自分じゃない他人になろうとしても意味なかった
こんばんは、真惠子です。
昨日の記事の続き。
私がなぜ、変わろうとしてたのか。
ずっと自分が嫌いだったのに、その原因に目を向けず「変わったら好きになれる」「こんな私だったら好きになってもいい」等々の言葉で自分をがんじがらめにして「変わらないとだめ」ってなってたことが原因の一つだと思っています(原因の一つ、と言っちゃうってことはまだあるのな?脳め・・)
自分で呪いかけてたんだよな~、と今は思う。
自分が嫌いな自分を認めたくない、から始まるとろくなことがない。
というより、事実を正しく認識しなければ始まるものも始まらない。
事実を正しく認識することができなければ、どんどん迷路にはまってしまう。迷路の中で、別の物に手を出すから余計に迷う。
そしてどこから出たらいいのか。前に進むことも後ろに戻ることもできない。
でも進まないといけないから間違った道をどんどん進む。
そんなイメージです。怖いでしょ?怖いよね。
私も話には聞いてたけど、まさかー自分がーそうだとはー、というより、そうだとはーの中でもやばいレベルでそうだった、と思う。いや、もしかしてまだその途上?とも思うけど笑
自分をまず好きにならなければ何も叶わない。それは確かにそうなのだけれど、偽りの好きでは意味がないのよねー。
それを正しく言っている人と、それを正しく見抜ける人って世の中にどれだけいるのだろう。
本人が困っている原因を見抜けて、それを伝えられる人。
でも伝えられた人は痛いところをつかれるから嫌なんだろうな。
私もどん底の時にいたら人の話聞けなかったかもしれない、でもそんなこと言ってくれる人もいなかったね。(この現状どうよ)
人生の迷路に迷っている人は、元の道に戻る方法はある。
時間が経過しているから同じ道には戻れないけれど、本筋に戻る方法はある。
それはうちのお師匠様が理論だてて体系化して、実践してくださってます。
(こっそりいうと、私もこの理論を勉強しているのでモニター募集もしてますw)
でも、素直さは必要です。
私みたいに余計な回り道しないようにね。
できれば早く本筋に戻ってね。
戻れる手助けはできると思います。
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