見出し画像

ヨーカドーでバーコードスキャンしながら思った、無人レジと「接触回避」の新しい行動様式

昨日、イトーヨーカドーのレジに立ち寄った。いつものように、無人レジと有人レジが並んでいる光景を目にして、私は迷わず無人レジの方へ足を向けた。別にレジ係の人に嫌な思いをさせられたわけでもないし、むしろ「ありがとうございました」と笑顔で送り出されると、気持ちの良い買い物体験になることは知っている。それでも、無人レジを選んでしまう。その選択は、合理的かつ無意識のうちに、私の中で固まってしまっているように感じる。

無人レジの魅力は何だろう?効率性?いや、レジの人のプロフェッショナルなバーコードスキャンテクに比べれば私のたどたどしいスキャンが勝ることはない。商品のバーコードをうまく読み取れなかったり、どのボタンを押すのか瞬間的にわからなかったり。。それでも、私が無人レジを選ぶ理由は「気軽さ」だとふと気づいた。人と接する煩雑さから解放される気楽さ。レジ係との小さな会話や視線のやりとり、手渡しされるレシート、そんな日常的で些細なやりとりを無人レジは見事にスキップしてくれる。

コロナ禍が始まり、「人と距離を取る」という行為が社会の新しい習慣として定着した。無人レジの普及はその流れに乗ったのは間違いない。けれど、これは単なる感染予防のための選択肢の提供ではなく、もっと根源的な行動変化を促してしまっているのではないだろうか。「接触回避」という新しい価値観の社会への提示。

考えてみれば、無人レジは単なる効率的な買い物ツールではない。むしろ、私たちの心理に深く作用する「選択肢」として存在している。私たちはレジで並ぶとき、自然と「ストレスの少ない選択肢」を探しているのかもしれない。無人レジはその需要に応え、煩雑さや気まずさからの小さな逃避を提供している。たとえ、その過程が少し手間取ったとしても、「他人の目を気にしなくていい」という解放感が、全てを上回る。

しかし、ここで一つ問いが浮かぶ。この「接触回避」の傾向が進むと、社会はどこに向かうのだろう?他者とのやりとりをどんどん切り捨てていく私たちは、どこかで「人間らしさ」を失うのだろうか。あるいは「人間らしさ」が再定義されていくのだろうか。「無駄な接触を避ける」ことが新しい普通となり、私たちはそれを心地よいと感じる未来がすぐそこにあるのかもしれない。

無人レジでスキャンしながら、ヨーカドーのスキャンは使い易いんだよな、なんて感じながら、そういえばセブンは無人レジ化はしない方向を選んだんだよな、なんて思いながら、そんなことを考えた。もしかすると、こういう小さな選択の積み重ねが、これからの社会の形を変えるきっかけになるのかもしれない。無人レジ、自動販売機、無人XX、自動XX、、は人間が無意識に抱える「煩わしさ」への抵抗を映し出す、一種の鏡のような存在に図らずもなってしまっているのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!