うつ病体験記17:仕事と遊びの感じ方
復職後も、しばらく浮き沈みが続いていた。
朝は調子が悪く、起きるのが辛い。
もともと朝起きるのは苦手なタイプではあるのだが、そういう辛さではない。
朝起きると、胸のあたりがずんと重く、喉が詰まる感覚を覚える。
日中の集中力もないことを自覚していた。
そんな自分を騙しつつ、頭を使う仕事をしていた。
それがとてもしんどかった。
答えが決まっているものややり方が決まっているものをやるのではなく、正解がなく仮説を組み立てながら最適解を導き出すのがもともとやっていた仕事だ。
合っているのかという不安
周りに変に思われないかという不安
自分にできるのかという焦り
こうした負の感情がもんもんと湧き出でてくる。
うつ病になる前にはできていたことができなくなっていることにも焦る。
以前なら瞬間的に「こうやろう」と導き出せていた課題。
復帰してからは10分経過しても考えが進まない。
アクセルをふかしているのに全然進まない空回りしたエンジンのごとく。
いくら掘っても埋めてくるサラサラな砂のごとく。
考えようとしても考えられない。
おそらく型が決まったルーティンワークであっても、苦戦していただろう。
1動作1動作考えながら、不安と戦いながら仕事を進めるので遅くなるし、迷っているうちに「次何すればいいんだっけ?」「今何してたんだっけ」と思いついたことが消えていくのだ。
うつで落ちこみ、できないことでさらに落ち込み、自分が嫌いになっていった。
自分のことが汚いと感じた。
幸いなことに、コロナ禍ということもあり、復職しても在宅勤務であった。
在宅勤務なら、あまり誰とも話さず自分のペースで仕事ができる。
その点はとても助かった。
しんどかったらベッドにダイブできる。
目を閉じて、毛布を被り、暗闇に身を預けられる。
一方で、狭い1ルームの部屋で1日中パソコンに向かっているのは、病気でなくてもきついであろう。
自分もとても辛かった。
そのため、緊急事態宣言が明けてからは、休日に遊ぶ予定を入れて気を紛らわせた。
「遊べるんなら元気じゃん」
そう思うかもしれない。
たしかに遊べる。
普通に話もできる。
一見うつ病になど全く見えないことがこの病気の嫌なところだ。
遊ぶことはできても、仕事となると考えられなくなるのだ。
だから、うつの人と会う時は、気が抜けるひとときなのだから、「え、病気じゃなかったの?」とか、「仮病だったの?」とか思わずに、「今こそ気を抜いてくれ〜」とか、「大丈夫だよ〜」とふかふか毛布にでもなったつもりで受け止めてあげてほしい。
実は、ひどい時は気の合う友人と会話することもできなくなる。
仕事の時と同じように考えられなくなり、会話するのにかなりのエネルギーを消耗する。
相手は●●と言っている。
自分は■■について話そう。
■■ってどう表現すればいいんだっけ?
話すには声を出すんだ。
こんな言語化するまでもない思考回路を、いちいち言語化して話し始めなければいけない感覚だ。
だから会話スピードが遅くなる。
相手の言っていることを理解するのに時間がかかる。
自分が言いたいことを言葉にするのに時間がかかる。
そして段々と目が回ってくる・・・
それでも、友人に気づかれまいと隠すので病気っぽく見えないこともある(と思う)。
調子が悪くて話すのにエネルギーが必要な時は当然のことながら、比較的元気なときでさえ、遊び終わって家に帰り1人になると、ドッと疲れが出る。
時には次の日も起き上がれないほどだ。
もっとひどいと、そこからの1週間何もできないこともある。
病気っぽく見えない裏で、無意識的にかなり気を遣っているのだろう。
それもまた、厄介なところである。
会話スピードが早い友人やマシンガントークの友人とでは、なおさら疲れる。
聞いていればいいだけの時はマシだが。
遊ぶにしても、自然の中で何も考えずぼーっとするようなことであれば良いのかもしれない。
寛解した今だから思う。
山や川、渓流などに連れ出して、ひたすら川の音に耳を傾けるだけのような遊びがいいのかもしれない。