同居人

※『創り手さんにいろはのお題』様のお題を使用しております。

1.異人館で逢いましょう

 ネモカルア王国大使館。
 豪華な来客室のソファに身を沈め、沢野瞳は物思いにふけった。
 短大時代の恩師の友人の父親の義理の兄からの伝手で一ヶ月間、海外からの下宿人の世話を頼まれた。
 瞳は一軒家に一人暮らししている。下宿人をおいても構わない。
 問題は法外なその下宿料だ。
 まともな話ではないと思った。だが、しかし。
 下宿させる相手がネモカルア王国国王の双子の兄弟とは誰が思うだろうか。
「よかった、瞳が美人で。不細工な女だったらどうしようかと思った」
 センヤ・フィン・ネモカルア。そう名乗った青年は日本人と似た、けれどどこか異国の血が混じった顔で笑った。
「オレ、ハーフなんだ。母親は日本人。15まで日本で育ったから文化の違いは心配しなくていいよ。あ、瞳はオレのこと千也って呼んで」
「呼び捨ては止めていただけませんか」
「じゃあ、瞳ちゃん」
「ちゃん付けされるぐらいなら呼び捨てでいいです」
 日本大使のリーメと名乗った初老の紳士が千也に耳打ちする。
「センヤさま、あまり失礼なことを言って沢野さんに断られたら、適当な人間を探し出すまでにまた時間が…」
 聞こえてますけど。
 まあ、ここまで話を聞いてしまっては、断るわけにもいかないだろう。
 報酬はいいし。
「お引き受けいたします」
 こうして、千也は瞳の家の下宿人となった。


2.ろくな男じゃありません

「行ってきます」
 朝、瞳は会社へ出かけた。
「いってらっしゃい」
 千也はソファに寝っ転がってテレビを見ている。
「ただいま」
 夕方、瞳は仕事を終え家へ帰ってきた。
「おかえり」
 千也はソファに寝っ転がってテレビを見ている。
 朝と全く同じ体勢、同じチャンネルだ。

「千也さん、ごはんできましたよ」
「ここに持ってきて」
「手伝おうとかそこから動こうとかいう気はないの?」
「昔は全部母親が、今は使用人がやってくれるから」

 瞳はとりあえず、千也をソファから蹴り落とした。


3.パラボラアンテナ危機一髪

「ねえねえ瞳ちゃん」
 仕事に行こうと家を出たところで、瞳は隣の家のおばさんに捕まった。
「瞳ちゃんの家にいる男の子って彼氏?」
 千也が家に来たのはついこの間の話。
 懐を大きく広げてありとあらゆる情報を受信する、このおばさんのパラボラアンテナのような情報収集能力には、いっそさえ感心する。
 しかし。
 いいえ違います。あの男は某国の王様の双子の兄で、日本で下宿したいとか言って私の家に転がり込んでるんです。
 そんなこと言ったって信じてもらえない。
 瞳はちらりと時計を見た。そろそろ行かないとまずい。
 このおばさんは昔から話が長い。
 仕方がない。時間がもったいないし。
「ええ、彼氏です」
 にこやかな笑顔でそう答えると、おばさんは嬉しそうに何度も頷いた。
「じゃあ、仕事があるのでこれで失礼します」
 仕事には何とかギリギリで間に合った。

「瞳、何かオレご近所の奥様方に、ニコニコされたり、指差されたり、ひそひそ噂されたりするんだけど」
「気のせいよ」

 『瞳ちゃんついに同棲』 『彼氏はイケメンだけどヒモ』
 ご近所に広がった噂を二人はまだ知らない。


4.二枚目と三枚目

「千也さんって微妙ね」
 雑誌を読みながら瞳がぽつりと言った。
 開いたページには『街で見つけたイケメンさん!二枚目特集』とある。
「何が?」
 入れてもらったミルクティをすすりながら千也は聞き返した。
「顔はいいのに二枚目なのか三枚目なのかわからないから」
 千也は心外そうに眉をしかめた。
「失礼な奴だな。決まってるだろ」
 そして無意味に胸を張る。
「オレは一枚目だ」
 瞳は自分に入れたブラックコーヒーを飲んだ。
 そして、雑誌のページをめくる。
「そう」

 今日も平和な一日になりそうだ。


5.ほう、それが正体か

「前から思ってたんだけど」
 朝の仕度をする瞳に千也は声をかけた。
「瞳ってさあ、別に働かなくても暮らしていけるんじゃない?」
 千也を預かっていることで、彼の国から多額の下宿料が渡されているはずだ。
 ざっと換算して、節約して暮らせば一生働かなくていいほどの。
「何馬鹿なこと言ってんのよ」
 腕時計をはめながら瞳は言う。
「突然仕事止めたりしたら不自然でしょ。それに、いくらお金があるからって働かないでいたら噂になって、大金を持ってることがばれるじゃない。血の繋がってない親戚と会うのは嫌よ」
 それに、と瞳は付け足す。
「お金はいくらあっても足りないのよ」
 慌しく出かけていく瞳を千也は見送った。


6.変人は誰だ

 千也は変だと常々思う。

 サラダにマヨネーズ。
 フライものにマヨネーズ。
 白いごはんにマヨネーズ。
 何でもかんでもマヨネーズ。
「胸焼けするわ」
 買ってきたポテトサラダにマヨネーズをかけて食べる千也を見て瞳はそう呟いた。

 瞳は変だと常々思う。

 朝起きたら牛乳。
 夜寝る前にも牛乳。
 喉が乾いたら牛乳。
 オレンジジュースに牛乳。
 リンゴジュースに牛乳。
 飲み物はいつでも牛乳入り。
「うまいのか?それ」
 コップに入れたきな粉に牛乳を注ぐ瞳を見て千也はそう呟いた。


7.取り返しのつかない失態

「千也さんはどうして日本で下宿したくなったの?」
 ふと疑問に思ったことを、瞳は千也に訊いてみた。
「あー話せば長いんだけど、実はうちの両親駆け落ちしてさあ」
「駆け落ち?」
「日本に留学してた第一王位継承者の親父が、日本人のお袋と駆け落ちしてさ、行方不明になったんだよ。爺さんが退位したんでネモカルアの連中が親父を探して、見つけ出した頃にはもうオレと一也が生まれてて、あ、一也ってのは双子の弟で今のネモカルアの王様な。で、仕方ないから次の王の親父と世継ぎの一也が連れ帰えられて、オレとお袋はずっと日本にいたんだ。んで、15の時、一也が即位したもんでオレも影武者として呼び寄せられて、最近になってようやくお袋も王国に来てやっと3人で暮らせるようになったわけ。でもさ、一也は日本のこと何にも知らないだろ。だから、日本に下宿でもしたらって言ったんだ。そしたらあいつ『それなら千也兄さんが久しぶりに里帰りしたらいいですよ』って言っていろいろ手配してくれて現在に至るわけだ」
 瞳は千也の話を反芻した。
「つまり、千也さんは王様である弟の一也さんに日本の暮らしを見せたかったわけね」
「そう」
「なのに何で千也さんがここにいるの?」
「……何でだろうな」
 二人の間に少し冷たい風が流れた。


8.ちらちらと瞬くひかり

 ちらちらと光と影が交差する。
「なー」
「ん?」
 千也はソファに寝そべった瞳に声をかけた。
「蛍光灯が切れかけてるんだけど」
「そうね」
「鬱陶しいんだけど」
「替えはないわよ」
 千也は不服そうに眉をしかめた。
「買ってくる」
「行ってらっしゃい」
 玄関のドアが閉まる音がして瞳は視線を時計に移す。
 ただいまの時刻、午前1時。

 コンビニって蛍光灯売ってたっけ?


9.理由はたったひとつだけ

『瞳、好きだ』
 突然の告白に瞳の全身が硬直し、目が大きく見開かれる。
『そんな、どうして私なの?』
『瞳、オレは君を愛してる。それ以外に理由がいるか?』
『でも、でも私はあなたに愛される資格なんてない女なの』
『瞳、オレは君さえいればそれでいいんだ』
 夕日の沈む海岸で、男はギュッと瞳を抱き寄せた。
『私……私もずっとあなたのことを…』

 ブツっと音がして画面が暗転した。
 千也が振り返るとそこにはリモコンを持った瞳の姿。
「テレビ、見てたんだけど」
「あの番組は見ないことにしてるの」
 主人公が自分と同名のメロドラマ。
 見れるわけがない。


10.ぬしは逃げた

 電話が鳴った。

「はい、沢野です」
『瞳さん?初めまして、一也です。兄がお世話になっています』
 記憶の糸をたぐり寄せる。
「ああ、千也さんの弟さんでネモカルア王国の王様の」
『はい。日本語は不勉強なものでお聞き苦しいかもしれませんがご容赦ください』
「いいえ、千也さんより上手いぐらいです。千也さんに代わりましょうか?」
『いえ、今日は瞳さんの声をお聞きしたくて電話をさせていただきました。ご迷惑でしょうが兄のこと、もうしばらくよろしくお願いいたします』
「ご迷惑だなんてそんな」
 瞳は微笑んだ。
「こちらとしては払うものさえ払っていただければ何をしていただいても結構です」

『……千也兄さんに代わっていただけますか?』

「え?羽目を外すな?そんなことわかってるって。お前、瞳と話したかったんだろ?何でオレに説教してんだよ。国費が食いつぶされる?おーい、瞳、こいつに何言ったんだ?」
 ソファに座り雑誌を読みながら瞳は肩をすくめた。


11.ルパートさん出番です

 瞳と喧嘩をした。
「夕飯抜きよ」
 そう言われたので
「出てってやる!」
 と飛び出した。
 即、玄関の扉がバタンと閉められ鍵がかけられた。
 虚しい。
 今日は虫の居所が悪かったようだ。
 とりあえず、街を彷徨ってみることにした。
「あ」
 雑貨屋でキーホルダーを見つけて足を止める。
「ルパートさんだ」
 それは、瞳がお気に入りのキャラクター。
 これを買って帰れば瞳の機嫌も直るかもしれない。
 部屋中に飾れるほどたくさん買って帰ろう。お金はあるし。
 千也はルパートさんをしげしげと見つめた。
 ルパートさんはおたまじゃくしのキャラクターだ。ただのおたまじゃくしではない。もうすぐカエルになるおたまじゃくしなのだ。
 尾の両隣から生えかけた緑の足は、ただでさえリアリズムを追求したルパートさんの容姿をさらに引き立たせている。
 控えめに言ってグロテスクだ。
「1コにしとこ」
 部屋中にルパートさんが満ち溢れる。
 そんな光景に身震いして、千也はキーホルダーを1つだけ買って瞳の家に帰った。


12.ヲトメゴコロ

「本当に、恵子ったら最悪なんだから」
 携帯をソファに叩きつけ、瞳は毒づいた。
「何が『ごめん行けなくなった』よ。こっちは一月前から予定を空けてたのよ。それが、2時間前にドタキャンだなんて」
 大仰に息を吐き、どっかり床に腰を下ろす。
「あの子、昔っからそうだったわ。いっつも予定を潰して…」
 かなり被害を被ったであろう瞳に少し同情して千也は言った。
「その恵子って女、最悪だな」
 瞳はじろりと千也を睨む。
「会ったこともないのに、恵子の何がわかるのよ」
 千也は少し身をすくませた。

 乙女心は難しい。


13.罠の数は35

 瞳と千也は縁日へ出かけた。
「あ、金魚」
 千也はしゃがんで金魚をすくう。
「あ、射的」
 千也はキャラメルを手に入れた。
「あ、ヨーヨー」
 千也は赤いヨーヨーを釣りあげた。
「……」
 来なきゃよかったと後悔するがもう遅い。
「あ、お面」
 出店の数は35。
 一軒一軒に足を止める千也。
 いつになったら帰れるのかと瞳は夜空を見上げた。


14.枯れない花

 瞳の家の玄関には花瓶に生けられた花があります。
 玄関に花を飾るのは、お客様を気持ちよくお迎えする心意気です。
 ある日、ふと気になって千也は瞳に尋ねました。
「この花瓶、水をかえなくてもいいの?」
「ああ、いいの。それ造花だから」
「え?」
「水もかえなくていいし、腐らないし、面倒くさくなくていいでしょ」
「道理で、花のにおいがしないと思った」
「香水でも吹きかけとけば」
 玄関に花を飾るのは、お客様を気持ちよくお迎えする心意気です。
「微妙に歓迎されてないなあ」
 千也の呟きは瞳の耳に届きませんでした。


15.夜を盗みにくる男

 何となく寝つけない、そんな夜。
 千也は近くのレンタルショップで借りてきたビデオを見ます。
「おおー!」
 アクロバティックな主人公の動きに歓声をあげ
「駄目だ!逃げろ!」
 敵に捕まりそうなヒロインに危機を知らせ
「早く!早く!急げ!!」
 ヒロインを助けに行く主人公を応援します。
 映画に感情移入しやすい千也の夜はこうして更けていくのです。

「うるさい………いい加減に寝ろ!」
 瞳が怒鳴り込んでくるまでは。


16.ただの婆さん

「あいつのどこがいいんだ?」
 涼しげな顔で瞳は答える。
「私は、年をとったらただのおばあさんになるだけでしょ。でも、彼は違う。彼は成長したら全く別の存在になるの。新たなる一歩が再び始まるの。それって素敵なことじゃない?」
「いや、だけど」
 千也はくだんの『彼』を見つめて言う。
「ルパートさんはこれ以上成長しないと思うんだけど」
 瞳のコレクションは日々、増えていく。


17.レタスとキャベツとマヨネーズ

 冷蔵庫を開けた。
 中にはレタスとキャベツとマヨネーズ。以上。
『今日は泊まってきます。ごはんは冷蔵庫の中に入ってます』
 瞳の書置きを手に千也は佇む。
「どうしろと……?」


18.その他の人々

「千也は元気にしているかしら?」
 ネモカルア王の生母、千草はおっとりとそう言った。
「元気なんじゃないですか」
 小さな島国の現王、一也は話題に上った男と瓜二つの顔で答える。
「兄さんにとっては母国みたいなものですし。ボケたところがあるから、それで苦労しているかもしれないですけど」
 お茶を飲んで付け足す。
「まあ、瞳さんがついているから大概のことは大丈夫だと思いますが」
「瞳ちゃんね。1ヶ月、若い男女が1つ屋根の下だなんて」
 千草はうふふと笑う。
「楽しみだわ」
「何を期待してるんですか」
「あら、1ヶ月も同じ家で過ごせば男女の親密度は上がるものよ。最初はその気がなくても徐々におたがい気になり始め、後はご想像にお任せします、よ」
 若い娘のように千草は小首を傾げた。
「そうですね」
 つられて、一也の口元に笑みが浮かぶ。
 確かに、千草の言う通りそういうことになるかもしれない。
 一也の脳裏に、電話で話した瞳の声が蘇った。

 あれは、守銭奴の声だ。

「いや、母上。やっぱりそれはないです」
 と言うかあったら困ります、いろいろ。
 現王はパタパタと手を横に振って、母の期待を打ち消した。


19.吊り橋のまんなかで

 本当はハイキングになんか来たくなかった。
 瞳は元々インドア派なのだ。休日は家で映画を見るのが何よりの楽しみ。
 いくら町内会の行事に誘われたからって。
 こんなつり橋を渡るようなアウトドアなハイキングに参加すべきではなかったのだ。
 引き返すのも進むのも同じくらいの距離を進まなければならない。ここはど真ん中。
 ゆらゆらと揺れるつり橋。ここから落ちたらおそらく命はない。
「千也さん……」
 足は恐怖のため石となり。
 顔に血の気はない。
「さっさと進みましょ」
 谷底を見てからこっち、一歩も動けなくなった千也の首根っこをひっ捕まえて、瞳は疲れたように先に進んだ。


20.値切るつもりじゃなかったのに

「あらちょっとお兄ちゃん男前じゃない。はい、お釣りだよ。ちょっとおまけしといたからね」
「兄ちゃん男前だねー。これから贔屓にしておくれよ。はい、これ1個おまけね」

 商店街から帰ってきた千也はよっこいしょ、と買ってきた食材をテーブルに置いた。
「いろいろおまけしてもらったんだけど」
 千也が事情を話すと瞳は微笑んだ。

「明日から買い物お願いね」


21.涙を舐める

『この口説き文句で女性は落ちる』

 本屋に勧められてこんな本を買ってしまった。
 帯によると『状況別にわかりやすく図解で解説!これでどんな女性もイチコロ』だそうだ。
 折角なので瞳で試してみようと思う。
「ええっと、『毎朝、君の味噌汁を飲みたい』朝ご飯はパン派だけどな。『君が涙を流す時はいつも隣にいるよ』無理無理。『病める時も健やかなる時も幸せを噛み締める時も辛苦を舐める時も、ずっと傍にいたい』長いって」
 本を片手にぶつぶつ呟く。
 程なくして、瞳が帰ってきた。
「瞳」
「何?」
 千也はにっこりと笑った。
「毎朝、君の涙を舐めたい」

 二人の間の時が確実に止まった。


22.ラストバトル2060

 パンチパンチキックキックキックパンチ
『火炎獄』
 炎が一面に広がり、格闘家の男は倒れた。
 YOU WIN
 魔道師の男の手が高々と上げられる。

「あー」
 千也はぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。
「また負けた。途中まで優勢だったのに」
「必殺技を出さないからよ」
 その隣で勝った瞳は涼しい顔だ。
 暇を持て余した二人はゲーセンにて格ゲーを楽しんでいるのである。
 当然、千也のおごりで。
「今のとこ全敗か…よし、もう1回」
「また?」
「次で最後にするから。もちろん金も払うし」
「ならいいわ」
 千也は100円玉を入れる。

 こうして、2060回目の勝負が始まった。


23.無の境地はどこにある

 瞳が会社に行っている昼間、千也は暇である。
 なので、料理をしてみることにした。初めての経験である。

「ただいま」
 夕方、瞳が帰宅すると千也は居間で座禅を組んでいた。
「千也さん、どうしたの?」
 彼のそばに紙が置いてある。
『無の境地を極めたいと思います。そっとしておいてください』
 瞳はふと、隣のキッチンに視線を移した。
 床に飛び散る謎の油。
 焦げ目のついたガスまわり。
 爆発跡を生々しく残す電子レンジ。
 流しに積み上げられたドロドロの食器。

 瞳はじろりと視線を戻した。
 千也が無の境地に達するのは、もうまもなくである。


24.うるさい人形

 そいつはピクピクと痙攣を始めた。
 地獄の底からわきあがってくるような声が響く。

『オハヨウ、アサダヨ。オハヨウ、アサダヨ』

「なあ、瞳」
 喋り続けるそいつを、千也は朝食の支度をしている瞳につきつける。
「これ、何とかならないのか?」
「何とかって?もしかして、気に入らないの?『ルパートさん目覚まし人形』」
 信じられない、といった表情の瞳に頷く。
「頭押しても止まらないし」
「両方の足を同時に引っ張らないと止まらないって何回言ったらわかるのよ」
 ピクピクと痙攣を続けるその人形は呻き続ける。

『オハヨウ、アサダヨ。オハヨウ、アサダヨ。オハヨウ………』


25.イミテーションはどっち

「千也さんと一也さんってそっくりなの?」
「うん、一卵性だから。同じ格好したら大臣たちもみんなわからなかった」
 何故か得意そうに千也は胸を張る。
「そういえば、影武者なのにこんなところでのほほんとしてていいわけ?」
「ああ、いいんだ」
 千也は爽やかに笑った。
「オレ、ネモカルア語喋れないから」

 影武者って何だ。


26.のめりこみ症候群

 千也はこの頃、ヤクザものの映画に凝っている。
 朝、レンタルビデオ店に昨日の夜中見た映画を返しに行き、そこでまたその続きを借りる。
 夕方、今日見た映画を返しに行き、そこでまたその続きを借りる。
 そして次の日の朝、以下繰り返し。
 何が千也の心を掴んだのか、それはわからない。おそらく、本人にも。
 だから、瞳が言うべきことはただ1つ。
「千也さん、ご飯できたよ」
「ありがとうござんす、姐さん」
 この呼び方をやめて欲しいということだけだ。


27.面白いわけがない

 瞳は映画が好きだ。
 今日もテレビの前に陣取って洋画劇場を見る。
 映画館に滅多に行かない瞳の楽しみだ。
「あ、この映画か。前、夜中に見て面白かったやつだ」
 そう言って、千也は瞳の隣に座った。
「これさ、主人公の彼女がヒロインなんだけど、誘拐されちゃうんだよね。で、主人公は相棒と必死になってヒロインを探すんだけど、実はその相棒がヒロインを誘拐した敵の一味で、主人公は敵の罠にかかって殺されかけるんだ。だけどそこで相棒が改心して身代わりになってくれて、主人公は彼女を助け出すことが出来てハッピーエンド。あ、敵は主人公が昔関わった事件の真犯人でオープニングに伏線が張ってあるから、そうここ、このシーンだ。よく覚えといて、重要だから。そうそう、最初の上司の台詞も実はキーポイントだから聞き逃さないように」

 2時間弱の映画は千也の言ったとおりの展開だった。

「な、面白かったろ」
 面白いわけがない。


28.車が一台足りません

 ネルカモア国日本大使のリーメは大使館の私室から裏の駐車場を見下ろした。
 並んだ車の列に、ひとつポッカリ空きがある。
 ここ最近、車の止まらないそこはリーメが最も信頼する日本人職員の駐車スペースだ。
 彼に与えた特別な仕事にリーメは思いを馳せた。

 その頃。
 件の職員は、同じ仕事を与えられたもう一人の職員と共に駐車場に止めた車の中にいた。
 瞳の家から斜向かいのそこは彼女の家がよく見える。
 彼らに与えられた仕事は千也の護衛であった。
「千也さまは王族としての自覚がなさ過ぎる」
 助手席の呟きに運転席の男が息を吐く。
 昨日、千也は家から一歩も外に出なかった。
 一昨日は近所のコンビニへスナック菓子を買いに行ったのが唯一の外出。
 その前の日はレンタルビデオ店に出かけ、ごっそりビデオを借りてきた。
 そのまた前の日は外出なし。

「千也さまは何しに日本に来たんだろうな」

 運転席の呟きに返事は返らなかった。


29.山の中に男がひとり

 大自然の中に立つと、ちっぽけな自分を感じる。
 この広い世界の中で、自分がたった独りになってしまったかのような孤独感。
 おうい、と呼んでみても山彦さえも返ってこない。
 千也は深く息を吐いた。
 そして、大きく吸って向こう岸へ聞こえるように大声を出す。
「瞳ーやっぱり一人じゃ渡れないから戻ってきてー」
 千也のつり橋リベンジは失敗に終わった。


30.真似ばかりしないでくれる?

「千也さん、ごはんできたよ」
「どうもありがとうなのだ」
 次はアニメに凝ってるらしい。


31.消し炭で作られた塔

 炭を入れたお風呂は体にいい、とテレビで言っていた。
 お世話になってる瞳へ感謝の気持ちをこめた、ささやかなプレゼントをすることにした。
「千也さん」
 風呂に湯を入れに行った瞳がリビングの扉をバンっと開ける。
「どうして湯船の中が炭で真っ黒になってるのかなあ?」
 感謝の気持ちは胸倉を締めることで返された。


32.踏まれた猫の物語

 ズチャズンチャッチャ。ズチャズンチャッチャ。
 テレビから流れてきたのは聞き覚えのある曲。

「この曲には悲しい話があるのを知ってる?」
 瞳の言葉に千也は首を横に振った。
「ある母子が一匹の猫を飼っていたの。お母さんが猫ばかりを可愛がって自分には見向きもしないから息子はいつも猫を踏んだり蹴ったりしていじめていたの。猫をいじめたらお母さんが怒ってくれる、それが嬉しかったのよ。でもある日、母親は息子と猫を置いて出て行ってしまった。息子はいつもと同じように猫をいじめたけどお母さんはもう怒りに来てくれない。呆然としている息子にボロボロになった猫が擦り寄って、ニャアと鳴いたの。猫は息子の気持ちを知ってていつも黙っていじめられていたのよ。それから息子は猫と二人で暮らしていったの」
 ちょっと感動した千也は小さく口の端を上げて笑った。
「いい話だな。そんな話があるなんて知らなかった」
「当然よ。私が今、作ったんだもの」

 ズチャズンチャッチャ。ズチャズンチャッチャ。
 テレビから流れてきたのは聞き覚えのある曲。


33.こわいかもしれない

『新発売!等身大ルパートさんポスター』
 テレビCMに瞳は目を輝かせた。
「等身大って…全長何センチなんだ?」
「知らないの?2.5mよ」
 申し込もうと瞳は受話器を取り上げる。
 千也はとりあえず、繋がった電話を横から切った。


34.えげつないよ

『新発売!等身大ルパートさん人形』
 テレビCMに瞳は目を輝かせた。
「人形もう持ってるだろ。いろいろと」
「でもこれすごい。触感も再現されてるんだって」
 申し込もうと瞳は受話器を取り上げる。
 千也はとりあえず、繋がった電話を横から切った。


35.テキーラは夜に呑め

「瞳は酔っ払うとどうなるんだ?」
 何気なく、千也が尋ねた。
「あんまり酔わないわよ。テキーラでも呑んだら別だけど」
 それを聞いた千也はいそいそと酒屋へ出かけテキーラを購入した。
 そして、夜。
「買ってきたんだ。折角だから一緒に呑もう」
 トクトクと千也がついだお酒を瞳はおいしそうに呑み干す。
 わくわくしながら瞳を見つめるが、普段と全然変わらない。
「どうしたの?」
「酔わないのかなあって思って」
「もっと呑まなきゃ無理よ」
 そこで千也は瞳のグラスを満たす。
 そんなことが繰り返され、やがてボトルは空になる。
 千也の買ってきた上等なお酒は、ほとんど瞳の胃に納まった。
 しかし瞳に変化はない。
「じゃあ、そろそろ寝ましょうか」
 つまらなそうな千也の背に、瞳はにやりと笑って言った。
「ごちそうさまでした」


36.明日になれば、すべて

「明日になれば、すべて良くなるさ」
 千也は瞳の心を和らげようとにっこり笑う。
「そうね」
 つられるように瞳も笑う。
「明日になれば全部きれいに片付いて…るわけないでしょ!」
 瞳は彼のせいで再び壊滅したキッチンへ千也を蹴り入れた。


37.冷めないうちに召し上がれ

「千也さん、今日のごはんは冷めないうちに食べてね」
「わかった」
 にっこりと笑う瞳にそう答える。
「冷めないうちに食べれなかったら罰金ね」
「いいよ」
「じゃあどうぞ、召し上がれ」
 運ばれてきた料理は冷奴だった。
「ええっと」
 千也は瞳の顔色を伺う。
「キッチンのこと、まだ怒ってる?」


38.君は頭が悪いのか?

 瞳が怒っている。
 原因はキッチンを壊滅させたことにあるようなのだが、何故だろう。
 徹夜してそれでも片づかなかったから瞳が会社へ出かけてからも続けて、帰ってくる頃にようやくきれいになった。
 瞳に手伝わせたりせず、すべて自分でやったのに。
『イライラはカルシウム不足が原因です。女性は特にカルシウムを多くとらなければなりません』
 テレビの言葉にこれだと思う。
「そうか、カルシウムか」
 紹介されていたレシピをメモってキッチンへ向かった。

「…ちょっとは反省しろ」
 低くドスの効いた瞳の声に千也の顔が引きつる。
 三度、崩壊の憂き目にあったキッチンに千也は一晩閉じ込められた。


39.許された罪のかたち

「あーあ」
 テレビのCMを見ながら、少し大きめの声で瞳は呟く。
「こんな綺麗なシステムキッチンで料理してみたいなあ」
「全額、出資させていただきます」
 雑巾でキッチンの床を拭きながら言う千也の前に、瞳はニコニコしながらパンフレットを広げた。


40.面倒だよね

 暇だったらゴミの分別しといて、とゴミ袋を渡された。
「なあ、瞳。燃えるゴミと燃えないゴミの違いって何だ?」
 瞳は千也を振り向かずに答えた。
「燃えそうかそうでないか」
 そもそも捨てるときから分けておけば苦労はしないのに、と呟いて千也はゴミの分別を始めた。


41.見たね?

「ウサギとカメのショートコント。
 『競走』
 カメ『ようし、竜宮城まで競走だ』
 ウサギ『よーいどん』
 カメ『よいしょよいしょ』
 ウサギ『わっせわっせ』
 カメ『よいしょよいしょ』
 ウサギ『ごぼぼぼぼ、って溺れるわ』」

 黒い覆面をかぶって片手にウサギ、片手にカメの人形。

「千也さん、何を見たの?」
 瞳の言葉にも千也は無反応。

「続きまして……」


42.指名手配の裏側に

「あ、また宛先不明で帰ってきた」
 千也が振り向いて尋ねる。
 携帯メールを見ながら瞳は答えた。
「何?」
「友達にずっと連絡がとれないの。どうしたのかと思って」
「じゃあ指名手配かけたら?」
「え?」
「海外にいるかもしれないから、国際的に指名手配かければすぐ見つかるよ。人を捜すのは警察の仕事だろ」
 こともなげに言う。
 瞳は思った。
 これが彼の国の常識なら暮らしにくい所だなあ、と。


43.エスケープの合図を送れ

「あらー、瞳ちゃんの彼氏くんじゃないの」
 散歩がてらに夜食を買い、その辺をうろうろしていると、家の近くで隣の家のおばさんと出会った。
「ああ、どうも」
「もう、瞳ちゃんたらいつの間にこんなにかっこいい彼氏くんを見つけたのかしら。うちの子も言ってるのよ。『瞳ちゃんの彼氏かっこいいね』って。瞳ちゃんも年頃の娘さんだったのねえ。瞳ちゃんはこんな小さい頃から知ってるけど、昔っから男勝りな子でねえ。おばさん、彼氏がちゃんとできるのか心配してたのよ。ほら、瞳ちゃんっていい子なんだけど女の子にしたらちょっとサバケすぎなところがあるでしょう。あ、ごめんなさいね。悪く言うつもりはないの。でも瞳ちゃんもやっぱり女の子だったのねえ」
 千也に全く口を挟ませず、おばさんは止まらない。
 ふと見ると、通りの向こうに瞳の姿。
 声をあげようとした千也に、彼女は静かにと、歩きながら人差し指を口に当てる。
「瞳ちゃんも目が高いわ。一体どこで知り合ったの?ナンパかしら?そうよねえ、瞳ちゃんも可愛いものねえ」
 千也は目で助けを求める。
 瞳は右手をグーにし、胸の前で握った。
『ファイト』
「瞳ちゃんとはどこまで進んでるの?結婚式はいつかしら。そうだわ、いい結婚式場知ってるのよ。うちの上の娘もそこで式を挙げたんだけど、ウエディングドレスは種類が豊富でね、瞳ちゃんも気に入ると思うわ。あなたはそうね、タキシードかしら。ああでも、上背があるから和装も似合いそうね」
 足早に去って行く瞳を恨めしげな目で追う。
 千也はおばさんが夕飯の時間を思い出すまで、果てのないお喋りに付き合わされた。


44.暇を下さい三分ばかり

 ネモカルア王国日本大使館勤務の職員二人。
 今日も王の兄、千也を見守る。
「飽きてきたな」
「それを言うな」
 繰り返される助手席と運転席の会話。
 瞳の家の扉が開いた。
「あ、瞳さんが出てきたぞ」
 千也と共に真っ直ぐこちらへやってくる。
「…おい、もしかして」
「もしかしなくても…」
 護衛の任務は極秘で瞳にも知らされていないはずだ。
 しかし。
「バレてるな」
「多分な」
 車のドアが開けられ、二人が乗り込んできた。
「隣町のデパートまでお願いします」
「どうせついて来るんだろ。ちゃっちゃと行けって」
 職員二人は顔を見合わせる。
「少し考えさせていただけますか?」
「じゃあ、3分だけ待ってやる」

 結局3分後、車は隣町のデパートへ向けて走り出した。


45.もしもの話

「もしも、もしもの話だけど、オレがずっと瞳と一緒にいたいって言ったら、瞳はどうする?」
 瞳はじっと千也の目を見つめた。
「それは、お金も一緒についてくるのかしら」
「そうだって言ったら?」
「じゃあ、いいわ」
「お金はついてこないって言ったら?」
「ふざけんな出ていけ馬鹿やろう」
 表情筋を全く動かさない彼女に本気を感じて、千也は切ない気分になった。


46.台詞忘れた!

「あー台詞忘れた」
 苦々しげな声が聞こえた。
「何の?」
 千也はギュッと眉根を寄せて答える。
「ただいまってうちの国の言葉で何て言うんだっけ?」
 あと、おはよう、おやすみ、こんにちは、こんばんは…。
 忘れた台詞を指折り数える。
「それ台詞じゃないと思うけど」
 自国の観光ガイドで言葉を調べる王の兄に、瞳はそっと呟いた。


47.すみませんでした

 別れの日がやってきた。
『兄がご迷惑をおかけして、すみませんでした』
 わざわざ電話をかけてきてくれたのは、ネモカルア王国国王、一也だ。
「こちらこそ、十分すぎるお金を頂きまして」
『いえ、お世話になったので当然のことです』
 電話越しに深々と頭を下げあう二人。
『ところで兄さんは?もう大使館の方に戻りましたでしょうか?』
「千也さんは…」
 瞳はそっと電話から視線を外す。
「帰りたくないって押入れの中に閉じこもってます」

「センヤさま!ご迷惑ですよ!」
「王もお待ちです。さあ、早く、開けてください、センヤさま」

 受話器越しに聞こえるのは、日本大使リーメの声と何かをドンドン叩く音。
 一也は再び頭を下げた。

『兄がご迷惑をおかけして、すみませんでした』

初出:2004/11/2-11/25 (サイト1周年記念連続更新)

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