憧れの人。

毎日ブログ2610日目。

この夏、東京オリンピックがどうなるのか?

そんな議題があちらこちらで聞こえる昨今ですが、




僕にとっての

一番古くに記憶のあるオリンピックは

1992年バルセロナオリンピック。





柔道をはじめたその年に

開催されたオリンピックで憧れの人ができた。




金メダル最有力候補と言われ

大会直前に大けがをしてもうダメか?

と思わせておいて感動の金メダル。




小学4年生の僕は目を輝かせ、心が躍った。



小学6年生の時に観戦に行った

全日本選手権で

試合を見に来ているその方を見つけ

サインをもらった時は本当に嬉しかった。




中学に入っても

バルセロナオリンピックで

その方が準決勝で見せた背負い投げのシーンを

マネしたくて友だちにわざと上で暴れてもらって

そのまま投げる練習をした。




釣手を脇口を持って行う逆の一本背負いも

練習を何回もした。




アトランタオリンピックで

勝ちを目前にして銀メダルに終わった時の

あの呆然とした表情は勝負の厳しさを

目の当たりにした。






引退か?と騒がれても

シドニーオリンピックを目指し、

最後まで戦う姿は本当にかっこよかったし、




引退を決めた時は

1つの時代が終わったと思った。





僕の中の「柔道」は

人生の中でとても大きなもので

その中で最初に知った柔道家であり

最初に憧れた人古賀稔彦さん。





そんな古賀稔彦さんが亡くなった。

というニュースは耳を疑う大きな衝撃でした。




21歳の時

そんな憧れの人に会えることがあった。

縁あって講演会に来る

古賀稔彦さんの車での送迎を任された。





駅に迎えに行き、初めてあった時に

震えた。





緊張しすぎて古賀さんの

「今日はよろしくね!」の返事に




普段使ったこともない「押忍。」

という言葉が出て来て

「押忍は空手だろ〜。笑」

と突っ込んでくれた。






会場に向かう中

どんな会話をしたかは覚えていないけど

初めて会う若造の僕にしきりに話をしてくれたことは

覚えている。





憧れと会って

尚、憧れなままだった。





今、うちでやっている「木根塾」も

古賀さんがやっている柔道道場の名前

「古賀塾」からインスパイアされたものだ。




10歳からの僕に大きな影響を与えてくれた

古賀さんの死は受け入れ難いショックな出来事でした。





あまり考えたことないままに

「憧れ」と表現していたけど

今回のことでどんな部分に憧れているか?

考えてみた。




柔道にまっすぐなところ。

そんなことが頭に浮かんだ。




現役を退いた後

テレビバラエティーに出るときも僕が知る限り

柔道家として出演しているところしか見たことがない。





1つのことに真っ直ぐなところ。

そこに惹かれる。





そして

「憧れの人」のように

僕自身も真っ直ぐでありたい。

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