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アンゲラ・シャーネレク『I Was at Home, But...』あるハムレットの石蹴り遊び

凄まじい大傑作。小津安二郎リスペクトが止まらないシャーネレクの最新作は、題名からもそれが分かる。失踪した13歳の少年が突如として戻ってきたシーンで始まる本作品は、『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』に似た『家にはいたけれど』という題名なのだ。しかし、本作品には同作で重要な人物となる"父親"が欠けている。大人の世界で妥協/迎合する大人も、それを間近で見て幻滅/受け入れる子供も存在しない。シャーネレクの代名詞とも言える冷徹なまでに研ぎ澄まされたフィックス長回しで捉えられるのは、大人と子供の分断と、そのそれぞれの世界の広がりと受容である。

父親のいない兄妹と呼応する物語は『ハムレット』であり、親世代の罪を被った子世代の争いを描く同作に力を借りて、破裂してしまった家族の断片的なポートレイトを重ねていく。600くらいしかないセリフの1/3近くが『ハムレット』からの引用で構成されているのだ。後になってデヴィッド・ボウイ"レッツ・ダンス"と共に朧気に明かされるのは、2年前に彼が亡くなったということであり、母親との関係に微妙な距離を感じる二人の子どもたちは自分なりにそれを咀嚼しようと躍起になる。兄妹の仲は良く、母親を必要としながらも、頻繁に小爆発を繰り返す母親から二人で自立することで結果的に彼女を遠ざけることにもなっているのはなんとも悲しい。

そして、母親も夫を亡くして以降、心の中を渦巻く様々な感情が乱高下を繰り返しながら、周りにいる大人や自身の子どもたちへと向かってく。亡くなった夫の墓の上で眠りながら(先述の)夫との最期の日々を思い出したかと思えば、自転車売りや友人の映画監督などと長い喧嘩を繰り広げる。最も興味深いのは、新しい恋人(演じるのはJirka Zett)がいるように見える点だろう。本作品がリニアに語られているのであれば、彼は母親の新たな恋人となる。IMDbでは母親の友人とされているが、クレジットでは言及されていない。ノンリニアである場合、彼は亡くなった夫、或いはその霊的存在とも読めるのだ。いずれにせよ彼が母親の心の拠り所になっていることに変わりない。
★追記:思い返してみると彼が父親だなんてのは大嘘だということが分かるが、亡くなった後の生活を断片的に構成しているという点で、ああまで夫の思い出に取り憑かれている母親の傍に"成人男性"が登場するのは、それが"夫の亡霊"であるという見方も出来なくはないという言い訳をしておく。

映画の冒頭と幕切れに兎を追う/食う犬、そして眠る犬の傍らで見守るロバが登場する。兎と犬の関係は捕食関係や力関係を示し、ロバと犬の関係は保護/被保護の関係を示しているようでもあり、その解釈はある程度の自由さを与える。母親がここで登場する犬のように眠るシーンもあり、ロバはそれを守る亡くなった夫のようでもあり、母と兄妹の関係性とも似てくる。兎は生徒たちを絡めたある種の暴力性を秘めた『ハムレット』とも、裏で少しだけ触れられる教師たちの物語とも、クローディアス役の青年が勝手にバイト(?)しているシーンとも繋がってくる。本作品は"解釈自由"と曝け出された奇妙な作品であり、因果関係のない断片は好きなように並び替えても成立する、さながら迷宮のようだ。

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・作品データ

原題:Ich war zuhause, aber
上映時間:105分
監督:Angela Schanelec
公開:2019年5月15日(ドイツ)

・評価:100点

・ベルリン国際映画祭2019 コンペ選出作品

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