『あう・あわない』(ショートショート#4)
いろんな人と話すなかで、
いつも思うことがある。
「ココが合わない」
「あの人と合わない」
そりゃ、そうだろう、と。
違って当たり前だとも思う。
ただ、一方で、
こんなことを言う人もいる。
「あの人とは合う」
「この場所は、私に合っている」
人なんて違って当たり前のはず。
それなのに合っている。。。。
ましてや、場所なんて・・・
同じ地球だろう・・・
なんとなく思うのは、
それは、関心があって、
意識的に、もしくは無意識的に、
合わせに言っているのではないか。
そうした意識や思い、
気づかいともいえるかもしれないが、
そういうものが、あって初めて、
「あう」というものになるのではないか。
この人とは合う
と思えば、会いに行きたくなるし、
寄せていくようになっていけば、
まわりまわって、めぐり逢うこともあるだろう。
こうした意識、気づかい、もしくは工夫があってこそ、
「あう」というものが生まれるのだと思う。
だからこそ、短い時間で、
「ココは、私には合わない」
「この人とは合わない」
というのは、もったいないとも思う。
もちろん、体調やメンタルに支障が出るなら、
とっとと逃げた方がよいが、
そうでなければ、時間をかけることも大事なのではないか。
なんでも短い時間で判断し、
効率よく物事を進めようとしている。
それに、この日本という国は、
ミスを許さない風潮もある。
無駄を省こうとする想いが強い気がする。
そんなことをしていると、
いつかみんな、孤独になって、
孤独の集まりになり、
何の連帯感もうまなくなるのではないだろうか。
そんなことを、思ってしまうのだ。