母のふるさと
小さい頃、主に小学生6年生の頃まで毎年年一回、母方の両親の故郷に帰っていた。
当時住んでいた忙しく騒がしい東京の家とは真逆で、母親の故郷の家はゆっくりと静かで穏やかな時間が流れていた。
迎え入れてくれる祖父母や叔父はとても優しく、いつも笑顔で手を繋いで畦道を歩き、公園や駄菓子屋へ連れて行ってくれた。
自分の心の中に幸せな記憶として残すべき時間が、そこには常に流れていた。
ある夏休みには祖父が運転する軽トラの荷台に、いとこの3姉妹と僕の妹と一緒に、花火が綺麗に見える自分達の畑に連れて行ってくれた。
周りには僕たちしかいない、特等席で見る花火だ。軽トラの荷台にゴザをひき、スイカを食べながらみんなで見る。その後公園に移動して手持ち花火で延長戦をした。あの思い出は色褪せない。
あの頃は明るいうちは本当にお腹がちぎれるかと思うくらい思いっきり笑って走り回って遊んで、夜布団に入ったら一瞬で寝てしまうくらい遊び疲れていた。
そこで過ごす時間はあっという間に過ぎ、お別れの時はいつも泣いていた。
中学・高校になればみんな部活や受験で忙しくなり集まれなくなる。
大学生になればもう滅多に集まらず、社会人になったら仕事で忙しくて集まれない。
“あの幸せな時間よりも優先しなければいけないものはなんなのだろうか。”
たまに、そんなことを思ってしまう。
今日、久しぶりに母方の故郷を訪れた。
祖母は数年前に会った時からアルツハイマーが進行してしまい施設に入っている。
祖父は家にいたので会えた。
祖父には行くことは伝えていなかった。
「近くまで来て、顔を見たくて少し寄ったんよ。驚かせてごめんね。」
「おお。全然驚かないよ。こっちに来な。」
そう言って祖父は僕を受け入れてくれて、そして自分が小学生の頃とおんなじように話してくれた。
僕は祖父の話し方が今も昔も大好きだ。
優しく、柔らかく包んでくれる。
“じいちゃん”の言葉の使い方が大好きで、いつも同じように話したくて真似していた。
僕も祖父と同じように、この”優しさ””穏やかさ”を持ち、人に与えられるようになりたい。
小さい頃の帰り道と同じことを考えながら、当時両親や妹と一緒に通った高速道路を、自分で運転して帰った。
また、みんなであの頃のように集まりたい。
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