3.夢の随に

 あーこれは夢だなあ、と思った。
 ピンク色の烏が飛んでいる下を赤い象が闊歩している。
 わかりやすい夢だ。
 なので、この夢は売ることにした。
『おーい、漠。いるんだろー』

「毎度ありがとうございます」
 背広姿に眼鏡をかけた若い男はルックスに似あわぬことを言った。
 真二は笑って二人は手近に会ったベンチに腰を下ろす。
『いくらくらいで売れそうだ?』
「そうですねえ、ざっとこんなところでしょうか」
 彼が差し出した電卓の表示は思っていたよりも少し高めだった。
『こんなにいいのか?』
「ここまでの夢は昨今、珍しいですから」
 そういう漠の後ろを紫色したティラノザウルスが通っていった。
「真二さんの色彩センスが問われますねえ」
『あっはっは』
 バシバシと背中を叩くと背広の男は痛そうに少し顔をしかめた。
「真二さんはお得意さまですしね」
『ありがとな』
「では、この夢は引き取らせていただきます」
 漠が電卓を閉じると同時にパンと辺りが白くなった。
 極彩色の生き物はもうどこにもいない。
「じゃあ、これで」
『おう、また頼むな』
 言葉とほぼ同時に真二の意識は薄れていった。

 真二は大学生である。
『おはよう。今日の2限って休講だって』
『マジで?わーやる気なくなった。帰る』
『いいのかー?3限は専門の中間だぞ』
『大学生になってまで中間テストかよ』
 悪友たちとじゃれあうような言葉を交わしながら、一日は始まり、そして終わる。

 家に帰って眠りにつくとパンダが玉乗りしながらお手玉していたので漠を呼んだ。

 真二はある会社でSEとして働いている。
『おはようございます』
 隣の机の先輩社員に挨拶すると、とろんとした目つきで挨拶を返された。
『3日家に帰ってねえ』
『お疲れ様です』
 彼のプロジェクトは今、佳境に入っているのだ。
 まだまだ見習いの自分もいずれ、彼のようになるのだろうかとふと思う。

 家に帰って眠りにつくとネコがダンスを始めたので漠を呼んだ。

 狐と狸が化かしあいを始めたのを見ながら真二は呟いた。
『何だか最近、夢と現実の境があいまいでさあ』
 隣に座る夢を買う男はそうですか、とだけ言った。
『まあな、夢はこれが夢ってはっきりわかるものばかりだからいいんだけどさ、何ていうかこう…』
 イメージが言葉にならず、結局真二は言葉を濁す。
「夢というものは」
 しばらくして漠は口を開いた。
「夢という代物は、夢を見る一個人の世界の中のみで形成されるものです。よってそこには個人の記憶・感覚・考え以外のものは反映されない。ある意味、その個人のみの理想郷となりうるわけです」
 わかりますか?と首を傾げる漠に、真二は頷いた。
「すなわち、夢を見ている人が経験したこと以上のことは夢に現れないわけです。…インディアカを知ってますか?」
『何だよ、それ』
「マレーシアのスポーツです。あなたはこのスポーツを知らない。ならば、あなたの夢の中にインディアカをやっている姿は出てこないはずです。知らないのですからね」
『まあな』
「現実と夢との違いは別の世界をもつ誰かが存在するか否かです。小さい子供を考えればわかりますよ。小さい子供は一緒に暮らしている家族が世界の大半を占めている。しかし大人になるに従って様々な人間と出会い、他の世界と触れ合うことで自分の世界はドンドン広がっていく」
『なるほどな』
 真二はにやりと笑う。
『自分には想像もつかない別の世界と出会えるのが現実ってわけか』
「そうですよ。そして、それに影響されて自分だけの世界である夢がどんどん変わっていくんです」
 しばらく考えていたが、真二はやおら漠の背中をバシッと叩いた。
『ありがとな、話聞いてくれて』
「いえ」
 やはり少し痛そうな顔で漠は首を横に振る。
『なら、この夢も頼むわ』
「はい」
 パタンという音と共に世界は白く反転した。

 真二は役者を目指しながらアルバイトで生計を立てている。
『はい、オッケーです』
 声が飛んで周りの人間ともども肩の力を抜いた。
 今日の仕事はエキストラ。しかし、芝居に関係した仕事なのだから今日は運がいいほうだ。
『名前の入った役をやりたいな』
 伸びをして青い空を見上げた。

「そもそも夢という代物は、夢を見る一個人の世界の中のみで形成されるものです。よってそこには個人の記憶・感覚・考え以外のものは反映されない。ある意味、その個人のみの理想郷となりうるわけです」
 わかりますか?と首を傾げる漠に、真二に良く似た男は先を促した。
 真二の兄、真一である。
「すなわち、夢を見ている人が経験したこと以上のことは夢に現れないわけです」
 どこかで喋ったのと同じ言葉を告げる。
「そこで、です」
 漠はわざとらしく咳払いをした。
「見る夢は個人の経験の中に限られている。しかし、我々のような夢売買人がいれば自分の知り得なかった未知の世界の夢を見ることができるのです。これは、現実の成長と同じです」
「ならば、真二は成長している、と?」
「ええ。そう思います」
 真一はちらりと目をやった。
 その先にはベッドの上で眠り続ける真二の姿がある。
「小1の交通事故以来、真二はずっとこの状態だ。それでも、成長していると?」
「ええ。いろいろな世界を経験できる分、現実よりも真二さんの世界は広がっているかもしれません」
 黙りこんだ真一に漠は一礼してこの場を辞す旨を告げる。
「真二は…」
 声に、ドアに手をかけた漠は振り向いた。
「元気でしたか」
「ええ。とてもお元気ですよ」
 そうですか、と言って真一は深々と頭を下げる。
 もう一度礼を返して、漠はその病室を後にした。

 夢を売りたいという真二の声が聞こえた。


初出:2004/05/16

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