

公開されている情報の内、最も古い時代の情報はこちらで間違いないでしょう。
物心つく年齢というのは勿論個人や環境によって異なりますが、おおよそ3,4歳と言われています。
その頃から松永涼は、既に歌が好きでした。

「昔話だが……今でこそこんなカッコしてるが、昔はお嬢サンだったんだぜ。意外だろ。」
「聞くのはクラシックの交響曲ときたもんさ。」
デレステ「イベントコミュ 純情Midnight伝説第4話」
「昔はお嬢様だったって話は、プロデューサーサンにはしてたっけ?おしとやかに、清楚に、礼儀正しく……。
型に押し込められての暮らしは、そりゃもう窮屈でさ。」
デレステ「[アンデッド・ダンスロック]松永涼 特訓エピソード」
「昔、小さなヤツにちょこっとね。飽きたとかじゃないよ」
「ほら、パーティーって華やかなトコだからさ、気後れするんだよ」
「あとは……礼儀正しくおしとやかにってのが、どうにも窮屈でさ」
モバマス「リフレッシュルーム オトナになった貴方と素敵なパーティーと…♪」
「あぁ、思い出すなぁ…子どもの頃はミサ曲なんかを聴いてたなって」
デレステ「[ロッキンヴォーカリスト]松永涼 ルームセリフ」

松永涼はお嬢様として生まれ育ちました。
また当時からクラシックやミサ曲に触れていることから、音楽家の家系であったり、教育や一般教養としてそれらの手ほどきを受けた可能性があります。またリフレッシュルームでの発言から上流階級の生まれだと考えてまず間違いないでしょう。何度か出てくる礼儀正しくお淑やかに、という発言からそういった上流階級の場に出たときに本人も家も恥をかかないように身に着けたと考えれば、音楽も教育の一貫と見てまず間違いないと思います。

しかしながら、お嬢様としての生活は本人にとって余り心地の良いものでは無かったようです。再三出ているように、堅苦しい、窮屈、型に押し込められ、という表現からそれが伺い知れます。
また自身の時間もあまり無かったという発言もあります。

※ゲームを普段するかという話の流れ
ありす「もっと小さいときも?」
周子「だねー。あたしの家、案外厳しかったからさ。老舗の和菓子屋だし」
涼「アタシんとこも、まあ似たようなもんさ。あんまり自分の時間はなかったな」
デレステ「イベントコミュ 夏恋-NATSU KOI-第4話-」

そこで彼女は、お嬢様生活に対しての反抗を始めます。
松永涼のもう一つの原点となるロックバンドです。

「そんなアタシを外に連れ出してくれたのが、歌なんだ。
ちょっとした反抗のつもりでロックに触れて、その自由な心に憧れた。
自分もこんな歌を歌いたいって思った。」
デレステ「[アンデッド・ダンスロック]松永涼 特訓エピソード」

松永涼は恐らく、ロックのような大衆音楽を禁止されていた、または制限されていたのかも知れません。そうでなければ特定ジャンルの音楽を聴くことが反抗になるという発想は出てこないでしょう。
当初は反抗のつもりで、教育として与えられるクラシックなんて聴きたくないとばかりに触れていましたが、次第にロックの精神、自由な心に憧れを持ち、バンドを始めるに至ります。

2.ロックバンド時代

ロックバンド時代の始まりです。まずロックバンドの情報について整理しましょう。

「アイドル…って、アタシこれでもバンドのボーカルやってるんだけど。」
モバマス「松永涼 プロフィールセリフ」
「ちょっとならギターも弾けるよ」
モバマス「松永涼+ マイスタジオセリフ」
「今、ステージにはアタシ独りだ。ギターもベースも、ドラムもいない。」
デレステ「松永涼とのメモリアル4」
女性A「……はは。アツいなー、涼のヤツ。」
女性B「そんなの、ウチらが一番よく知ってるだろ。」
女性C「……うん、そうだね。知ってたから、言えたんだ。歌い続けなって。」
デレステ「松永涼とのメモリアル4」

松永涼はバンドで担当していたのはボーカル。ギターも弾けるという発言から兼任していた時期があったかもしれません。
メンバーは全員女性のガールズバンドです。松永涼のセリフから、それぞれギター、ベース、ドラムを担当していたと思われます。
もしかしたら途中メンバーの入れ替わりがあったかも知れませんが、余り男性と出かける経験が無かったという発言もありますので、男女混合で活動していたことは無かったと考えていいでしょう。


次にロックバンドの活動についての情報です。

「前にバンド組んでた連中と話してたんだ。「アタシたちは既製品にはならない。とことん自分らしくいく」って。「ショーウィンドウに並んでる、大衆受け狙いの連中みたいになりたくない。パンフにプロフィールなんか載せるのはゴメンだ」って。で、生のLIVEのこだわってみたものの……結局、全然ブレイクできなかったんだけどな。」
デレステ「松永涼とのメモリアル3」
「アタシが作詞作曲した歌、今度聴いてくれよ、プロデューサーサン!」
モバマス「[ロッキンヴォーカル]松永涼+ マイスタジオセリフ」

「歌だけじゃないぜ。作詞も作曲もひとりでやれる。いつか、ファンに披露してやりたいね!」
モバマス「ぷちデレラ Lv11~20 ぷちTOPセリフ
「このLIVEハウス…。この小屋はさ、アタシが昔、よく歌ってた場所なんだ。懐かしいね。あの壁には今でもまだ…当時のアタシのとがった音が刻まれてる気がするよ、なんてね。へへっ」
モバマス「[ロッキンヴォーカリスト] 松永涼プロフィールセリフ」

バンドは活動方針として生のバンドに拘り、ライブハウスを拠点とした活動が主だったようです。活動していたライブハウスは、アイドルになってからロッキンヴォーカリストにて再度訪れることになります。
また松永涼自身は作詞作曲をすることが出来るため、バンド時代に演奏していた楽曲は彼女が手掛けていたものの可能性があります。(確定ではない)

また松永涼がアイドルに対しての強い偏見を持つようになったのも、バンド活動中に言われた下記の一言が原因です。

「アイドルの歌が下手だなんて……偏見、だったよな。昔、アイドルとしてやっていけるルックスがないから、バンドやってんだろ、みたいに言われたから……つい、さ。」
デレステ「[SOUND A ROUND]松永涼+ 親愛度600セリフ」

しかしロックバンド活動をしている人に対してアイドルになれないからバンドやっているんだろうという発言は余りにも的外れですが、それすら頭が回らないほど当時の松永涼はいっぱいいっぱいだったのではないでしょうか。

確定情報では有りませんが、松永涼がバンド活動をしていたのは高校時代だと推測されます。またバンド活動に力を入れていたためか、学生時代の話の思い出らしい話は余り出て来ず、ネガティブな印象が多いようです。

「アタシは、ずっとバンドばっかやってたしな。ガッコーセーカツとか、あんまり思いでないんだよな」
デレステ「イベントコミュ Nocturne第2話」
「体育祭とかは苦手だったのに。今になって団体競技が面白いなんてさ」
デレステ「[Nocturne]松永涼 ルームセリフ」


次に興味深いことに、バンド時代の松永涼の経済事情についてです。
これはお嬢様時代の対比のためか、貧乏で生活に余裕のない描写が多く出てきます。また多くの情報がお嬢様情報が公開された後に出ています。

「ここで歌ってた頃はさ。歌うためにバイトしてクタクタになって、先のことなんて何一つ分かんなかった」
デレステ「[ロッキンヴォーカリスト]松永涼」親愛度100セリフ
「これは、昔バイトしてたライブハウスが原因なんだ。そこで何度も観せられたせいでさあ。ほら、ライブハウスって、客入れ前や終演後に、掃除したり片付けとかするだろう?そういう時に、店長がフロアのモニタで流してたんだよ、ホラー映画をさ。
CD「CINDERELLA MASTER 047 もーっと目指せ!シンデレラNo.1!」
「……せめて水だけでもなんとかなればな。バンドで貧乏してたころは、水だけでも何日か耐えてたもんだけど……」
デレステ「イベントコミュ 夏恋-NATSU KOI-第2話-」
「バンド時代は食うだけで精一杯だったしな」
デレステ「イベントコミュ 夏恋-NATSU KOI-第4話-」
「ほら、バンドってさ。楽器だけじゃなく……ハコ代とかCDとか、自分たちだけでやろうとすると、とにかく金がかかるんだ。勿論衣装代もね」
デレステ「[Joker]松永涼 特訓エピソード」
最初に買ったギターはセール品で今でもちゃんと手入れしているらしい
デレステ「松永涼のウワサ②」

夜遅くまでライブハウスでバイトをして、バンド活動に必要なお金は自分で稼いでいたようです。Jokerでの発言にもありますが、楽器、衣装、ハコ、CDだけでなく生活費も自身で全て稼いで賄おうとすると相当な金額が必要になるのは想像に難くないでしょう。ギターもセール品を購入しています。
(その時の物と思われるギターは[セトルダウンソウル]松永涼にて見ることが出来ます。)
またライブハウスでのバイトがきっかけで松永涼はホラー映画に興味を持ち、アイドルデビュー以降の白坂小梅との交流に繋がります。

3.バンド活動の終わり

「アタシたち、オープニングアクトだったし、どうせ他のバンドを観に来たんだろうと思ってさ。ごめんね。はは……こんな気持ちで歌っても、いい歌なんて届けられるわけないよね。……分かってんだよ。メンバーはみんな、こんな売れないバンドを諦めようとしててさ。今日のLIVEも全然盛り上がらなかったし……。」
デレステ「松永涼とのメモリアル1」
「でも、歌い続けるって意志だけは一人前で……。意地でも届けるって思いながら、どこか不安でさ。楽しかったけど……苦しかったな。」
デレステ「[ロッキンヴォーカリスト]松永涼 親愛度100セリフ」

結局のところ松永涼のバンド活動は目が出ることなく、他のメンバーからも諦めの声が出てきます。
松永涼は家を抜けて、バイトして、曲を作って、必死に努力してきた今までがあるので容易には諦めきれなかったようです。
しかしバンドは自分一人で出来るものではなく、メンバーそれぞれの人生もあります。
最終的にはメンバーの後押しもあり、バンドを解散してアイドルデビューする決心を固め、スカウトを受けて事務所を訪れます。

以上が松永涼がアイドルデビューをするまでの経緯です。

4.気になる点

ここからは個人的解釈を多く含みます。

松永涼のアイドルになるまでの過程を整理する上で気になった点が2つあります。

1.「昔から望んだものが手に入らないことが多くってね」

上記の発言はイベントコミュ純情Midnight伝説4話での発言です。この直後に元お嬢様発言がありました。そちらのインパクトが強いためか、こちらの印象は薄れがちではないかと思います。

松永涼の望んだけれども手に入らなかったものと言われると、真っ先に思い浮かぶのはバンド活動の成功です。前述の通り、相当な努力をして生活を切り詰めてバンド活動に捧げても、売れないバンドボーカルに終始していました。

しかし、"多く"という点が気になります。他に松永涼が望んで、手に入らなかったものは何なのでしょうか。"昔から"というとその対象はお嬢様時代含めても良さそうですが、松永涼がお嬢様時代に何かを欲していたという発言は一切ありません。

「アタシは手が掛からない……いい女でいたくってね。」
デレステ「イベントコミュ 純情Midnight伝説 第4話」

さらにこの時、上記の発言をしています。
このような性格になったのは、望んだものが手に入らなかったから、だそうです。

松永涼は実際アイドル活動をしていく上で、大きく何かに躓いたという描写も手が掛かるという描写も非常に少ないです。唯一挙げるとしたらNocturneイベントにおけるグラビア撮影でしょう。その時はグラビアのお仕事で他のメンバーは元モデルの高垣楓を始め、そういった撮影を得意とするメンバーでした。
そのため自身の撮影の成果と他のメンバーとを比べ、出来に悩んでいました。

ここでポイントとなるのが、Pには相談していないという点です。
松永涼が最初に相談したのは新田美波で、後から登場した高垣楓にアドバイスをもらって答えを見つけています。
同様に先日行われたJokerイベントでも松永涼は第5話まで悩んでいることを打ち明けていませんでした。打ち明けた時はPも居てその場でアドバイスを送っていましたが、舞台演劇の稽古終盤となると遅い気がします。

松永涼はJokerイベントのように他のアイドルに対してアドバイスを送る立場になることも多く、誰かに弱みを見せたり相談をしたりという描写が非常に少ないです。モバマスに限ればほぼ0と言っていいでしょう。
何事もなく仕事をこなすことが出来るのであればそれに越したことはないですが、Pとのコミュニケーションを余り取らず、隠し溜め込んでしまうといつそれが爆発するか分かりません。
アイドルマスター全体で見れば、アニメ版アイドルマスターにおける天海春香や如月千早も同じように自身の中に溜め込み、一度崩れてしまいました

松永涼がそうならないよう祈っていますが、やはり心配です。

2.両親・家族の話が一切出てこない

表題のとおりです。松永涼はお嬢様時代やバンド時代についての話が出てきますが、その中に両親を含む家族の話題は一切出てきません。
シンデレラガールズ全体で見ると家族の話をするアイドルは必ずしも多いとは言えませんが、幼少期とも思える過去の話をしているにも関わらず両親の話題すら出てこないのは奇妙です。

例えば8年以上前から夫婦喧嘩が絶えず、破綻寸前だった如月千早ですらFランクコミュの時点でPにそのことを話しています。
お嬢様として何でも与えられる生活が気に入らず、親や兄を押しのけてアイドルになった水瀬伊織もお兄様やパパとして話題にちょくちょく出てきます。執事や飼っている犬の名前まで出てきています。

この件に関して、情報が一切ないため推測でしかないのですが、以下のことが考えられます。

・我儘でバンド活動をして迷惑をかけてきたことが恥ずかしい
・バンド活動を応援してもらっていたのに失敗したことが後ろめたい
バンドを始めた時期が不明ですが、18となり人によっては社会に出る時期ともなれば分別がつき、ある程度の現実が見えてきます。
勢いに任せて自分はなんてことをしてしまったのだろう、親にどんな顔をして会えば良いのかわからない、と思っていて連絡をとっていない可能性すらあります。
バンド活動に肯定的だった場合はなおのこと。
反抗した自分を受け入れ、夢を追うことを許してくれたにも関わらずそれが達成できなかったとなれば、一層後ろめたさは強くなるでしょう。
バンドの末期の焦りも、両親に迷惑をかけ続けてきてこのまま自分の夢を追いかけても良いのだろうかという葛藤もあったかもしれません。
気になる点で挙げた「手のかからない女でいたい」という発言も、この時の自分を恥じての発言だとしたら理解できます。結果としてPに対して迷惑をかけないようにと相談しなくなったのでは本末転倒な気もしますが。

・バンドを始めるために家を出たことで絶縁状態になっている
娘に厳しい教育を施すような、他の家にどのように見られるかを気にするほどの名のある家であれば、松永涼のような存在を恥として切り捨てていても不思議では有りません。松永涼はその件に怒りを感じて、自身の中でも無い存在として扱っているのではないでしょうか。実際如月千早は僅かながら元通りになると期待はしていましたが、話題に上げるときは常に不機嫌でした。

松永涼は東京出身なので実家で暮らしながらバンド活動をしていたのは、水だけで生活していた時期もあるという発言から無いと言っていいでしょう。反抗しているとは言え実の娘が水だけで生活することを肯定するような家庭環境であれば正直反抗どころの話ではないです。

また実家と絶縁状態になっている場合気になるのは事務所とアイドル活動に関して契約を行うことです。未成年である松永涼は契約を結んでも向こうになります。
先程挙げたようにバンド活動にも肯定的であったのならば問題有りませんが、絶縁状態になっていたらそう簡単ではないでしょう。虐待などで親権を剥奪され、親類縁者が裁判所より未成年後見人として十分な素質があると認められればこの問題はクリアできますが。

・両親と死別している

悪意のある考え方ではありますが、既に両親或いはどちらかが他界している可能性もあります。
前述の「昔から望んだものが手に入らない事が多かった」「手のかからないいい女でいたい」という発言も、反抗していたとはいえ大切な家族に迷惑をかけたまま死に別れてしまったとしたら、このような性格になったのにも説得力があります。

他にも様々な可能性が考えられますが、一旦ここで区切りと致します。
公式からのさらなる情報に期待しています。

5.最後に

以上が松永涼のアイドルになるまでの過程です。
時系列順に簡略化すると、
1.歌が好きという原点
2.幼少期に型にはめられた生活を強いられることに嫌気が差す
3,反抗のためにロックを聴き始める。
4.次第にロックの自由な心にあこがれてバンドを始めることを決意
5.バンドを始めるも一向に上手くいかずバンドメンバーも諦めを考える。
6.アイドルにスカウトされる。
となります。

今回調べてみて、やはり松永涼のこれまでに関する情報は思いの外少なかったです。お嬢様時代はともかく、バンド時代に関しては最初期の頃から話題に上がっていたにしては足りないように感じました。
アイドルマスターはそもそもアイドルになってからの物語なので、過去のことを集中して描く必要は無いという考えもありますが、やはり松永涼はアイドルになるまでの過程を一つの個性、アイデンティティとして持つ存在ですので、どこかでまた展開され、区切りをつけて欲しいなと思います。

また今回の記事で松永涼について気になった方が居ましたら、是非松永涼について調べて見てください。
既に松永涼についてご存じの方が居ましたら、松永涼の過去に関する考えをお聞かせくださると幸いです。