自己否定と焦燥感、愛を貪るわたし
「甘いシュガー 貪るみたいに 死ぬまで子供のままですか」
この歌詞を書いた10年前から、全然成長できていないなと思う。
ともすればこの頃のほうがしっかりしていたかもしれない。
北九州にきてから4ヶ月ほどが経った。
コワーキングスペース"秘密基地"でとにかくたくさんの人と交流しながら、音楽やその他のことがすこしずつ仕事になっていたり、メンターの先生のもとでElixirという言語を志してプログラミングやコンピューター工学の勉強をしている。
横浜、もとい首都圏を離れたことに大きな迷いが生じたときもあったし、もちろん物理的な制約もある。双極性障害の診断を受け、精神障害者手帳の等級も2級になり、ひとりで暮らしをマネージするのがもう限界だ、と思ったときも何度もある。
けれど、”秘密基地"内でのコワーカーやアントレプレナー向けのセミナー"創生塾"を受講したり、いまこの地で学んでいる様々なことは、けして無駄撃ちにならずわたしのライフワークへ繋がっていく、と信じている。
それでもいまだに根強くわたしのなかに残っている、これまでのあらゆるライスワークへの挫折と、何度も自分を殺める寸前まで至った自己否定の気持ち。残念ながら書き出しから綯交ぜなままで解くのは難しそうだが、きょうはそんなことを書こうかと思う。
これまでわたしの衝動性は、いろんな形で現れてきた。
バンドの楽曲のカラー、突然の一念発起、ネットでエモいことを書き散らすも成果物が伴わない、機材を全て破壊したのちの自殺未遂...
特に自分にとって一番大事な音楽は、何度トライしても自己肯定感に足る制作ペースに至ることもなければ、仕事にするのに必要な鋼のマインドを得られることもなかった。
まったくバンドマンとしてセールスに恵まれたわけではないが、当時はそこそこ目立つ存在ではあったと思う。なにか書けば反響があったし、人に巡り会えば特別な言葉で持ち上げてもらえることも多かった。
しかし、前述のような歪に激しく前後する衝動性で失敗や自他との約束を破る結果を繰り返していくにつれ、楽曲なり、自分にとって大切な言葉なりの波及力は、目に見えて落ちていった。
そこから地続きのいま。
曲を作りたいが自分との約束を守れるだろうか。リリースがしたいけれど反応はあるんだろうか。いろんな人を巻き込みたいけど責任が取れるのだろうか。
それらの気持ちに蓋をしたまま過ごしていた時期もある。
けれども、仕事で作曲をする機会にどれだけ恵まれても、それらの成果が根本的に自己肯定感に帰与することは残念ながらないことが分かったし、いくら未来のためとはいえプログラミングに没頭しても、それだけで答えが出ることはなかった。
ライスなんだかライフなんだかワークなのかも分からないが、わたしは自分はアーティストを続けるべきだと思っている。
このままギターや唄から離れ続けていればやがてそれは致命的になると思っているし、憧れて聴いているクラブシーンのトラックメイカーたちの曲には、現時点では圧倒的な技術的な壁を感じている。
...未来の話をしよう。
わたしなりに手馴染みの衝動性や自己否定で失敗を繰り返してきてわかったのだ、もうこんなこと続けていたら精神がいくつあっても足りない、年相応で持続可能なライフスタイルを獲得せねばならない、と。
そして、書き出しから探っていた論理的帰結にようやく行き着くのだが、コンスタントな制作を可能にするのは一時の衝動ではなく習慣で、習慣いわばルーチンを保つこととは、理性が感情に優位することなのだ。
20代前半までには、いくつか自分ではエバーグリーンと思える楽曲が書けたと思う。
しかし、今を生きるわたしに必要なのは、その成功体験に基づくライフスタイルの破棄と更新だったのだ。
自己実現や祈り、魂の救済のような話をしているのかもしれない。
それでも、そのためにそれまでアーティスト然としていると思っていた虚像を捨て去ることを選ぶのならば、それはわたしなりのささやかなリアリズムといって差し支えないと思う。
わたしは、わたしを肯定する。
早寝早起き、ロックンロール。
うまずたゆまず、頑張ります。
Kento Mizuno
このnote内での活動にかかわらず、音楽家としてのわたしを応援してくれる方がいたらとても嬉しいです。読んで、聴いて、リアクションいただけるだけでも、飛び上がるくらい嬉しいです。宜しくお願い致します。