![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/73909463/rectangle_large_type_2_433950e57f7fd661dd61b2ae3353267b.png?width=1200)
大きな声②
おはようございます。
けむそんです。
吃音症でも元気に生きていることが、誰かの何かの役に立てば嬉しいと思い、今日も書く練習として、書いてみます。
続きのツイートはこちらです。
〇〇養成学校。富士山麓。夏のさなか。ここでぼくは号泣することになる。私物はすべて取り上げられ、宿舎に箱詰めの七日間。木造の小学校を思わせる校舎は、見るだけならほのぼのしている。中身とは裏腹に…。大声であいさつ、早朝の掃除、一糸乱れぬ集団生活。歌や手紙の訓練。その訓練の一つでぼくは
— けむそん (@21wds) March 9, 2022
ここは〇〇養成学校。社員の皆が嫌がる、言わばいわくつきの研修です。
管理職への昇職の登竜門として、位置付けられていました。(今では参加しておりません。)
あれは結婚式を挙げた2011年の夏、7月の終わりの頃でした。電車とタクシーを乗り継ぎ、校舎へ着くと、まるで昔の小学校のよう。辺りは静まり返り、セミの声だけが響き渡っていました。
「ここがウワサの学校か、意外と普通だな」
それが最初の印象です。
学校(ここでは訓練と呼びます)が始まると班に分けられ、ぼくの班には他に6人の仲間がいました。
神戸、名古屋、神奈川、東京…各地から集まった仲間たち。
同じ東京から来た美容師の若者は、背中に刺青がびっしり。だけど、めちゃくちゃいいヤツでした。訓練中は一番仲良くして、だけど、音痴でした(笑)。
訓練は、歌や報告書、暗唱や素読、多岐に渡っていました。朝礼では指名された1名が、朝礼台に立ち大声でスピーチをさせられます。ぼくは指名されなかったけど、少しやってみたかったな。
その中のひとつとして、「両親への感謝を大声で叫ぶ」という題目がありました。
決して裕福ではなかったけれど、私立の大学にまで通わせてくれた両親。サッカーまでさせてくれた。
彼らは贅沢とは無縁の暮らし。
吃音だと悩む息子に、治療費を出してくれた母。
言葉は少ないが、背中で大きな心を語る父。
ぼくは感謝の言葉を叫んだ。
なんて叫んだかは覚えてないけど、涙で前が見えなくなり、嗚咽にさえ及んだ。
ふと気付くと、声が出せていたのです。
サッカーでも、プレー中は先輩だろうが名前を呼び捨てで呼び(さん付けなどしている時間がない)、ボールを呼び込む声を張り上げ、仲間に大声で指示をする。
よいプレーをすれば、大声で「サンキュー」「ナイッシュー」「ナイディ」「ナイボー」などと盛り上げる。
サッカーでは出せていた声と、この訓練中出せた声が、ここでつながったのです。
「大きな声を出せば、言えるんだ」
これがぼくなりに出した答です。
7日間の訓練は無事に終わり、精も根も尽き、声は枯れました。
だけど、ぼくの心は潤いました。思いを声に変える術を手にしたのですから。
同じ悩みを持つ、すべての人を救えるわけではないかもしれない。
ただ、自分がこうして元気に生きている。
このことが、誰かの何かの役に立てば嬉しいです。
完
最後までお読みいただきありがとうございました。
明日は何を考え、何を呟くのか、自分でも楽しみです。
ありのままの自分を受け入れ、今日も歩いてみます。
追伸:東京の若者とは田町で飲んだり、彼の働くお店で髪を切ってもらったりと、仲良くしています。久々に連絡でもしてみようかな。
いいなと思ったら応援しよう!
![けむそ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157265493/profile_cf1e19982088e100a69427367e8122a0.png?width=600&crop=1:1,smart)