SixTONESユニット曲2024
Blue Days
今回のアルバムで1番好きです!(突然)
なぜなら、「アイドルって優しさ」を思い出させてくれたから。私がアイドルを好きになった原点は、間違いなく「優しさ」だった。
「優しい」という言葉は膨大な意味を持つし、勘違いをされやすいし、とにかく難しい。誰にでも歌える歌じゃないからこそ、歌える2人が羨ましい。
雪肌のように滑らかでありながら、抑揚をもって母音と子音がしっかり聞こえるジェシーさん。
どこか淋しさのある声色でありながら、母音と子音の概念を取っ払って、"その一音"で言葉を紡ぐ髙地さん。
明らかに発音が異なる二人が、同じ詞の前半後半を入れ替えて歌うと、全く別ものに感じるから面白い。
「暖かく照らす光の先に君が笑ってるのなら嬉しいな(Vo.ジェシー)」「泣いたって悔やんだってそのままで綺麗だよ 隣に居るように歌を歌うよ(Vo.髙地)」であれば、少し陰りが見えて【祈り】【側から離れない約束】という言葉が浮かぶ。
一方、「暖かく照らす光の先に君が笑ってるのなら嬉しいな(Vo.髙地)」「泣いたって悔やんだってそのままで綺麗だよ 隣に居るように歌を歌うよ(Vo.ジェシー)」であれば、一歩だけ前に進めた日の希望に聞こえるから不思議。こちらを言葉にするなら【守り】【背中に添えられた手】みたいな。
そしてラスサビは後者であるのもズルい。
そもそも「歌に色を付ける」という概念が好きすぎるのだが、青か橙か、みたいな話を聞く。MVではそれらが移り変わりしていて、1つの美を成している。ここで青がネガティブで橙がポジティブと簡素化せず、それぞれに美を見出しているのが良い。
1番について、自分も他人も無機物も愛することに長けて見えるジェシーさんが、「他人の芝が青く見える」「"好き"が1日で裏返る」を歌う。
凪思考で独自の美学を飾らず生きて見える髙地さんが、「疲れたなって表現が下手」「繕わなきゃ、心は見せない」「中は汗だくで苦しい」を歌う。
多面体であるアイドルが"魅"せている部分なんて、その一面に過ぎないんだな。ずっと分からないし、でも分からないままが良い。
だけど2番には、「"無理しても"じゃ意味がない」「自分の型崩してまで欲しいモンなんて…」の髙地さんが居る。
「どう思われてるかなんて重要視し始めたら…」「なりたい自分になれるように」「行こう長い道を」のジェシーさんも居る。
やっぱり、公に姿として在る自分を肯定してくれると嬉しい。そうすることで他人の背中を支えている事実にも、感謝が止まない。
2人の優しさって「できるよ」や「大丈夫だよ」や「笑って」とは少し違う。「そのままで綺麗だよ」であり「笑ってるのなら嬉しいな」であり「誰かを恨むなんてしないでほしい」だった。それに素直に励まされているうちは、きっと大丈夫な気がする。
アイドルはいつも支えてくれる。誰かを笑顔にすることのプロだ。そんな彼らが、「この歌でなかった事にならないって分かってるよ」を歌う。核心までたどり着く。マジびっくりした。
思い返せば、SixTONESの魅力ってこういうところじゃないかなと気付く。彼らにとって「王道」でない道は「邪道」でなく「旅路」。そしてそれが、彼らの赤絨毯。誰もやら(れ)なかったことをやる。決して作法を誤らず。品があって、面白い。
この歌の答えが「それでも届くように歌を歌うよ」なのも、最も【アイドル】だと思わないか。グループのセンターと最年長がこの歌を選ぶんだから、このチームに縋りたくもなる。
正直SixTONESの2人組の中で【特別】という言葉が一番似合うと思っている。特別の包含関係みたいな6人だから、上手く言葉にできないだけかもしれないけれど。
最後の最後だけ、2人ユニゾンで歌うのは勘弁してくれ。その瞬間に肩を組むのも止めてくれ。
「ありがとう」だけが、この歌へのお返事として、許される気がする。
希望の唄
この曲と2人がどう絡み合っているのかなって、色々考えた。
2人を1つとして「"俺ら"だからこの歌だよね」も当然その通りだけれど、実は物凄くお互いのことを考えた選曲なんじゃないかと思う。
「慎太郎/きょも には"こう"あってほしい」「俺にとっての慎太郎/きょもって"こう"」の重なり合いじゃないか?
2人が歌う「笑って生きていたい」には、その通りの意味に加えて、相手に「笑って生きていてほしい」の想いがある。いや違うな…「"笑って生きていたい"と歌えるような人生を歩んでほしい」だな。(回りくどい!)
特に京本さんからは、めちゃくちゃ「慎太郎、輝け」を感じる。本気で、京本さんから見た慎太郎くんを可視化された気分になる。さらには京本さん自身が「慎太郎から見えている"俺"」のモードになっていると感じる。(ぜんぶ森本担の口先が勝手に喋ってます)
彼はそこに誇らしさ・自信を持っていると感じるし、何より慎太郎くんは全力で応える。雑誌(最新芋)では慎太郎くんが、レコーディングは京本さんが先であったことを教えてくれた。「歌のうまさや技術はきょもに任せて、俺は熱量や勢いみたいなものを大事に」という言葉もあった。
京本さんは、ピッチが抜群で、音や声の扱いが一流で、冷静で、大人だ。フレームの先にある2人の未来を、慎太郎くんよりもずいぶん先に見つめている。当然、慎太郎くんの「不器用な声」も知っている。自身は「未来は誰にもわからない でもそれはきっと僕がこの手で選んで、掴んで、変えていける」と叫ぶ。カッコいい。ずっと「慎太郎くんといる京本さん」がカッコいい。絶対に【京本大我 ✕ 森本慎太郎】という順のクレジットが正しい。
慎太郎くんが京本さんの肩を抱いて寄せた時、慎太郎くんがずっと変わらない笑顔を見せた時、京本さんが自信げに口角をあげてこちらを指さした時、2人のこれまで・今・これからに、花が舞った時。エグエグ泣いた。
これは花形人生を歩む2人の物語。その名は希望の唄。~To be continued~
スーパーボーイ
この他のどこでも見たことがない作品を作り出した2人。きっかけ(ラジオ)となる世界観を創り上げてきたのも自分たち。求められる・納得させるイメージを植え付けたのも自分たち。仕事ができる。芝居が上手い。顔が良い。
お互いを信頼していて、心配していて、色んな事を知っている。好きとか嫌いとかじゃなく、一緒にやっていくって決めている。
そもそも私は、アイドルグループには年齢差がとても大切だと思っている。年少者は年長者を敬い、憧れ、真似て、戒めとする。年長者は年少者を見守り、救い、刺激され、強くあろうとする。他人に自分の人生の一部を委ねあう集団(アイドルグループ)にとって「この世界を生きた時間の差」は、きっと好影響をもたらす。
そんな中で(学年とか早生まれとか色々あるけれど)同じグループで誕生日が数か月・数日しか変わらない存在というのは、異質な空気を持つ。本人たちは至って無自覚なことが多いが、そのオギャーの差にしかない種類の愛着がある。(ふぉ~ゆ~って面白いよ)
正直、樹くんと北斗くんを言語化するのは難しい。なぜなら2人が言語化してしまうから。「お前はお前 お前もお前」な2人。分かるはずがない。
2人は正反対とよく言う。でも重なり合っている。「ナニモノでもなかったからこそ ナニモノでもなれたあの頃」を共有できる。
根っからのエンターテイナーだから、MVを見ていたら自然とニヤニヤしてしまう。
2人ってあまりにもアイドルでありながら、何でもない普通を愛していて、だけど特殊を誇りに思っていて、でも凡庸に憧れる。
言語化に長けた2人が2人に選んだ言葉は「スーパーボーイ」だった。特別な男の子。俺たちがそうであるという自尊と、誰もがそうだという夢。
音楽的知識が薄浅で、かつ2人に対する史料も未熟な私にとって、この歌を所謂「解説」することは難しい。ただそれが「ほくじゅり」なんだろうな、と思うまで。
今年のユニット曲も楽しませて頂きました。ありがとうSixTONES!!!