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Studio Visit : Hicham Benohoud

3月8日の朝、マラケシュ市街地にあるスタジオを訪ねたのは、モロッコを代表するコンテンポラリー・アーティストのひとり、ヒシャム・ベノフード。1968年マラケシュ生まれの彼は、現在はパリ、カサブランカ、マラケシュを拠点に活動しています。ベノフードに関する記事や作品イメージは、北アフリカの現代アートシーンの情報を探っていると本当によく目にするので、いかに彼が発展めざましいモロッコのアートシーンにおいて重要な人物であるのかをうかがい知ることができます。

最初のアポイントを取ってから、彼とは何度もインタビューに向けてメールのやりとりを繰り返してきたものだから、実際にお会いすると何だか照れ臭くて、でも「やっと会えたね」という初対面らしからぬ親しげな挨拶ができました。スタジオでの会話はgoogle translate を介して行ったのですが、これが、思いのほかうまくいった気がします。自分の言語で話すことでより詳細な表現が可能になったのかもしれません。日本語→英語は相変わらずなので、僕の方の英語力をもっと磨かなきゃではありますが。

とにかく自分が好きな作品について、作家本人から聞けるのはなんて貴重で、素晴らしいことなんだろう。これは先日神戸で大好きな写真家である横浪修さんとトークイベントをさせていただいた時にも感じたこと。極度のあがり症なうえに、アーティストという存在に対して崇拝に近い感情を抱いてしまう僕にとって、彼らとの会話はときに苦痛さえ感じてしまうのですが、こうした感動を味わえるから続けられてるのかなと素直に感じました。

とにかく今回もとても興味深い出会いとなりました。僕にもどうなるかわかりませんが、今から編集が楽しみです。

以下は、僕が取材前にアーティストについてリサーチした(と言ってもネットで記事を集め解読しただけの)ものですが、コンセプチャルな写真作品が好きなひとに、ちょっとでも興味を持ってもらえると嬉しいなと思い共有します。

モロッコはカサブランカ出身のアーティスト、Hicham Benohoud(ヒシャム・ベノフード)は1987年にファインアートの学士を取得した後、画家を目指しますが生計を立てるまではいかず、マラケシュにある地域のアートスクールで、造形美術の教職に就きます。教師としての仕事に違和感を感じていたベノフードは、間も無く教え子たちを被写体(というより共同制作の方が表現的には近い)写真プロジェクトの制作を開始します。

“The Classroom”と名付けられた、彼の処女作でありシグニチャーとなっている作品シリーズは、1994年から開始され彼が教職を離れフランスに渡ることになる2002年までの間に制作されました。

彼は、自身がいつも教壇に立つ教室という空間を、あたかも劇場のような、現実と切り離された場所に変容させました。教師と生徒という師弟関係をそのまま劇監督と俳優に置き換え、その密かな演技は月に2、3度のペースで密かに執り行われました。その作品の数はおよそ100点以上に登ります。教職を離れたベノフードは、フランスで初めてこの作品を展示した際に出会ったGallery VUのギャラリストの目に留まり所属アーティストとなりました。ここから彼のアーティストとしての輝かしいキャリアははじまり、現在ではフランスのトゥールコワンにある国立の現代美術スタジオLe Fresnoyで写真を教える教員職に就きながら、モロッコ・カサブランカのLoft Art Galleryの所属アーティストとして創作活動に取り組んでいます。

1998年以降、フランスではポンピドゥセンターグラン・パレパレ・ド・トーキョーでの展覧会を成功させ、ロンドンのヘイワード・ギャラリー、デュッセルドルフのクンストパラスト美術館、ブリュッセルのリール宮殿美術館、そして東京は森美術館、ニューヨークのthe Aperture FoundationEuropean House of Photography、ロンドンのテートモダンなど世界各地の権威あるギャラリーや美術館で作品を発表しています。

以下はMilleというウェブマガジンにあったベノフードに関する批評を翻訳してみました。

“51歳のモロッコ人アーティスト、ヒシャム・ベノフードは、常に“現実”というものに対し心を捧げてきました。そしてそれは、なぜ彼がもともと画家としてキャリアをスタートさせたにも関わらず、結果的に写真を選択することにしたのかを理由づける事実でもあります。「即時性というものに、重要性を感じます」ベノフードはそう口にし、いかに彼が現実を再現することに疲れてしまったのか、また彼が文字通り現実を捉える手段として写真へと傾倒していったのかを説明しています。

彼の「ランドスケープ」シリーズ(モロッコの荒野に自作の彫刻作品を設置)は、我々が知覚している現実の中にある幻想を模索します。少し抽象的で前衛的な考えにも思えますが、彼はこう言葉を添えます。「私たちは、世界は美しいものだと言われてきましたが、一方(本当のところ)は、もっと腹黒いものですよね」

ヒシャムの作品(各国の著名な美術施設で展示されてきた)は、彼のまっすぐな眼差しと観察によって描かれるモロッコ社会の複雑性と内部構造で評価を受けています。

彼が教員だった頃に学生たちを被写体にし、写真家としてのキャリアをスタートさせたベノフードの作品は、次第にポートレイトへと向かいます。あるシリーズではリビングルームでロバを撮影したりしていますが、彼の25年のキャリアのほとんどは、人間が被写体となっています。そのあいだベノフードはカサブランカに住みながらも、モロッコ南部のマラケシュやアガディールへと週末の旅に旅行を繰り返しています。「砂漠の幻想的であたたかい黄土色に完全に心を奪われていました」ベノフードは、風景への憧憬を打ち明けるように言葉にします。

しかし、ベノフードはこのサイエンスフィクション的な砂漠の景色を表面的なアプローチで捉えることを拒みます。事実、写真家がインスピレーションを求め得たのはこの空虚な空間でした。砂漠とは別の不確かな社会の中に。

大地の上にこのコンセプチャルな舞台をつくりあげるため6ヶ月を過ごしたあと、ベノフードは私たちが世界において知覚する物事に対し、問いかけ続けることを決意します。「私は視覚的な幻想を生み出します。モロッコ社会における矛盾に光を当てたいんです。なぜなら、私たちは世界は美しいと教わりましたが、コインの反対側はしばしば辛辣なものですから」

感情的には、情熱を持ってモロッコという国を見つめていますが、ベノフードの望みは、人々に問いかける視点を持つこと。フィルターを外し、私たちの人生を疑いの視点を持って生きることなのです。”

ちょっと翻訳が難しい部分もありましたが、彼の作品について知るには十分かと思います。

また、Tateウェブサイトにベノフードの初期作品“The classroom”についての批評がありました。今回のインタビューでは、特にこのシリーズ作品についてお話をうかがいたいと思っています。なぜなら、教師だったベノフードが初めて取り組んだシリーズであり、後にこの作品がフランスのVU galleryのギャラリストの目に留まり、彼の長いアーティストとしてのキャリアをスタートさせたからです。僕にとってもやはりこの作品への興味がありますし、何しろ一枚一枚の写真に惹きつける何かを感じてしまうからです。

“マラケシュで美術教師として教壇に立っていた時期、1994〜2000年の間に制作された、およそ100点以上に及ぶモノクロームのゼラチンシルバープリントによる集合作品「The Classroom」。プリントは3エディションとアーティスト所蔵の一点である。

ベノフードは教室を舞台に学童たちを巻き込み、パフォーマティブなアプローチでプロジェクトを進めた。子供達はそれぞれ異なる身体的な制約(ポーズや動作)を与えられる。さらに彼らの手足や体につける装飾も用意された。その装飾には、棚や箱、ワイヤーや壊れた鏡、そして大きなロールペーパーや布地が採用された。それは子供の心理を映しだすようでもあり、また子供の遊びと暴力のはざまを生み出す劇場を思わせます。

丁寧に仕立て上げられたいくつかのイメージでは、ある子がシュールな操り人形を演じるあいだ、他の生徒は熱心に授業を続けています。ある時は、装飾品や装身具によって打ち首されたり障害を負った状況を作り出し、またある時は、まるで空間的な広さを強引に変化させるように、教室の天井から布やテープが吊り下げられています。

身体を拘束され縛られる子供たち、そのイメージの中には教室の窓が入らないように写されている。また照明の使い方は子供たちを生きた彫刻へと変形させるための重要なファクターでもある。

ベノフードの作品に見られる“パントマイム”や“空間的制限”といったイメージは、フランス人哲学者ミシェル・フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰』への言及とも取れる。

この作品では、写真家は通りかかって偶然に決定的瞬間を捉えるわけではなく、彼の学童たちが演じる個と集合の間に拮抗する力関係を表す劇的場面を演出する監督を演じているのです。

写真家は被写体、そして観覧者の境界を取り払うことで、この作品シリーズはオーディエンスに享楽ととるか不快なものととるか、その姿勢を問いかけます。....(まだまだ続く)”

以上です。今日はこれからカサブランカで編集者と合流し、フェズ へと移動です。また!

Hicham Benohoud

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