価値観を受け入れること
昨日、久しぶりにサッカーをしたのですが、その中にハタチちょっとくらいの子もいて、
なんとなく見てると着ているジャージが今どきだな…と思いまして。
(最近は細めがトレンドみたいですね)(なんならもう少し前から流行ってた気もするけど)
それを見ていて、自分が大学生で社会人サッカーに首を突っ込み始めた頃、30代とか40代の人がふっるいジャージ(前が開かないフード付きのピステとか)を着てたりして、
“いつまで着てるのよ…買いなよ…” と思っていたのを思い出しました。
で、気付いたんです。
それ、今の自分だな、と。
順調におじさんに向かっているということはいったん置いておくとして、
“たまにしか着ない”とか、“他にお金の使い道がある”とか、あの頃の兄さんたちもそういう理由でアレを着てたんだろうな、と気付くとともに、
自分の価値観も変わっているんだな、とも思いました。
時間とともに価値観は変わっていくものなので、変わること自体は構わないのですが、
“変わることで気付けること”もたくさんあるんだろうなあ…ともあらためて。
「親の心子知らず」的な、今回のように当事者になれば気付くこともあるんだろうけど、
そうならなくても気付けるようになりたいな、
アンテナ張って、理解しようとして、ということを意識的にするところからかな?
と思ったり思わなかったりしています。
とはいえ、
相変わらず自分の価値観の外のものを排除しがちだし、
相手の状況や気持ちを慮るの昔から苦手だし、
まだまだ先は長いのですが。
で、置いておいた“順調におじさんに向かっている話”ですが、記憶では古いジャージ着てたの30半ば以上の人だけだった気がしており、全然順調ではないのではないかと思い始めました。
ちょっと早すぎるのではないか。
老けてるのは顔だけで十分ではないか。