ジャニーズアイドルオタクが聴く、SixTONES「人人人」
アイドルの「すました顔」がわりと好き。味方にだけ見せる屈託のない笑顔や、安心感から生まれる雑な言動も好きだけれど。
外野からの好奇な目にさらされた時に見える「何でもないわ」という鍛えられた平常心が誇らしい。そうすることが「上々(この上もなくよいこと)」だという信念。幼い頃から刷り込まれたのだろう。
アイドルとは、エンターテイメントとは、「準備」である。どう足掻いても膨大な時間を要するリハーサル。未だアナログな打ち合わせ。何分前に楽屋入りしていると思ってんだ。
私はアイドルの「準備」が好きだけど、「準備」を見せまいとするアイドルにも惹かれる。
唯一堂々とすることを許された「準備」が、ヘアメイク・スタイリングだと思っているから、興味深い分野なのかもしれない。(大人になっても案外自身でセットさせるよねぇ※別格を除いて)
露出/新譜ごとに必ず変化を見せる彼ら。アイドルとは「練習」である。顧客を酸素とする彼らにとって、現状維持は実質退化。安定感を武器にするアイドルもいるけれど、一定のクオリティを維持するためにも働きかけがある。
そういった「準備」「練習」が、「上等(品質が優れている、申し分がない)」と言ってやがる。それはつまり覚悟。
「元気を譲渡する」アイドルは多い。「元気になれよ~!」って、「元気になったか?」って、「元気でな!」ってよく言う。「譲渡」には、自分が所有するものを渡す、という意味がある。アイドルが所有するものこそが、エンターテインメントであって、そこから「元気」は生まれる。
「元気まで譲渡する」と言う彼らにとって、メインディッシュは「元気」ではない。例えば「音楽」だったり。精神論じゃなくて物質的な産物によって満足させようとするこだわりが見える。
そういうピリッとした反骨心が、つまりは自尊心だと言わんばかりに、塩コショウというスパイスを歌う。
それを「足りない」と思うのであれば、「元気を譲渡する」アイドルに留まれよと思うのであれば、伝統と文化の赤い階段ステージを「昇降」し、宙に吊るされて劇場を「昇降」し、ここに居る意味を見せつけるのかもしれない。
田中樹が歌う意味。
アイドル/グループって旅だから、死んだ方がマシだと思うほど辛いことも、人ってそんな顔できるんだと思うほど幸せそうに光る笑顔もある。そんな「喜怒哀楽」の「果て(=終わり≠その先)」つまり、アイドルの終了まで「連れてくぜ」と責任を持つアイドル。初めて見た。
アイドルにとって「演じる」ことは「やる」こと。ジャニーズのSHOWに「派手」は欠かせない。
ヒップホップスラング(?)の kick the verse(音楽やってやんぞ!みたいな意であってる?)を言っているのに、めがけるのは「きみの心」というアイドルの言葉。「心の臓」という古風な異質さ。
銀河系を歌うアイドル大好き。「宇宙(Universe)」まで届けと歌っているのにそれを踏むのは「緊張(Nervous)」なんだって、ただ当てはまった韻を並べただけじゃないから苦しさがある。
ジェシーが歌う意味。
「本番へスライディング」するほどのハードワーク。「やっちゃいなよ」に対応し続けるための度胸。1日20曲の振り入れ。無茶という名の地位を決めたアイドルにのみ与えられる、「ライティング(ステージで輝く)」という至福が見える。
「シューティング(カメラを向けられる時間)」は、表情管理下における狙い打ち。「Wait a minute」は、いま計算しているから、と言わんばかり。(シュートを狙う=ゴールとかかってて気持ちいい)
念入りなサウンドチェックは、自分の声をお前の心に刻むように響かせて(Loudness)。
突出した才能を持ちながら周りと足並みを揃える窮屈さ(Equalize)と、自分にだけ求められる圧倒的な完成度(Comp)と、明日は見えない期限付きの日々(Limit)を繰り返しながら、生きている。
京本大我が歌う意味。
イヤモニってアイドルの商売道具、武装、臓器じゃないですか。まだイヤモニを持たないJr.が、1番古い有線イヤホンみたいなのをつけていたり、裸耳のままでハモっているのを見ると大興奮する。デビューしたアイドルが自分の臓器に命彩を宿らせることにも大興奮する。
「かっぽじって」という乱暴な表現で、絶対に手放せないという焦燥感や、葛藤の末に今日もステージに立つことを決めた重圧がうかがえる。
「書いて飲んで書いて飲んで」のスピード感が、1回くらいのまじないじゃあ足りねぇよという弱さと、6人分であることの強さを、両立させている。
現状のパラメーター(移り変わる数字)はこちらの反応/反響に委ねられているという現代令和の象徴。世知辛くもあり面白くもあるよねぇ。
「おかわりおかわり」によって奮い立つことばかりではなくて、結局アイドルは、自分で奮い立たせていることも多い。いつの日からか、アンコールの声がどれだけしょぼくたって、ツアーTで2曲歌うまでがセットリストになってしまった。
アイドルがアイドルを奮い立たせている様子を表す言葉として、「We are the player!」以外に的を得ているものを、この曲を聞いた日から思い付くことができない。
森本慎太郎が歌う意味。
「心地よい音を奏でていたい、美しいステージだけを信じたい」という内向と、「上質な音を聞かせてあげよう、圧倒的なステージに酔いしれるがいい」という外向。高音と低音で聞こえるから余計にその相反を思う。
僅かな光に賭けて、拍手を浴びることのないまま忘れていった振付け。「控えも替えも」嫌と言うほど経験してきた彼らだからこそ、誰にも譲れないこの場所と、強がりがある。
本当は、アイドルの立場にハッとして言動を躊躇うことも、嘘で塗り固められた人格を肯定しながら生きていくこともせず、自分が思い描くままに居てほしい。
けどやっぱり、躊躇なく時代を切り拓いていく背中や、嘘のない真っ直ぐな瞳で紡ぐ言葉を信じて、夢見た想像の実現を求めてしまう。
「笑顔にさせること」と「夢を与えること」はアイドルの二大任務。
PlayerでもありFactoryでもある彼らだからこそ、100通りが達成する。「Playerであること」が筋書き通りであるならば、「Factoryでもあれる我ら」は新時代だから、「何があったってShow time」という信念を実現することができる。
しかしそんな夢物語の裏で、一心不乱に何度もまじないを繰り返して不安を誤魔化し、「何があったってShow time」という呪縛から逃れられないでいる。
なんか暗い話になったんですけど。
「飲み込ん」でいたはずの【人】を「かっこむ(かきこむ)」とする雑味が、「超だりぃ」を効果的にしている。
人の中に人が飛び込んでいく開演時間、それはつまり、エンタテインメントによって出来た「アザ(衝撃・打撲の痕)」が「疼く(痛む)」時間。
彼らはズキズキとした患部を擦りながら、苦笑いで「あざっす」と言っているのかもしれない。私たちには「今日は来てくれて本当にありがとう!」「スタッフさんにも大きな拍手を!」と聞こえているが。
それでも彼らは腹を空かせていて、自分たちの音楽と私たちのクラップで成る「シアワセ」というご馳走に飢えている。
アイドルの主食はオーディエンス。一度その美味を知った者は、もう他で満たされるはずがない。
私は、アイドルなんてきっと「キャーキャー言われることが好きな人」でないと続かないという自論を持っている。
ステージに立てるか?いっそのこと辞めてやるか?袖で右往左往するアイドル。彼らはアイドルに「急成長する処法」がないことを知っているから、「開けゴマ(一瞬の解決)」には頼れなくて、「描け人(気持ちばかりの緩和)」にすがる。
足場を踏み切ってShowに飛び出し、光(元気)と夢の二大任務を遂行するアイドルの手が震えていることを、私は知らない。
そして、「Gotta be your stars…」と「何があったって Show time」は、実は同義語なのかもしれないと気付いた。
カタカナ表記の効果で「本音」にも聞こえるし「嘘」にも聞こえる。
「ホラ吹けばステージの王者」って、本来の意味合いと違うかもしれないけど、MCで適当こいてる6人が1番キラキラ笑ってる姿を思い出して、なんだか幸せになるね。
「ステージの王者」でありたい、「著者:俺ら」でありたい。そんな思いを内々に抱えて「ニンニンニン」と、冗談交じりなフリして忍び寄ってくるけど、いや待てーい!!!やっぱ無理!!!!!!と引き返して、必死にまじないを唱えているみたい。
昔から言い伝えられてきたまじないを純粋に信じている(信じることしかできない)アイドル。
ザ・パイオニアである(になれる)彼らが「先人の知恵借りてエンジンかけ」ていることに震える。
すでに整備された道を6人で暴れまわることで、気付いたら新しい足の踏み場をつくっているかもしれない。
人の渦に飲まれる前に、人という字を飲んで、今日もステージに立つ。6人だから「すました顔」でいられる。
4公演した後に深夜ラジオをして、朝を迎えてもまたてっぺんまで働くような、目が回る日々だから、隣にいるあいつの肩にもたれている。
お前(=メンバーという人)がいないと生きていけないし、お腹が空いては動けない(=ファンという人)し、結局この仕事はやめられない(=アイドルという人)。
だから今日も、彼は、彼らは、Player=アイドルなのかもしれない。
こういった曲を、とにかく楽しそうに笑い合いながら歌っているアイドルがいる。
アイドルとは、何か。
アイドルとは、アイドルだ。