「この人はわかってくれない」とわかった時、最も切ない
自分の気持ちを相手が理解しないとわかった時、切ないです。
「気持ちを理解されない」
これはお互いに存在する問題ですが、やはり、相手にそれを感じた時は切ない。
「理解されないんだな」という事実を前に、目の前の人と気持ちを共有し得ないことの悲しみを抱えます。
この「理解されない」悲しみは、人間関係において近しい人であるほど起こり得ます。
それから、相手との関係性が近ければ近い時ほど、悲しみも大きいです。
◆近しい人にわかってもらえないことの、悲しみの大きさ
最も切ないのは、「近しい人」にわかってもらえないことを知った時です。
友達、同僚、先輩後輩、上司部下。
それから、恋人、結婚相手。
さらに、親兄弟・姉妹まで。
赤の他人には、理解されなくてもショックはありません。
でも、関係性が近づくほどに、理解されないことの切なさや悲しみは大きい。
せめて、この人だけにはわかってもらいたかった。それなのに、わかってもらえないことが判明した。
これは、つらい。
なぜ、つらいか。
・こんなにも近しい人なのに大切な部分を共有し得ない、という悲しみ
・この人だけにはわかって欲しかったという期待や気持ちが叶わなかった、ことへの切なさ
・少しでも気持ちを汲み取ってくれたら救われたのにそれもないとわかったことへの、もどかしさ
・こんなにも近しい人から理解されないということは他に気持ちを共有できる人も場所も無いのではないか、という絶望感
つらさは様々ですが、要は、近しい人には少しでも気持ちを汲み取って欲しいのです。
「自分のことわかってよ」「なんでわかってくれないの」という、自己の押し付けを相手に受け取って欲しいのではない。
ただ、「この人だけは」という人には、気持ちを共有したかった。
自分の状況とか思いをわかってもらいたかった。
それが叶わないことへの、人間の悲しみや切なさがあるのです。
◆なんとも思ってない人に「わかって欲しい」なんて思わない
「わかって欲しい」「共有し合いたい」そう思える人は、稀です。
貴重なことです。
なぜなら、自分の気持ちとか状況とか思いを、「わかって欲しいな」と思える関係性はそうそう無いからです。
「大切な人」
「関係性が深い人」
「共有し合いたい人」
そういう人は、少ない。
◆もし、「この人には理解されない」と感じたら、次はもう無い
少ない中でも、わかって欲しい人はいる。
そんな中で何かを伝えようとして、相手がそれを無視したり、こちらの気持ちや状況を踏まえない態度や言葉を選んできたりすると、その相手には心を閉ざします。
「あぁ、この人は、共有することができないのか」と、断絶します。
究極、「見切る」「心を閉ざす」という最後の手段を取ります。
これが、友達関係、上司と部下の関係、親子関係、恋人や夫婦関係、こうした関係性で起きると取り返しがつきません。
「無視」「勝手な解釈」「話を聞かない姿勢」これを、近しい人にやってはいけないのです。
◆聞こうとする姿勢、だけでいい。汲み取ろうとする姿勢、だけでいい。
相手を理解するなんて、実際にはできません。
でも、理解できないながらも、「理解しようとすること」「気持ちを汲み取ろうとすること」「相手の状況を想像すること」はできます。
それだけでいいです。
求めるものは、完全な理解ではない。
気持ちです。
もし、近しい人がつらそうにしていたり、いつもと様子が違っていたり、何かを伝えようとする気配を感じたりしたら、その人はきっと、誰かを必要としています。
・無視したり気持ちをないがしろにしたりしない
・気持ちを汲み取ろうとする
・ただ側にいてあげる
そうしてくれる人を、忘れることはありません。
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