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ホメ耐性

気が付けば二年間の無職期間を経た自分が大学に復学してから一年も経っていた。
二回生の時に大学を離れたので、今は新三回生だけど、自分の後からスタートを切る後輩ができたのは、ほぼ初めてだと思う。休学する前は緊急事態宣言下でキャンパスに入れなかったので、実体を持った後輩というものを見たことが無かった。それに休学したころは本当に味気くて無味乾燥な色の無い学生生活だった。それでも印象に残っている記憶はいくつかあるけれども。

それでもやっぱり後輩と交流できるってとても楽しい。自分はとてもちっぽけな人間だから、今年度新たに入学した後輩たちに「先輩」と呼ばれることにちょっとした優越感みたいなものを感じたりもしている。
一年前、学内サークルに入るために、ほぼ捨てアカみたいな気持ちで大学アカウントを作って、意味の分からない棒にも箸にもかからないツイートばっかりしていた頃からは考えられないことだけど、大学アカウントを作ってからというものの、いろんな人と繋がりができて、「ずっとなにかに限界化してる人」とか「大学アカウントでずっとわけわかんないこと言っている奴」とか「思想が強い人」とか「反社会勢力の人」とか言われるようになった。文章化してみたら半数が悪口じゃねぇか。
とはいえそんなアカウントのおかげでいろいろ交流できて楽しいのは確かだし、これが無かったら今の楽しい大学生活はなかったし、今年の新入生から声をかけられることも絶対に無かった。

そう、新入生から声をかけられることも。
本題になるんだけど、今年の新入生に「先輩のツイート面白い」とか「会えてうれしい」とか「話しやすい」とかいろいろ言われて本当にうれしいんだよ今。お世辞でも心の底からうれしくて本当になんて言えばいいのかわからない。他人から「面白さ」のステータスを褒められた事がないからこのままだと調子に乗っちゃう。たすけてくれ。

こんな風に、自分は褒められることに対する耐性がない。
今まで「自分がいなくなっても世界は変わらない」とか考えていたのも、誰にも褒められる場所がないから、この「世界に自分の居場所なんてない」と思っていたからだと思う。でも、春休み期間を経て、新入生と出会って、そして自分の「面白さ」という点を真っ正面から肯定されたことで、なんていうか、不安定でおぼろげだった自分の存在が証明されたような気さえしている。言い過ぎかもしれないけど、これもひとえに自分に向けた"褒め"に対する耐性がないからだ。でも嬉しいものは嬉しいから仕方ない。

「自分が消えてもすぐに忘れ去られるだけだ」と思っていたけれど、意外とそうでもないのかもしれない。"認められること"のうれしさを実感している。過去の自分が後輩に面白さを褒められてここまで浮足立っている自分の姿を見たらどう思うだろうか。地面に唾のひとつでも吐いているかもしれないし、鼻で笑っているかもしれない。お前もここまで追いついたらわかるよ。保証は無いけど。
こういう時、「生きててよかった」って言うのがお決まりだけど、あまりにも金が無いので「悲しませないように生き延びよう」とか、そんな感じ。初対面の人に軽率に褒められるってこんなにうれしいんだぁと思ったので、みんなお互いに軽率に褒めていって欲しい。"お世辞"とか"社交儀礼"とかそんな概念が飽和して無くなってしまうぐらい軽率に褒め合う世界になってほしい。

……フラグっぽくてやだなぁ。明るくなって立ち直ろうってなったその時にとんでもない不幸が降りかかるのが鬱アニメのお約束だったりするじゃん。自分が生きている世界のジャンルが明るい作風だったらいいなぁ。

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