楽しようとしていたのかもしれない
最近入社した人たちと社長とで話す時間があった。
手前味噌ながら弊社の社長はけっこうすごい人で、もといた会社だったらまず話す機会のない人。
どんな人で、どんなこと考えてて、というのを感じることができ、自分がどんな社長の下で働いているのかがクリアになった。
その中で、「そこにたどり着くまで何を意識していたか」という質問が出たのだが、
その回答が、
「そのときそのときできちんと深掘りしていった結果なだけで、目指してたわけではない」
というものだった。
この手のすごい人の話を聞いたり読んだりして思っていたのは、
「結局は熱中できる人,没頭できる人がそこにたどり着いているな」ということであり、“最初からそこを目指す”ということは必ずしも必要なものではないんだな、ということで、
今回の社長との会話を通して、その仮説が確信に変わったというか、変わってしまった。
情報の発信が容易になった今、すごい人のノウハウを共有して研究して、「どうやれば必然的にそこに辿り着けるのか」を解明しようとしているけど(もちろん偶然に頼らない方法を見つけることも大切なことだけど)、
結局そこには“長時間働きたくない”とか、“効率よくスーパーな人になりたい”とか、そういう感情を抜きにして、まずは【ひたすらに没頭できること】が最低条件なんだよな、と。
海外では日本みたいな長時間労働は無いと言うけど、スーパーなスタートアップを立ち上げたスーパーな皆さんは黎明期にめちゃくちゃな働き方をしているのもその裏付けになるんじゃないかな、という感じ。
「“やりたい”と思う気持ちが大切」とか散々言ってきたけど、
改めて、自分がどうなりたいのか、何を成し遂げたいのか、を考えた方がいいのかもしれない。
自分のゴールをどこに置くのか。
どこまでいきたいのか。
それでもスーパーな人を目指すなら、断固たる決意が必要なんだ。(これはただ言いたかっただけ)