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「ありがとう」を、伝えそびれてしまったの

2020年の7月、わたしは、おばあちゃんを亡くしました。

コロナ禍に突入して、外出自粛がはじまって、3ヶ月ほど経ったころです。

彼氏とのんきに石垣島に遊びに行って、帰ってきた翌日に、母から連絡がありました。

「おばあちゃんが倒れた。今から手術」と。

どうやらおばあちゃんは、脳に血栓ができてしまい、倒れたようでした。

連絡を見たのは、5日ぶりの出社直後。上司に事情を説明して、急いで実家ちかくの病院に駆けつけました。

病院に着いたら、母と妹とおじがいました。うちの家族は、なんだかんだ仲がいいのです。
昨日まで元気だったおばあちゃんの急変に、母以外のみんなが動転しているように見えました。

それでも、みんな真剣におばあちゃんの無事を祈っていたし、脳に障害が残ったときのプランなんかも話したりしていました。

2時間後。やっと手術室の扉が開き、手術を終えた看護師さんや先生が出てきました。成功と言われたので、一安心。

眠っているおばあちゃんが運ばれていくのが、チラリと見えました。

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それから1週間、おばあちゃんの意識は一度も戻らなかったけど。
わたしが大好きだったスベスベの腕が、固くなっていくのは気がかりだったけど。

無知だった私は、回復に向かっていると信じていました。

そんな期待も虚しく、ちょうど1週間後、おばあちゃんは亡くなりました。

人生ではじめて、身近な人を亡くしたから、信じられませんでした。
大切な人はいつまでも生きてるって、なぜか思ってしまいますよね。

人生ではじめて「もう2度と会えない」という、とんでもなく重くて分厚い壁を感じました。
それは、どう頑張っても超えられない、分厚い壁でした。

人生ではじめて、時間が戻ってほしいと思った。おばあちゃんが生きていたころに。

そう、その年の3月に。おばあちゃんがまだ生きていた頃です。

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私は、小学4年生まで祖父母と一緒に住んでいたので。おばあちゃんとの関わりは深い方だと思います。

毎年、一緒に旅行に行ったし。毎日、おばあちゃんのご飯を食べたし。母にぶら下がる妹を横目に、おばあちゃんの隣を選ぶ、自称おばあちゃん子でした。

私が実家を出てからは、おばあちゃんはよく私にプレゼントをくれました。

いつもくれるのは、雑誌についている付録です。
正直、どんなものがあったか忘れてしまったけど。おばあちゃん家の向かいにあるセブンイレブンで買った付録を、よくくれました。

ちょうどコロナ禍に入ってすぐの、春先にもね。雑誌についていた小さいタンブラーをくれました。

人と会うのが良くない、とされ始めていた頃だったので、母経由でもらったのを覚えています。「お年寄りはとくに危険」なんて言われていたので、祖父母が住んでいる家には、できるだけ行かないようにしていたのです。

受け取った私は、「あっいつもの付録だ。今度会ったときにお礼言おう」なんて思っていました。

それから、そのままにしてしまって7月です。

次に会ったときには、おばあちゃんは意思疎通できる状態ではありませんでした。そして、そのまま亡くなってしまいました。

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私は4ヶ月前にもらったタンブラーのことを思い出しました。

どうしてすぐに「ありがとう」って言わなかったんだろう?電話をかけなかったんだろう?
どうしてもらうことを当たり前のように感じていたんだろう?
孫にあげたプレゼントの反応、きっと気になっていたよね……?

後悔先に立たず、とは、このことです。直接「ありがとう」と言えなかったのが、本当に悲しくて苦しくて。

おばあちゃんが亡くなってから、気づきました。
いつも付録を買ってくれていたのは、きっとそれがおばあちゃんの「買える範囲」だったんだろうと。おばあちゃんの範囲で、私を喜ばせようとしてくれていたんだろうと。

当時の私は、背景を考えもせず、「なんで付録ばかり買うんだろう……?別に買ってくれなくてもいいのに」などと思っていました。なんて傲慢だったんでしょう。

自分が受け取れていなかった愛情を考えて、たくさん後悔しました。泣きました。

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本当にね、大切な人が自分にしてくれることを、当たり前と思わない方がいいです。

「ありがとう」はすぐに言ったほうがいいです。めんどくさがっている場合じゃないし、恥ずかしがっている場合でもないです。

私の人生に一番の後悔があるとしたら、大切な人を大切にできなかったこと、なんじゃないかなと思います。

おばあちゃんの死を通して、そんなことを学びました。

そんな後悔を2度としないために、できるだけ周りに感謝を伝えるよう努力しています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^

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