うつ病体験記25:嬉しかった他人の対応
嬉しかったこと1:特別扱いしない
「うつ病の人」に慣れていない人に、「自分うつ病なんですよね」と言ったら、どんな反応をするだろうか?
憐れな目を向けるだろうか?
腫れ物に触るようだろうか?
「え!?」と慌てるだろうか?
それとも、「大変だったねぇ、休むことも大事だぜ〜」と思うだろうか?
自分がされて嬉しかったことの1つ目は、後者の対応だ。
特別扱いせず、憐れまれず。
寄り添いすぎることもなく、見放すこともなく。
親も仲の良い友達も、あとから出会った妻も、一人の人間として変わらずに接してくれたことが、今になれば嬉しく、ありがたかった。
逆にちょっと距離がある友達や利用されそうな人、マウントを取るような人とはさらに距離があくような気がして、あまり言えなかった。
そういう人とはそもそも付き合わないか、寛解してメンタルの調子がよくなってから付き合えばよいのだ。
八方美人で人に嫌われたくない性格の僕は、そう言い聞かせた。
嬉しかったこと2:そっとしておく
「まぁ元気出せよ!飲みに行こうぜ!」
うつ病のときにそうやって無理やり連れ出されるのはちょっと辛かった。
落ち込んでいるくらいのときならいいのかもしれないが、こちらはすでに病気だ。
気心しれた人とゆっくりした時間を過ごす。
そこにお酒がある。
こんな状態ならよいのだが、「まぁ元気出せよ!」タイプはだいたいガヤガヤした居酒屋に連れて行かれる(偏見)。
周囲からの刺激に敏感になっているときなので、ものすごく辛くなる。
その時は気力で乗り越えても、その後のダメージがでかい。
2,3日〜1週間くらいは何もできないほどになることもある。
その反面、あるがままにそっとしておかれたのは今思えば嬉しかった。
特に家族、実家での親の対応はありがたかった。
寝ていたければ寝かせておくし、散歩に出たい日は見守っててくれる。
話したいときには話してくれる。
きっと心配をかけたであろうが、そんな素振りも見せない。
本当はいろいろと聞きたかったかもしれないし、話したかったかもしれない。
いろいろと言いたかったかもしれないが、無理やり会話をするでもなかった。
気の赴くままにいさせてくれたことは本当にありがたかった。
嬉しかったこと3:たまに諌めてくれる
とはいえ、変な行動をすることもあるだろう。
・自分は違ったが躁うつ病なら躁状態のときにめっちゃ買い物しちゃうとか
・希死念慮が高じて死ぬことを考えてしまうとか
・ネガティブなことばかり考えてしまうとか
通常時では考えられない行動や考えを勢いでしてしまうのも、この病気の厄介なところだ。
そういうときは止めたり、諌めてくれた。
死んでしまっては何もならないから、とりあえず一晩待ってみさせてみたり。
怒ったり怒鳴ったりはしたらますます混乱してしまうから、周りは忍耐強く包容する必要があるだろう。
大丈夫、大丈夫、と。
ボーリングのガーター防止のバンパーのように、変な道にそれないようにしてくれたのはありがたかった。
あるとき、復帰したい自分と、復帰したらまたあの忙しさが待っているのかと嫌になる自分がいた。
そのとき、「まだ復帰するなという脳や体からのサインなんじゃない?」
と言ってくれて「確かに!」となった。
嬉しかったこと4:無理ない範囲で誘ってくれる
ある程度外出することも大切だろう。
気分転換にもなる。
親や友達や妻は、無理やり連れ出すとかもなく、でも誘わないわけでもなかった。
行きたくないなら行かない。
それでも味方でいてくれるという安心感を与えてくれる。
断るすきまを与えてくれたことが嬉しかった。
「元気なさそうだから誘わない」などと遠慮されている感覚もなかった。
合わせてもらっているなとは思うが、「疲れちゃっているんだから、休むことを第一優先」としてくれていた。
ある友達は、おいしいものめぐりや陶芸体験など、幸せホルモンが出るような場所に連れて行ってくれたりした。
ある音楽仲間は、演奏中にパニックになっている状況を察して気遣った配分をしてくれた。
ある先輩夫婦は、ゆっくりゆったりな環境の家に迎えてくれて、気ままにご飯を食べさせてくれて、飼っている犬と遊ばせてくれた。
普段の自分はなんともないことでも、うつ病のときの自分は布団から起きることでさえすごいチャレンジ。
そんな状態であることを知っててもなお、めんどくさがらずに「無理ない範囲でいいから」と誘ってくれる人たちの存在は本当に嬉しく、感謝だ。
嬉しかったこと5:全肯定
自分という存在を全部肯定してくれていると思う。
自分の存在意義とか存在理由とか、生きている意味とか、いろいろと求めがちだが、そんなのなくていい。
命そのものに価値がある。
仏教の教えの中に、
命は宇宙中の宝を集めたものよりも価値のある宝である
的な意味の言葉がある。
だから、生きているだけで素晴らしいのだ。
親や友達や妻はそれを体現してくれていた。
うつ状態のときはだいたいネガティブに考えていて、自分なんかだめだと思っている。
自己肯定感なんてゼロだ。
でも、自分の代わりに肯定してくれる。
休職し、退職したとき、母に「自分は負けたんだな、情けないよな」と漏らした。
母は、「そんなことないよ、波は誰にでもあるし、誰でも転ぶこともある。人生まだまだ長いんだから勝ち負けは決まってない。人生の最後に勝てばいい。そしてあんたは転んでも何かをつかんで起き上がる力があるから大丈夫。この経験も無駄にならないよ」
と、こんな感じのことを言って存在を肯定し、励ましてくれた。
母はなんと不思議なゆたかな力を持っているのか。
嬉しかったこと6:共感
過去ネガティブになって落ち込んだり、うつを経験した友達もいる。
うつ病の真っ只中にいるときに彼らは共感し、心の支えとなってくれて嬉しかった。
「こんな症状が出る」という話にも共感してくれた。
症状に共感してくれるのは、安心につながった。
自分だけじゃないんだ、と。
「ふわふわと浮遊感があり、船の上にいるのか地震が起きているような感覚になる」
酔ってしまうこの症状に悩まされていたときに共感してくれた友達は、
「それけっこう来てるから早く休め」
と教えてくれ、休職をする決め手の一つにもなった。
そして、このように共感できるからこそ、これは気の持ちようではなく病気なんだとも思った。
みんな似たような症状なので再現性があるし、休むことによって乗り越えられているのだから。
うつ病になったばかりで不安があったり、周りに共感できる人がいなかったりしたら、このNoteに書いてあることで共感できたり気が楽になってくれたら嬉しい。
うつ病になってから周りの対応で嬉しかったことを書いたが、自分は恵まれているなと実感する。
感謝の念がとても湧く。
他のうつ病の方で、家族に共感されないとか、変な目で見られるとか、気の持ちようと言われてしまうといった経験をSNSなどで見たことがある。
そういう投稿を見るたびにとても同苦するし悲しくなる。
実際に経験してみたりしないとわからない苦しさだと思うから、仕方のないことかもしれない。
でも、本当にこのNoteが少しでもそういう苦しい状況にいる人にとって役に立てるなら嬉しいな。
※今後他に思い出したことがあれば追加していくかも。