無音、間
先日東京03のライブに行ってきた。
あるコントの中で、飯塚が角田に対して
「お前、間とか無音に耐えられないタイプの人間だろ!耐えられなくって、どうでもいいような中身のない話をとりあえずしちゃうやつだろ!」
みたいなセリフを言うシーンがあって、すごく自分が当てはまる気がして刺さった。
昔よりはマシになったと思っている。
最近は、話している相手の表情や、いまは考えている時間だな、などとと想像してあえて話さないようにすることもある。
でも気を抜くと、とにかく間を埋めるためだけの会話を、それも何の脈略もなく、中身もない会話をほぼ1人で繰り広げる、みたいなことは少なくない。
相手に嫌われたくない!と思えば思うほど、その傾向は強まる。取引先の相手に対してそうなることはあんまりない。むしろ自分から話すのが失礼だとか思っちゃってる。よくわかんない。
会話についてはそんな感じなんだけど、
1人の時間についても、私は自分自身の間とか、無音に割と耐えられないタイプなのかもと思った。
暇になったらとりあえずベッドに横になって
Twitter、Instagram、スレッズ、YouTube、note、NewsPicksに溢れるあらゆるコンテンツを自分の中に流し込む。
自分の時間を無駄にしたくない、みたいな意識が強すぎる気がする。いや、本当はそういうSNSを眺める時間こそが本当の無駄なのだけれど。いや、無駄とは言い切れないか。たまに良い発見もあるから。でも9割無駄。非生産的。だと頭では思ってる。
だから、今思い返すと、昔からそうだけど
実は喫茶店でぼーっと時間を過ごすとか、小説を読むとか、晴れた日の河原でのんびり過ごすとか、
意図的にそういう時間を誰かに創り出してもらえばするけど、自分からやることはまずない。
あと、オシャレなカフェをわざわざ探し出して、朝食を食べにいく、とか、ありえない。
家でパン焼いてヨーグルトと紅茶でいいじゃん、て思っちゃう。昔から。
だからもう最近は、たとえば好きなこととか興味あることが見つかったら、それをどう事業化させるか、みたいなことしか考えていない。
実際に事業化するかしないかは別として、そういう妄想をしていないと落ち着かなくなっているんだと思う。
これから行ってみたいパン屋さんとか、喫茶店とか、本屋とか、そういうのを探すことはまずない。
でもこれって本当に生産的なんだろうか。
間があってこそ生まれる結果、みたいなのって、ある。
無音の時間に良いアイディアが閃くこともある。
実際スマホもいじれないくらい体調悪くて寝るしか出来ないってときのフラットな頭で考えついたアイデアが結構良いってことは、少なくない。
なので、私の心理的な"間"を避ける、嫌がる、怖がるという行動は、実はとっても非生産的で、
ちゃんと無音に向き合った方が、結果的に良い方向に進む可能性が高いのかもしれない。
リアルな時間に向き合うことをもっと大切にしていこう。それってもしかして、丁寧な暮らし?