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24年経って

2000年にもともといたゼミの教授が他の学校へ異動され、後任としていらっしゃったのが川田教授。ふにゃーっとした感じでも中身はハードコアで、とても面白い先生だった。髪型はクレオパトラだし。

卒業してから、全国を転々とする仕事に着いたこともあり、川田先生とも連絡がだんだん途切れてしまった。川田ゼミにいながらも美術にハマってなかったのもあって。

コロナ終わりの2023年ごろ、神戸に関わる本を読んでいると、一応の親戚になる神戸の詩人・竹中郁さんが登場した。というか神戸関連の書籍を読むと、結構出てくる。なんとなくピンと来て、郁さんのことを調べたり、詩集を買ったりした。郁さんの親友・画家の小磯良平さんの作品を展示している小磯記念美術館の学芸員の多田羅さんにもいろいろと教えていただき、少しずつ郁さんのことがわかってきた。と同時に、西洋美術に興味が湧いてきた。

同じく2023年、僕の中では出会いがボーカリストだけど、実は大先輩の就活アドバイザーの本田さんが堂本さんというボーカリストを連れて、ライブを観に来てくれた。話してみると堂本さん、川田ゼミだと言う。美術への興味、ゼミ生との出会い、コロナ明け、ああ、これはご連絡せなならんな、とメールアドレスを訊いて、川田先生に連絡をした。すぐ返事が来た。しかもとても嬉しそうなメールで、僕も嬉しかった。ちなみにメールアドレスなんてもう手元に無いと思っていたら、普通にスマホに登録されていた。なんと不義理な。

連絡をとっていると、どうも授業で万博の映画を作っているらしい。相変わらずアグレッシブな活動をされている。少しだけバンド探しをお手伝いしたり、クラファンしたり、1mmずつ引きずり込まれていった。そう、川田先生のお願いは断れない。なぜか「やる」「やらない」の選択肢がなく「やる」の一択なのだ。しかもその一択が楽しい。本当に不思議な人だ。

9月中旬、その万博映画のラフ版の試写会があり、母校で拝聴した。まだ編集中なところもあり、それが逆に生々しくもあり、吹き出すぐらい面白かった(隣に座ってらっしゃった出演者の図書館館長さんは本当に吹き出していた)。完成が今から楽しみだ。寺嶋監督、お体労りつつ、がんばってください。

上映後、ナチュラルに会場の撤収をやっていた。もうただのゼミ生に戻っていた。この感覚、これがまた楽しい。お手伝いに来ていた学生さんと話してみたが、急遽駆り出されたが、やっぱり「やる」の一択だったようだ。やっぱりすごい。

川田先生、西洋美術の先生だけど、ゼミ生は自由なテーマを選んでいる。これも当時から変わらない。モネの研究の子はだいぶ先生の守備範囲に近いけど、舞台(お芝居)、タイタニック、カリグラフィー、なんでもありのバーリトゥードだ。それでも学生の話を聞いていると、川田先生は自分の土俵へ引き込んでいる。グレイシーみたいだ。舞台だったらまだやってることに近いので、なんかアドバイスできるかもなあ。

卒業から24年経って、また先生とゆっくり話ができることになって嬉しいし、当時もっと聞いておくべき授業があったんだろうな、とおっさんになってしみじみ思う。干支ふた周りしたけど、リスタートもこれはこれで面白い。人生面白いことだらけだ。

みなさんと。

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