
公共の場では譲り合って。
帰りに乗ろうとした電車がとっても混んでおりまして。
最後尾に並んでたので「あ、こりゃ次だな」と諦めていたのですが、ワタシの前に並んでいたおじさんがとても非常識なおじさんで、
超満員を掻き分けながら座席の間のところまで進んでくれたおかげで、乗り込む側のドア付近にはスペースが生まれ、なんなら余裕がある状態で乗り込むことができました。
しかし、これは非常識おじさんの非常識さと、その周囲の皆さんの我慢により生まれたスペース。
つまりそれは、過ちを犯した一人の男と、それに巻き込まれた人々の犠牲によって作られたもの。
言ってしまえば、平和のための戦争によってもたらされた血染めの平和のようなものなのです。
ワタシたちは、過去を変えることはできません。
しかし、過去に学び、未来の戦争を防ぐことはできます。
その行動は正しいものだったのか?
常に考え、ときに議論を交わし、同じ過ちを繰り返さぬよう、自分たちで未来を創っていかなくてはなりません。
それが、血塗られた歴史に埋もれた名もなき人々への弔いとなり、また、恩返しとなるからです。
こうして人類の歴史は紡がれ、そして次の世代へと引き継がれていくのです。
それゆえ、今回のような極東の島国の、とある電車で起こった小さなできごとだとしても、ワタシたちはその是非を考えなければならないのです。
そして、非常識おじさんによってスペースができた車内で、ワタシはこう思うのです。
急行に乗れてラッキーだな、と。