四角い世界の先は、きっとフィンランド。
朝起きたら、昨日夜から繋いでいた彼との電話がまだ繋がっていて、電話の向こうからフィンランドのホテルのシーツの擦れる音がする。全く違う世界が、この四角い世界を通して私の部屋にやってくる。
のそのそと起き上がってコーンフレークに温めた牛乳を注ぐ。その間に何か別のことをぼーっと考えていたら、コーンフレークがなんとも情けない顔でこちらを見つめていた。
牛乳でひたひたになったコーンフレークは、私の嫌いな食べ物の一つだ。
半分ほど食べて、お皿を洗い、洗面所で食べたものを吐く。吐くことがしんどいことだったのは、せいぜい初めの3ヶ月だけだったと思う。もうそれは私の生活の一部で、そこに感情はない。「今日ももどしてしまった」というLINEも次第には誰にも送らなくなった。それは、私の朝ごはんの一部だ。
私はそうやって、今日も自然に「世界」を自分の中に取り入れることを拒否し続けている。
部屋にいる小さな生物にご飯をあげる。眠そうに目を細めながら私の手を探す生物。その丸い背中と小さな手は私の救いだ。ハムスターというよりおもちのようなその生物は、餌を受け取ってのそのそと家に帰る。そこはフィンランドとは繋がらない、小さくて四角い世界。あのね、「世界」にはサンタのいる寒い寒い国があるんだよ。
四角いパソコンに向かって、頭の中に意識を向けてみる。
最近は文章を書くことを避けていた。それは文章を書くことによってできる思考の輪郭が、どんどん強固になっていくことに窮屈さを感じていたからかもしれないし、自分の文章が共感の波に乗ってどんどん広まって、輪郭が揺らいでいくのが怖かったからかもしれない。あるいは、書きたいことなんて初めからなかったのかもしれない。
でも朝ごはんを体に貯めておけないように、今の私は言葉たちも体に貯めておけない。何とか自分が外から吸収するものを循環させないとな、と思う。誰も動かすことがなく、私にとっても何者でもない言葉達。真夜中のフィンランドの地面に積もる真っ白な雪のように、みんなが知らない時を見計らって積もっていけばいい。
スーパーの店員さんが卵を袋に入れてくれたのを見て、「わざわざありがとうやなぁ!」ってニコニコしていたおじさんが頭にかぶっていたキャップの色は可愛らしいピンクだった。後ろの男の子が「あのおじさん帽子ピンクなんだけど」と囁く。そうだね、おじさんの帽子はピンクだ。「そういうこと言うのはやめなさい」と隣のお母さんが諭す。そうだね、そういうこと言うのはやめなさい。でも、そういうことって一体なんだろう。
わかりやすい正解なんてもうない時代だというけれど、それはわかりやすい正解なんかないってことが正解とされている時代なだけなんじゃないだろうか。私たちはきっと何かに騙されている。肩書きにも性別にも年齢にも縛られない私たちは、必死に自らを語って、繋がりを作り、成長を求める。そうして何者かである自分に縛られたいのかもしれない。そう、だって人生という「物語」の主人公は、自分らしいよ。
目の前の棚にある見慣れないお菓子に手を伸ばす。新発売のお菓子って買いますか。私は買います。