うつ病体験記28:うつ病になってプラスになったこと
僕が大切にしている言葉の一つに「すべてに無駄はない、無駄にしない」がある。
失敗しても糧にする。
「転んでも何かをつかんで起き上がる。」
これは母が好きな言葉で、失敗したときによく教えてくれる。
これはとても共感する。
経験したことはどこかで活きると思っている。
うつ病という経験も、人格に影響を与える大きな経験だった。
病というマイナス面ばかりではなく、プラスに活きているなと思うことを紹介する。
人への思いやりが強まった
もともと人から「優しい」と言われるタイプではあったが、うつ病を経験してからというもの、自分でも自覚するほど思いやりが強まった。
というより、苦しんでいる人を放っておけない気持ちだ。
特にネガティブな気持ちになっている人は、その先にどんな辛さが待っているのかがわかっている。
だからより親身に、話を聞けるようになった。
同調しすぎてこっちまで苦しくなってしまうこともあるが、そうか、そうかと共感をして相手が少しでも楽になってくれるならそれでいい。
辛い気持ちを吐き出すのには勇気がいるし時間がかかる。
だから、ゆっくりゆっくり待って聞く。
吐き出したいのだから、「こうすればいいじゃん」なんて意見を押し付けない。
相手が何を求めているのかを考えながらコミュニケーションを取る。
共感力が高まったので、思いやりが強くなったんだと思う。
小さい幸せを見つけて人生を楽しもうとする五感
もともと欲が強い方ではないが、今あるもの、今の幸せに注目して満たされるようになった。
「足るを知る」
この言葉は知っていたし、頭でも理解していた。
自分はできていると思っていた。
でも、うつ病になって、焦る自分、不安を抱える自分がいた。
足らないと思っていたのだ。
そこに妻が現れた。
「足るを知る」人だった。
「いいね!」
「それって●●でいいじゃん」
と、どんな小さいことでもプラスの面を見つけるのがうまい。
幼児や小学生は、「いいこと思いついた!」とよく言う。
大人にしてみたら大したことではないけど、彼らにとっては「いいこと」だ。
妻もよく「いいこと思いついた!」と言う。
これも大したことではないことも多い。
でも、小さないいこと、小さい幸せはそこら中に転がっていて、それを見つけられる目を持つことは人生を満足させるためにも大事なことだなと思った。
幸せとか楽しさとかはいつの間にか受動的にやってくるものだと思っていたのかもしれない。
幸せとか楽しさとかは主体的に発見する、つかむことが大事だ。
妻は、
ご飯がおいしいと幸せ
きれいな花を見ると幸せ
かわいいものを見ると幸せ
そして、ご飯のあと布団に寝転がると幸せ
何気ない日常にあふれる幸せをつかみにいっていると思った。
ご飯のあとに布団に寝転んで幸せを感じてそのまま寝てしまうことも多い。
(そのたびに無理やり風呂や歯磨きに担いでいく・・・)
一方、うつ病真っ只中の自分はこういう小さな幸せに注目できなくなっていた。
そのことに気づき、主体的に幸せを見つける訓練をして、その力を得ることができた。
他者比較思考が弱まった
人と比べる必要なんかない。
そんなこと、頭ではわかっていた。
うちの親は他の子どもと比べたりするような感じの発言は一切しない。
でも、社会はなにかと比較する。
自分でも、比較されているんじゃないかとか、他人の評価が気になっていた。
他人にどう思われるか不安でいっぱいだった。
だから努力をした。
「すごいね!」
「期待以上だね!」
そう言われたいから頑張り続けた。
でも、それって他人の人生を生きているんだなとある時思った。
人生は自分のものだし、誰も他人にはなれないのに、他人の人生のものさしで生きている。
これに気づいて、他の人と比べたり他人の評価を気にするのを辞めようと思った。
なかなか難しいが、それを可能にしてくれている存在がいる。
それも妻だ。
妻は、他人の評価を気にしているのかいないのか、本当のところはわからない。
理想や羨ましいと思う気持ちももちろんあると思う。
でも、あまり比較したり評価気にしている感じはない気がする。
というか、自分で自分を褒めることが上手なのかもしれない。
朝起きたら「えらーい」
洗濯したら「えらーい」
とよく言ってる。
「眠いのに頑張った私えら・・・」
とよく呟いている。
他人は他人ですごいけど、自分も自分で偉い。
そういうのは比較するものではなく、自分の尺度でいいんだと思った。
他人の目を気にすると、何をするにしても恥ずかしくなって行動できない。
大したことないだろうと思ってしまうこともあるだろう。
でも人には人の得手不得手がある。
だから比較しなくていいのだ。
仏教に「桜梅桃李(おうばいとうり)」という言葉がある。
桜は桜、梅は梅、桃は桃、すももはすもも。
他の植物にはなれないし、花を咲かす季節もそれぞれ。
それぞれが冬を耐えて春にきれいに咲く。
それと同じように、人もそれぞれ違うのだから、他の人になりたいとか他の人と比べてどうとか思わず、それぞれに合う努力(冬)をして、それぞれの花をそれぞれのタイミングで咲かせば良い。
的な教えだ(ったと思う)。
好きで大事にしている言葉の一つだ。
頭でこの話はわかっているし、他の人が悩んでいるときにこの話もする。
でも、自分ごととして落とし込みきれていなかった。
今はまだ完全に他人の目を気にしないなんてことはできないけど、少しずつ改善していっていると思う。
ちなみに妻はクイズ番組を見ているとき正解すると
「あったーまいいー!よっくでっきるー!」と自画自賛している。
さらに、「ねー!!!」っと強要してくる。
こうやって僕を使いながら自分を褒め称えて持ち上げているのかなと思った(笑)
感謝の心がとてつもなく強くなった
感謝の心はずっと強く持っていた。
うつ病前も、当然のこととは思わず感謝していた。
ゲッターズ飯田という占い師の公式ラインでは頻度高く感謝が大事的なコメントが届く。
そのたびに気を引き締めて感謝の心を持った。
しかし、うつ病を通してこの心がさらに強くなった。
感謝しても感謝しきれないくらいの大恩を、あらゆる人から得てしまったからだ。
親・家族は、たくさん配慮してくれた。
もうだめかもと泣いたとき迎えに来てくれたり、実家に住まわせてくれたり、そっとしておいてくれた。
妻は、いろんなことに気づかせてくれた。
うつ病中に出会ったし、他人だし、見捨ててもいいはずなのに、見捨てなかった。
友達は、気にせず振る舞ってくれた。
無理ない範囲で遊ぼうと誘ってくれて、ゆっくりじっくり付き合ってくれた。
周りに支えられているな、生かされているなと、本当に感謝が止むことをしらない。
この大恩をどうやって返したらいいのか。
日々模索している。
少なくとも、逆の立場とかにもしなったときには、ちゃんと返せるようになっておこうと決意している。
こうやってたくさん感謝できることは幸せなことだと思った。
感謝できることに感謝。
感謝の無限ループだ。
なんとかなるんだなと強気になった
「人生は強気でいけ!」
父が好きな言葉で、何かに迷ったときとかによく教えてくれる。
これも頭ではわかる。
でも実際は、
「いや無理無理!こちとらHSPなんで!」
となっていた。
でも、うつ病で絶望的になってもこうして寛解でき、社会復帰もできた。
頭が働かず考えもまとまらなかったのに。
お金に関する不安も消えず大丈夫かなと心配し続けていたのに。
自分はうつ病も2年くらいで寛解したし、家族や友人の対応にも恵まれてきている方だ。
でも渦中は真っ暗闇にいたことには代わりはない。
でも、生きてさえいれば、なんとかなるんだ。
そう思えるようになった。
そりゃギャンブルとか一世一代の賭けとか、自分の許容範囲を超えたリスクは取らない。
でも、仮に取ったとしても、生きていれば最終的になんとかなるんだなと今では思う。
取らないけど。