
きょうだい児の私がこの家に生まれて諦めたこと①
この家庭環境に生まれ育ったおかげで、私は大事なことをたくさん諦めてきた。それを一つずつ、未練がましく綴っていく。
①希望の大学
中1から行きたいと宣言していた大学があった。どうしてもそこでやりたいことがあった。でも、受験直前になって「そんなお金ないから、行けるわけないじゃん」と言われた。奨学金も借金だからダメだと。返すの私なのに。ずっとそこを目標に勉強してきて、家でも何度もそう言ってたから分かってくれてると思ったのに。だったらもっと早い段階で言ってほしかった。あまりのショックで勉強のやる気が一気になくなってしまい、担任や部活の顧問から心配され何度も面談をした。けれど、もう疲れてしまい、今の学力であれば余裕で入れる地元の大学選んだ。行きたかった大学に行けないのであればいっそのこと就職したかったけれど、私の高校は就職禁止でどこかしらの大学に行かなければいけなかった。今思えば、バイトでもいいから無理にでも働き始めればよかった。多分、そのほうが親も喜んだ。
その後さらにショックなことが待っていた。そんなにお金がないならと、一応真剣に受験を頑張って、その成績から学費免除になったのに「2人(私と妹)を4年間大学に行かせるお金くらいあるんだから、別に大丈夫なのに」と両親が口をそろえて言ったのだ。悔しくて悔しくてたまらなかった。ないって言ったのに。もしあるのだったら、妹はどうやっても大学に行ける学力もなければ希望もないのだから、本当にそのお金があるなら2人分の費用を私に貸してほしかった。働いてしっかり全額返すから。希望の大学に挑戦させてほしかった。受験して落ちたのであれば自分のせいなので仕方がないと割り切れる。でも、その権利すらもらえなかった。もしかしたら(受験して合格した場合)、どうにかして行く方法があったのかもしれないけれど。でも高校3年生だった私は、家庭環境によってすでに諦めてきたものが多かったから、その時は早めに「ああ、またか…」と受け入れた。もしかしたら、たとえ金銭的には可能でも、母は県外に言ってほしくなかったのかもしれない。私が家を出たら、困ることがたくさんあるから。
何年もたった今でも、ずっと心に悔いとは少し違うような、どう表したらいいか分からない何かが残っている。
かと言って、大人になって行く時間や気持ちの余裕はないし、今ではなくその時に行きたかったのだからもういいのだ。
それに、今の私には家族のために他にやらなければいけないことがたくさんある。
心の端っこに空いている小さな穴は、きっとこれから待っているであろう小さな幸せで、埋めていけたらいい。