うつ病体験記19:なーんとーかなーるなーる
ここで、私のうつとの闘病をとても支えてくれた妻について記録しておきたい。
妻がいなければ今なお寛解していなかった可能性すらあるからだ。
妻とのことを書き、感謝を留める。
※少しのろけぎみかもしれないです。
奇跡の出会い
以前ちらっと書いたが、私は2019年の春先から身体中がかゆくなった。
背中はゴツゴツと蕁麻疹のようなものができ、かゆみと、かきすぎによる痛みで苦しんでいた。
さらに、2019年のGW明けには、働きたくないからか謎の高熱にうなされた。
インフルエンザなどでもなく、ただただ40度の高熱にうなされた。
救急車を呼ぶべきか判断してくれる人がほしい。
背中の蕁麻疹も誰かに薬を塗ってほしい。
そんな思いから(どんな思いだ)彼女がほしいと思い、マッチングアプリを始めた。
いつか機会があれば詳しく書くが、マッチングアプリには仕事で得たマーケティングスキルを駆使した。
ターゲットを明確にして文章や写真を考え、それに合う人から「いいね」をもらう。
うつ病で心療内科に行く前から始めたが、心療内科に通ったあとも続けた。
男性は課金するので、結局課金期間が終わる2020年3月ごろまでやっていた。
うつ病で苦しみながらも、知らない人と会う。
「本当にうつ病かよ!」と我ながら思うが、前にも書いたとおり仕事と遊びは別。
とはいえ、調子の悪い日は全然頭が働かないし話せない。
相性が合わない人だと話題を考えることができず苦痛の1,2時間を過ごす。
楽しい半分、苦しい半分だった。
もともとストイックな方なので、ちゃんと結果を出したいという思いもあった。
こういう自分を追い込む姿勢がだめなのだが・・・
1回目の休職をした2020年1月、辛さが増したため「もう見るのもやめよう」と思った。
そんなときにお互いのプロフィールに何回か足跡をつけあっていた相手が今の妻だ。
結局最後にマッチングしてデートした人もこの人。
うつ病を寛解に導いてくれたと言っても過言ではないのだから、マッチングアプリやっていて本当によかったと思う(笑)。
彼女と出会ったマッチングアプリはWithだった。
メンタリストDaiGo監修の相性診断ができるのだが、診断上そこまでマッチしているわけではなかった。
それもまた不思議な縁。
奇跡だ。
「ふーん、大変だねぇ」
初めて会ったのは3月中旬。
休職して3ヶ月目のことだった。
初めて会う気がしないその女性とは、最初からある程度オープンに話せたと思う。
太陽のようにニカニカしているその人は、保育士という職業柄なのか、子どもと話すような優しさで接してくれた。
「右と左が苦手なんだよねぇ」
「車の運転苦手なんだよねぇ」
「アクセルとブレーキ、踏み間違えそうになるんだぁ」
アホな話をしつつも、保育士という好きな仕事に誇りとやりがいをもち、大変な中でも自分自身を等身大で生きている姿に尊敬し、安心した。
そしたら自分もいつの間にか「うつ病で休職している」ということを話してしまっていた。
マッチングアプリで婚活中の人にとって結構重たい事実のはずだ。
それでも彼女は
「ふーん、大変だねぇ(´・v・)┌」
と、まるでさくらももこのアニメにでも出てきそうな口調で答えた。
「私の姉もそうだし、だいじょぶだいじょぶ〜あはははは〜」
なんだこの人は・・・
うつであること
他人の目を気にしている自分
他人への見栄
こんな小さなことを気にしている自分がアホらしくなるくらい、あっけらかんとしている。
うつであることを伝えるとだいたい重く捉えられる。
自分も逆の立場ならそうだろう。
初対面なら特に接し方に迷うだろう。
でもこの人は違った。
そしてその日から毎日のようにLINEするようになった。
支えられていることに感謝しつつ同棲提案
緊急事態宣言が出たので、次に会ったのは2020年6月だった。
何回かデートを重ね、7月に付き合い始めた。
最初に出会ってから4ヶ月後だ。
その間も、うつ病であることは知っているし気遣ってくれるけど、全然気にしていない様子だった。
その姿にすごく救われ、どんどん好きになっていった。
付き合ってから翌月8月には「一緒に住もう」と提案をし、11月から同棲を始めた。
11月はちょうど2回目の休職に入ったころだったが、彼女はそんなこと気にもとめない様子だった。
むしろ、休んだほうがいいと背中を押してくれたくらいだ。
寛解までの間、たくさん支えられた。
支えられエピソード1:料理を持ってくる
一人暮らしのうちに遊びに来たとき、料理を作ってくれる。
ワンルームに住んでいたので、一口コンロと狭いキッチン、ふたのないフライパンなどに文句を言いながら美味しい料理を振る舞ってくれた。
胃袋をつかまれたことは言うまでもないが、それ以上に、狭いキッチンでは作りにくいからと自分の家で作って持ってきてくれるのだ。
追加でうちで作るための材料も買ってくるから荷物はとても重い。
10Kgくらいあるんじゃないかという買い物袋を、あの掛け声で持ってくる。
「うんとこしょ、どっこいしょ」
さすが、天性の保育士。
それでもカブは抜けません。
ちょっと盛ったが、こういう姿勢、本当に感動した。
付き合っていたとはいえ、他人のために行動できる人だ。
後から聞いたら、重いから使う分を家で切ったり下処理までしていたらしい。
そんなことしたことない自分の小ささを恥ずかしく思いつつ、人のために行動できる姿に深く深く尊敬した。
支えられエピソード2:なーんとーかなーるなーる
行動だけではなく、言葉でも励まされる。
そもそも彼女は、誰かと比較したり見栄を張ったりしない。
マウントを取るなんてこともない。
等身大の自分自身を生きていると思う。
そんな彼女には幾度となく励まされ、たくさんの気づきを与えてもらってきた。
なかでも、しんどいとき、不安でどうしようもないときはこんな歌を歌ってくれる。
♪なーんとーかなーるなーる
♪なーんとーかなーるなーる
♪なーんとーかなーるなーる(以下、エンドレス繰り返し・・・)
とてもアホらしくなる歌なのだ。
だが、一つの真理だ。
人生、大きな困難があっても生きていれば大抵のことはなんとかなるのだ。
自分で作った会社から追い出されたりこだわりが強すぎて敬遠されたりしたスティーブ・ジョブズ。
何度も挫折しプチ成功したカフェも火事になり65歳で大成功したカーネル・サンダース。
刑務所に行ったり叩かれたりしながらも結局いろいろ活躍しているホリエモン。
それぞれの人のことはあまり詳しくは知らないが(笑)、普通なら「もうだめだーorz」と思えるような大きな挫折を乗り越えた人はいっぱいいる。
生きていれば何度でもやり直せるからだ。
アホらしいのに真理。
またしてもさくらももこ。
さくらももこの作品に出てきそうなこの歌は、猛烈な不安や虚無感に襲われるたびに自分でもこっそり歌った。
支えられエピソード3:日本中が憧れたであろう花ちゃん
2020年の秋ごろに放送された半沢直樹は見ていただろうか。
その名シーンといえば、直樹がいろいろあって「今度こそやばい!」となったときの、上戸彩演じる花ちゃんとのこのシーンだろう。
「辛いなら辞めちゃえば?」
「大丈夫、私だって稼ぐから」
「生きていればなんとかなるんだよ。生きていれば。」
このシーンの直後、Twitterでの反響がものすごかった。
「こんな嫁さんいいな!」とか
「こんな風に支えられたい」とか
きっといろんな人が憧れを抱いただろう。
実はこのシーンの3時間前、同じことを言った女性がいた。
それが、妻だ。
なんと同じ日に全く同じことを言い放ったのだ。
ドラマの前に、である。
この日の午後、一緒に住む家を探すため不動産屋さんめぐりをしていた。
ずっと歩いたり不動産屋さんの人と話して疲れてネガティブになっていた僕は、だんだんと将来への不安が募ってきた。
ちょうどこの頃は体調があまりよろしくなく、2回目の休職をしようか悩んでいたときだった。前回書いた起き上がれなくなるちょっと前だ。
夜ご飯を食べていた中で不安がピークに。
「働けなくなるかも」
「お金がなくなるかも」
そんな不安をぶちまけたそのときだった。
彼女は、
「辛いなら辞めちゃえば?」
「生きていればなんとかなるんだよ。生きていれば。」
「大丈夫、私だって稼ぐから」
と言い放った。
さらに、「バイトでもいいし、いざとなれば生活保護だってある。だから収入なくなっても大丈夫だよ」と。
このときはまだ結婚したわけじゃないんだから、こんなヤツ見捨てたっていいはずだ。
それに、まだ同棲前だ。
でもそうしなかった。
それどころか、すくい上げようとしていた。
女神か?
本当に感謝、感動、尊敬だ。
自分は幸せ者だ。
まずは生きよう。
生きているだけですごいことだ。
生きていればなんとかなるんだ。
このときからそう思うようにした。
最初はいろいろ考えちゃって難しかったけど、辛いときは生きることだけを考えた。
このあとも何度も希死念慮に襲われたが、この言葉で何度も乗り越えられた。
だから今も、こうして生きていられているのだ。
寛解したらこの人と、そして自分たちの周りにいる家族・友人・知人と、みんなで幸せになるために、報恩感謝で生きようと決めた。
妻をはじめ周りの人全員への感謝の気持ちが、あふれて止まらなくなった。
支えられエピソード4:誕生日の不調
付き合って初めての彼女の誕生日。
ちょっといいレストランを予約した。
この日は2週間ぶりに会う日で、それまで不調続きで空腹を感じなかったのが嘘のように、彼女に会った途端お腹が空いた。
しかしこのころは台風などの影響で気圧の変化がとても激しく、不調の日が続いていた。
そして、誕生日レストランでも、不調になってしまった。
感覚過敏になり、周囲の音や声がすごく聞こえる。
パニックになった。
顔色もみるみるうちに悪くなったのか、彼女に「大丈夫?」と気を使わせてしまった。
誕生日なのに、情けない。
そんな思いで自分を責めた。
でも彼女は嫌にならずにいてくれる。
それを見て自分も優しい気持ちになる。
本当にありがたい存在だなって心から思った。
妻から学んだ大切なこと
こうして私は彼女に支えられて寛解を迎えることができた。
そんな彼女から学んだことは主に次の3点だ。
・小さな幸せに気づき喜ぶ
・他人の人生ではなく自分の人生を生きて楽しむ
・生きていれば人生なんとかなる
暗闇の中もがき苦しんだ2年間だったが、妻に「こっちだよ〜」と手を引かれながら光の方へ歩き出すことができたのだった。
そう、保育園のお散歩時間のように。
この記事書いた後に見せたら、
「私さすがだなーやりおるなー素晴らしいなー」
とすごく自画自賛してたことを追記しておく。
そのとおりだからいいんだけど(笑)