だが、
これは、原作者とそのファンに対しても、原作者の創作物とそのファンに対しても、制作スタッフに対しても、ドラマファンに対しても、全く配慮が足りていない。
ただ自分勝手な、SixTONES森本慎太郎を「私にとっての大切な担当アイドル」として見ている人間の、感想(というか記録)である。
自信
森本慎太郎を「自信家」だと思うか。一言で答えを出すのはかなり難しい。この作品を通して、彼の「自分を信じる力」には何か変化があったのだろうか。
彼に対する私の第一印象は「控え目」である。すぐに一歩下がるし、背中を向ける。それなのにそこで、誰よりも綺麗な表情管理と、高度な身体動作をしている不思議な人。
だけど、「自信がないのだろう」と感じたことはない。むしろ、目があった人に対して人差し指を口に当て「他には言わないで」なんて言い出しそうな、その「秘密感」がものすごくクールだと思っていた。
「自信が無い」の反対語は「自信がある」ではなく「自信が無い感じがしない」だというような言葉を、本で読んだことがある気がする。
この期間を通して、彼の口から「小者」という言葉を何度か聞いた。「へぇ」と思った。
慎太郎くんは、私が思っていたよりも、メンバー5人をはじめ他者に対して「敵わない」という気持ちを持っている人だったのかもしれない。
いつ見ても「自信が無い感じがしない」慎太郎くんは、どれだけの努力を重ねてきたのだろうか。
努力
森本慎太郎を「努力家」だと思うか。
ものすごく「器用な人」だと思う。幼い頃から、何をやらせても平均以上でこなしてきたエピソードを多々聞いたことがある。バラエティの企画等を見ていても同様に感じる。だけど、努力していないなんて感じたことは、一度たりともない。
「本当に努力している人は、それが努力だということに気が付かない」というような言葉を、本で読んだことがある気がする。
この荒く汚れた芸能界において第一線で活躍し続けていることが何よりの答えだし、グループ内運勢最下位の1年においてこそ数々の活躍を刻んでいる今も、何よりの答えである。
この役作りを「努力」と言わずに何と言うのだろう。
「努力」という言葉に甘えたくなければ、「負けず嫌い」だという見方もできるだろうか。否、そんな簡単な話でもない。言うなれば「責任」?
「負けることができない」環境で「勝ち続けるため」に行動することが、ずっとずっと求められている。
感情
こういう変化は、ゆっくり時間をかけて見つめ続けられたらいいなと思う。
「苦しみの報酬は経験である」という言葉を、本で読んだことがあるような気がする。
膨大な経験値で名高いアイドルの、また新しい経験は、今後もきっと彼を裏切らないだろうな。
原動力
どれだけの精神的疲労だろう。
私には、不特定多数の見えるもの/見えないものから「自分」を見定められた時の気持ちなんて分からない。全く理解できないことを、誰も傷つけないように、1から解いていく恐怖なんて分からない。
そんな中で慎太郎くんは、何度も何度も、「撮影、楽しいよ」と伝えてくれた。
ずっと「楽しい」が正直なものでありますように。
ずっと、「楽しかった!!!」が聞けますように。
意味
最終回放送後のDayDay.にて、
武田さんが、「今までは自分が面白いと思うことを追求してきたけど、これからは視聴者の面白いと思うことを追求したい、という台詞が印象に残った」と言ったら、
山里さんが、「ロケでもその話したことありますけどね(笑)森本慎太郎を通さないと伝わらなかったか!やっぱすげーな森本慎太郎(笑)」と言っていた。
その時は、すこししんみりしていたスタジオを、皮肉のようなテンションでドッと盛り上げた時間になっていたが、私にはものすごく感じるものがあった。
なぜ慎太郎くんがこの役を演じることになったのだろう。
色々綺麗ごと並べた答えはあるのだろうし、「芸人とアイドルには実は通ずるものもあって…」というような意見にも納得しているけれど、未だによく分からない。
すこぶる評判が良くて、主題歌まで引っ張てきて、本人も成長できたと言っている、確実に今後にも繋がりそうな、最高の期間だった。
でもこの世界において「この人じゃなきゃいけない」って、ものすごく希少。
わざわざ(あえての言い方)アイドルが演じた意味って何なんだろう。
慎太郎くんが出ていなければ、きっとこの作品に出会うことはなかった私は、この作品と一緒に、ただずっと「何を求めていますか?」「大きな声がだせますか?」「ひとの心が見えますか?」「大人の世界を見ましたか?」「帰るところがありますか?」「胸をはっていますか?」「どんな夢見てますか?」「そっちの道でいいですか?」「どんな明日が見えますか?」「そこは迷路じゃないですか?」「人は変わると思いますか?」「燃え上がるものありますか?」と考えていた。
別に、山里さんの言葉をストレートで解釈して「慎太郎くんが演じたから山里さんの良さが伝わった!」とか言ってるわけじゃない。
ただ、慎太郎くんでなければ、今日この世界の見方はできていないような気がするだけ。
私の「おめでとう」と「お疲れさま」よりも、どこのだれか分からない他人の偉そうな評価よりも、自分だけの達成感にくるまって眠ってほしい。
どうしても「結果」を残さなければならない世界ならば、以下の2つはとっても嬉しかったなぁ。
自分語り
私はドラマを見たことがない。なぜなら、アイドルを見ているから。
今まで見たことのあるドラマは全て、好きなアイドルが出演している。ひいては、映画やバラエティ番組においてもその通りかもしれない。マジでどうかしている。(本だけは例外の世界ですが…)
「この脚本・監督・プロデューサーが良い」とか「劇伴が良い」とか「質感が良い」とか「つくりが細かい」とか、全く分からない。知識がないから肯定/否定のしようもない。
自分の美的感覚だけは明確にあるから、「好み」は存在するけれど、それを他人と分かち合うことに必要性を感じない。
ただいつだって、そこにいる「自分にとって特別な存在であるアイドル」を見ている。
「この感情はそんな顔や声で表現するんだ」「このカットを完成させるまでに、どれほど努力をしたのだろう」「悩んだと言っていたシーン、めちゃめちゃ良かったよ」
正直、公式ハッシュタグを付けて「〇〇くん(実名)かっこいい!!」と呟き、「すみ分けしてください!」なんて怒られてる人間たちと、なんら変わらないかもしれない。感情においては。
大切な担当アイドルが、23年度4月期日曜22:30〜1話60分全12話のドラマで主演すると聞いた時、どんな気持ちになっただろう。
覚えていないし、ツイートを遡ってみたけど見当たらない。(なんで?)
「なんでこんなややこしいことするんや」も、「この2人揃えるならもっとええのあったやろ」も、「こいつじゃねぇ」も、きっとどこかで見た。
でも(自分で言ってしまうが)百戦錬磨の私にしたら、「なんでジャニーズやねん」も、「ジャニーズだからって決めつけないでください」も、「ジャニーズ毛嫌いしていてごめんなさい…最高だった!」も、「当初バッシングされたことは忘れないから」も、全部、全部、全部、全部知っとるわ。もうどうでもええ。
もちろんマイナススタートマイナスゴールになった可能性もあるし、プラススタートマイナスゴールの場合もある。しかし、その経験も十分にある。それも、もうどうでもええ。
よっぽど作品が「好み」じゃない場合、私にとっての「大切な担当アイドル」が出ていても一切見ない、という選択も容易にできる。(自分で言ってしまうが)百戦錬磨なので。
結論、何が言いたいかというと、"ドラマを見たことがない"私にとっては、「大切な担当アイドル」が今日も汗を流し笑顔で働いたという事実だけが、輝かしく美しいままに、吸収されていく。
当然、大切な担当アイドルには、達成感や他者の称賛を感じてほしいし、温かい人に囲まれて、なるべく良いことばかりが訪れてほしいとは思っている。
ただやっぱり、私はこういう人間らしい。
これ以上ないほどドラマ自体へのリスペクトはあるのだけれど、どうしてもこのような文章になってしまう。
ドラマ制作等に、日々血や汗を流していらっしゃる方へ、ものすごく失礼なことを言っている自覚はある。
だけれども、本当に素晴らしい作品は、こんな私を華麗にスルーして、ちゃんとその素晴らしさを求めている方々に届き続けるから。
これは、原作者とそのファンに対しても、原作者の創作物とそのファンに対しても、制作スタッフに対しても、ドラマファンに対しても、全く配慮が足りていない。
ただ自分勝手な、SixTONES森本慎太郎を「私にとっての大切な担当アイドル」として見ている人間の、感想(というか記録)である。
そんな私は今度、山里亮太さんのトークライブに行くらしいです。
(追記、結局行かなかった。ものすごく、自分のスタンスを体現した気分。)