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極限見切り発車オーライ😈
初めまして。リンドウです。
仕事終わりのふとした思いつきによって書かれているこの記事が何の脈絡も持たないのは言わずもがな。
さぁさ。物好きなお客さん方寄っといで!
暇つぶしくらいにはなるだろうよ。
僕が生まれたのは1995年。
阪神淡路大震災が起きて、オウム真理教が地下鉄にサリンを撒いた。不良債権により銀行が相次いで破綻。おまけに円高株安のダブルパンチで就職率低迷。日本は未曾有の動乱の中にあった。1600gで生まれた僕はオヤジの両の掌より小さかったらしい。事実そこから3ヶ月は保育器なる物に入れられて母乳も飲めず、無数のチューブに繋がれてサイボーグさながらの乳児だったそうな。
そんな僕は周りの大人が心配していた通り幼少期は病弱でいくら食べようが肋骨が浮くような少年だったらしい。抗生物質は今じゃもう効かない。幼少期に熱病に罹りまくり服用しすぎたせいだ。
だがこの少年にある才能が芽生えた。
病気にかかり、共働きの両親を待ったり叔父叔母の家に預けられたりする内に一人で世界を構築し始めた。そうこれが僕の武器でありご飯の種。
"イマジネーション"
幼きリンドウ少年は一人の世界に没頭し、イメージで世界を分解、再構築することで暇を潰していたのだ。具体的に挙げるとするならこの三つ。
①空は職人が描いている
幼少期の僕は疑う事なく空は職人が時間帯によって塗り替える物だと思っていた。そうじゃなければ空の色は変わるわけが無い。人間こそがこの世界を動かし、そして創造しているんだと信じて止まなかった。だから季節ごとの色めきを(紅葉や夏の鬱蒼とした茂みなんかも)全て職人の手掛ける作品だと思っていた。
②高層ビルもタワーも職人の絵
当時から貧乏の極みの最中だった僕はあんなに沢山の物を使って建造する建物なんて無い!!と半ば事実を認めたくないが為にそれらを絵だと認識していたようで、幼稚園に通っていた頃なんかはよく担任の先生に笑われていたようだ。それでも頑として僕は高層建築物に関しては絵画であると言う説を提唱していたらしく、母が覚えている範囲では当時の僕は地上5階建までしか実物として認めていなかったと言うエピソードがあるがこれはまた別の話。
③天空の城ラピュタは実在する
幼稚園も年長さんになった頃だ。うっすらと記憶には残っているのだが、細かなところは当時担任であった先生に中学生に上がった時に聞いた事だ。ある夏の暑い日僕はお遊戯の時間に屋外に駆け出した。前日見たジブリ作品、"天空の城ラピュタ"に登場する飛行石を完全に信じていたようだ。砂場に猛ダッシュ、猪より早い速度で砂場を掘りまくる。掘る、掘るまだ掘る。お遊戯の時間が終わっても無心で掘り続けていたらしい。最終的に見つけた2kg前後の花崗岩を(中学生になった時もベランダに留置されていた為岩の種類が分かった)先生たちの反対を押し切って引きずりながら家に持ち帰り、母に一言『飛行石!!!これでラピュタ乗れる!!!!』2m近く砂場を掘っていたらしく、今でも幼稚園の伝説なそうな。
そんな訳で僕は半分イメージに育てられた。
親が共働きで家に居ない時も叔父叔母の家に預けられ孤独な時も全てイマジネーションに救われ、イマジネーションと戯れた。レゴを永遠に高く積み上げバベルの塔と称したり、スターウォーズのデススターを作ったりしていた。
想像は未来を創造する。
どんなに貧乏でも僕が全てを諦めた廃人にならなかったのは、このイマジネーションのおかげである。
想像する事によって人類は万物を創造する。その根源たる能力を幼いながら授かったのは今でも僕の誇りであり、両親に対しては(原因は父のギャンブル依存症にあったが)
"あん時からメッッチャ貧乏でマジで良かったわありがと!!!"
なんて思っているほどである。
そのリンドウ少年がイマジネーションを武器にして色んな事を解決していくのはまた別の話。
今日はここまで。
またいつか暇潰しがてら
懐かしい思い出話でも。
んじゃまた!