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箱庭の灯
灯りを忘れた箱庭。
何も見えない。どれだけ綺麗な色でも、可愛らしいおもちゃでも。
そんな暗闇の中で海を眺めている。
海も、言葉も希望の光だったのかもしれない。
あいつの罵倒は時が経って有耶無耶になって実態も薄れて、悔しくも罵られた時に芽生えた反発心はいつの間にか流れていく、雲のように。
残ったのはその時の衝撃を受けた自分に衝撃を受けてしまった事実だけだった。
きらびやかに見える優しさは、見かけだけで
優しくないものにまでは優しくない。
気づいてしまった時、その飾りは心を散らかすものに成り下がった。
不完全で未完成な日々。
それだから笑う。それでも笑う。
頼りなく、情けない笑顔で。
寂しさを同情を買うための道具にしてはいないか。それで自分を縛り付けて嘲る立場を、安全な場所を手に入れる。
そのくせ、皆醜いと言って安心する。
大丈夫、誰も彼も醜いものだから。自分を棚に上げて見えなくなってて。
私たちは日々が永遠に続くと勘違いしてしまう。
だからそのうちの1日に意味を持たせず、変化を持たせず、過ぎていく日々の中ただ何かを待っている。夢も希望も理想も未来のものだと今と切り離す。このままじゃ殺される。
孤独になることとは実は楽になる逃げ道である。期待もなければ、他人の目が自分に向くことは無い。孤独という妥協は麻薬であって、抜け出すことを忘れる。自分で吐き捨てた言葉が残って積もって、汚染されていく。
それだから笑う。それでも笑う。
頼りなく、情けない笑顔で。
もっと気楽にでもいいんじゃないか?
考えることに時間を費やしすぎていないか?
自由で、全力だった子供の頃のように、遊びのように生きることだって、美しいのではないか。
さよならを告げてどこへ行こう。
取り返しのつかないところで勘違いのまま終わってしまわぬように。
自分の言葉をそれが作った世界を愛することが自分を愛することへの近道だ。
許せ。自分自身を。
誰でもないから、誰である必要も無いから。
もう全部いいから、大丈夫だから。
全ては箱庭の中で起こる小さな物語だから。
だから、自分を灯してみよう。
輝け。
全てをすり抜けて、未来へ繋ごう。
燻んだ目に映るものも本当は案外輝いていたりする。輝くものを見つけられない目は振り解く。
そうすれば見えてくる。
僕らこそが箱庭の灯。
探し出すでも、与えられるでもなく、自分自身。
君が君であり続ける限りずっと、君を中心に灯りは広がる。
それだから笑う。それでも笑う。
頼りなく、情けない笑顔で。
ひら、ひら、ひら、と。揺れる灯火のように。
きっと、命を灯し続けることはすり減ることを痛感して、現実との差に愕然として、逃げ道を探して、動けなくなって、なりたくなかった人間になって、何も無くなって、何も無くて、それでも笑って。
そんなものなんだと思う。
その中で、たくさんの感情が置かれた箱庭の中で
ひとつ灯っている光を自分だと信じてもう一度歩き出せたら、自分を愛せる日も来るだろう。