屋久島で触れた、ツアーガイドという仕事
プロの手を借りなきゃ!
「一面苔むした森の中に、大昔から生きる大木があるところ」。その程度の認識で、名物の縄文杉ってやつだけ見に行こうね〜とのんきに計画した屋久島旅行。交通手段と宿だけ決めて放置していたものを、日程が迫ってきてからやっと下調べを始めた。
すると、思いがけず衝撃的な事実が見えてきた。
・島のシンボル「縄文杉」は、11時間の登山の末にやっと拝める
・暗くなる前に下山するためには、出発は朝5時、起床は4時
・1カ月のうち20日が雨天とも言われる気候
ガイドブックに淡いタッチで添えられた絵では山ガールがウインクしている。しかしよく見るとそれも、背には巨大な登山リュック、両手にはトレッキングポールの完全装備だ。かつて初心者向けと言われる筑波山での晴天下トレッキングですら人目をはばからず四足歩行になったことがある私は呆然。
たいへん。素人だけじゃ無理だよこれ!
同行者宛てにひとこと注意喚起のメッセージを送り、慌ててガイドさんつきの貸切ツアーに申し込んだ。
そして担当してくれたガイドさんの「プロの仕事」が、本当にすごかったのだ。自分にとって、今年一番印象深い出会いになった。
体力、知識、ホスピタリティ
屋久島登山当日。朝4時のシンと肌寒い空気の中、ガイドのイシイさんは車で迎えにきてくれた。背負う登山用リュックは、後頭部まで高さがある巨大なもの。対して、レンタルしたリュックに主にお弁当と上着を詰めただけの私は早速不安になった。一体何が入っているんだろう。
バスで山のふもとまで移動し、いよいよ登山開始。スタート地点は標高1000メートルほどで、頂上までの残り700メートルを5〜6時間かけて登ることになる。前半の3時間は平坦な道。トロッコ用の線路に沿って歩くので、枕木に足を取られないように気を付ける。片側はずっと崖だ。
「静岡ご出身なんですね。今日登る山は富士山ほどは過酷じゃないので大丈夫ですよ〜!」
「高いところ平気ですか? 去年この吊橋から落ちた観光客の方は、途中の枝に引っかかって間一髪助かったらしいです(笑)」
「運が良ければシカかサルかのどちらかには会えるかも!」
持ち前の人見知りを遺憾なく発揮する私に、イシイさんは明るく話しかけてくれる。
そう、気づけばずっとしゃべってくれている。3時間の平らな道が終わり、いよいよ登山らしい勾配と戦い始めてからも、イシイさんの声色は明るかった。
このあたりから、私は彼女のすごさを感じ始めた。
まさかまさか、この先もずっとなのか。登り下り11時間、そんな荷物を背負って歩きながら、話しかけ続けてくれるのか。果てしない山歩きで私は相槌も苦しいというのに、あなたは後ろを歩く私に聞こえるよう声を張り上げて語り続けるのか。一体どんな肺と脚をお持ちなんだ、イシイさん!
それも、間を埋めるためだけの空っぽなおしゃべりではない。まずは島の地形の特徴。トロッコ道の元々の用途。屋久杉と他の杉の違い。屋久島はかつて林業からの大転換を決断し、時間をかけていまの観光の島に変貌を遂げたこと。
自分たちだけで歩けばきっと「森」「大木」としか認識できず数時間で飽きてしまったであろう景色が、彼女の解説のおかげで、島の歴史を語るものに変わる。
「今朝バスのチケットを売ってくれたおじいさん、あの人はまだここが林業の島だった頃に小学生だったそうですよ。野球部で、チームのみんなでトロッコに乗ってふもとに下りては他の小学校と練習試合をしたんですって」
言いながら、今度は湧水を沸かしてお味噌汁を作ってくれていた。肩で息をしながら延々歩いた後に嗅ぐ出汁の香りは、鼻の奥をツンとさせる。彼女の大荷物の正体は、携帯コンロだのステンレスマグだの、おもてなしのためのアウトドアギアの数々だった。
縄文杉との対面を輝かせたのは
ふもとを6時に出発して5時間半後、目的地である展望デッキは唐突に姿を現した。あそこから、最大の目的である「縄文杉」が見えるのだ。
いざ、対面した縄文杉はというと……「遠くない?」が率直な感想だった。
確かに大きく古く、立派な大木ではある。しかし30年前から、皮をめくるなどのいたずらから縄文杉を守るべく強い規制が敷かれていた。この展望デッキもその一環で、要は「これ以上近づくことを禁ずる」という意味で設置されたもの。正直、ダイレクトなサイズ感は感じにくい。
さらに、ここに辿り着いた人々はみんな往路で既に充分立派な屋久杉たちを間近で眺めながら来た。根をまたぎ、直に触れ、その存在感に驚かされた他の屋久杉と比べてなお、目の前の縄文杉に感じるものがあるかというと……。
このいまいち感激しきれない気持ちから救ってくれたのは、やはりイシイさんだった。話してくれたのは「縄文杉」という名称の由来。
それは、かつて時代に迫られて林業から観光業に転換を図ることが決まったとき「何かシンボルになるものを!」と立ち上がった、観光課長の冒険譚だった。島のどこかにあると言われていた巨大な杉。伝説のような存在を、彼は何年もかけて探し回った。そしてついに見つけたこの大屋久杉に、自分の名前から一字とって命名したのだ。
しかし、その名称は今日あまり知られていない。
「それは、当時この大発見が地元の新聞で伝えられたときの見出しがあまりに格好良かったせいなんです」
こうして、観光課長の奇跡のような偉業を尻目に、大屋久杉は「縄文杉」と親しまれるようになった。
まあでも狙い通り観光客はみんな縄文杉を見に来てるんだし、観光課長もきっと本望ですよね! そんな軽口を叩いた私は、気づけば縄文杉との出会いを心から楽しんでいた。
同行者の膝が故障
さて、最大の目的を果たし、あとは暗くなる前に下山するばかりとなった。登りよりはラクなはずと踏んでいたのだが、今度は体力というより恐怖感との戦いだった。道の片側は相変わらず断崖絶壁。しかも少し雨が降ったので地面はいかにも滑りそうに濡れている。ずっと思ってたんだけど、ここほんとに観光客が来ていいところ?
そして事は起きた。往路の時点で私よりさらに何割かしんどそうにしていた同行者が、下りの影響か完全に脚を痛めたのである。膝をかばうのでもつれやすく、一度崖すれすれのところでズルッといったときには後ろで見ていて声も出なかった。
きつそうにしているのを見るとせめて体力が回復するまで待ってあげたいが、日の入りまでの時間を考えるとあまりもたもたしていられない。
ここでイシイさんが繰り出したプロの技は、テーピングだった。同行者を座らせると、患部を確認しながら手早くテープを巻いていく。さらにしっかりめのサポーターまで貸してくれた。立ち上がった同行者の足取りが、明らかに改善している。
「登りでちゃっかり時間を巻いたので、少々ゆっくりでも大丈夫ですよ。ポールを上手に使って一歩一歩下りましょう!」
どろどろに疲れているときの根拠ある励ましの言葉は、本当に力になる。
彼女を突き動かすもの
なんとか予定時刻までに下山完了。無事に、しかも道中を楽しみながら縄文杉を見てくることは、イシイさんの全面サポートなしではあり得なかった。
聞けば週1〜2日は今日のルートで縄文杉ツアーをガイドし、そうでない日も他の比較的ゆるやかな登山ツアーを3日ほどこなしているという。縄文杉以外の登山は休息日だと思ってます、と彼女は笑ったが、ずっしり重い脚を引きずる私はまったく笑えない。
「私は関東の生まれなんですが、学生のとき屋久島に惚れてしまって。移住して5年です。単にきれいなだけじゃなくて、なんだか離れられない魅力があるんですよねえ」
この島の観光業を支えている人の大半は、屋久島に惚れ込んだ元観光客なのだそうだ。
「私たちみたいなのを、屋久島中毒者、ヤクチュウっていうんですよ」
常人はちょっと真似できない暮らしをする彼女は、本当に楽しそうに活躍していた。
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このnoteは「書く」を学び合うコミュニティsentenceの、アドベントカレンダー「2021年の出会い」の15日目の記事です。
https://adventar.org/calendars/6564
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