「描く」ことについて書きたくなった日。
「白の使い方が上手いね」
中学校の美術の時間に一度だけ、そう褒められたことがある。
もともと絵を描くのは好きだったが、決して上手いわけではなかったし、「白の使い方ね、そうなんですね」くらいしか思わなかった。
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小学生の頃は「星のカービィ」が好きで、自由帳にひたすらカービィだけを描き続けていた。
(クラスメイトからは揶揄するように「カービィ少年」と呼ばれた。笑)
中学生になり、美術の授業では本格的に「美術」を学ぶ。
グラデーション、空気遠近法、なんとか点透視図法。
文字を装飾する「レタリング」が気に入って、休み時間、プリントの裏にひたすらレタリングをしていたときもあった。
「描く」ことは嫌いじゃなかった。
高校では芸術科目は選択制。音楽・美術・書道の中から、第二希望までを出す。
合唱部に所属していたこともあり、第一希望は迷わず音楽を選んだ。
そしてどういうわけか、第二希望に美術は選ばなかった。
当時のことはよく覚えていないけれど、それ以来「描く」ことから離れてしまったのは確かだ。
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16年後、再び「描く」という営みに没頭したのは、「Art Lounge Reframe」というイベントでのこと。
手元には、太さの違う複数の筆、冷蔵庫にあったら確実に調味料と見紛うであろう大きさのアクリル絵の具、紙皿のパレット。
いわゆる「模写」をやるのだが、上手く描くことが目的ではない。「描く」という体験を通じて、自分を見つめ直し、捉え直す(Reframe)こと。それがこの会の目的だった。
講師の齋藤千絵先生のレクチャーのもと、キャンバスに思い思いの色を載せていく。
…はずだったが、僕はその手前の「パレットに色を作る」段階からなかなか次に進めなかった。
頭の中に、出したい色のイメージはある。
黄色に、白に、少しの茶色と、雀の涙ほどの青み。
しかし困ったことに、いくら筆の先でぐるぐると混ぜても思ったような色は出なかった。
観念して、仕方なくキャンバスに筆を走らせてみる。
あれ、全然足りない。
首を傾げながら、懲りずにまたいくつかの色を混ぜる。しかし、先ほどと同じ色は、もう出ない。
気分よく鼻歌を歌っていたのに、いつの間にか原曲と異なるキーで歌っていて歌いづらくなる時のような違和感。
そうしていくつもの「あれ?」「ちょっと違うんだよな…」を繰り返し、絵は次第に完成に近づいていく。いや、とりあえず完成させたと言った方が正しいか。
あっという間の2時間。満足のいく出来ではないが、不思議と充実感をおぼえていた。
終わってからは参加者同士でお互いの絵を見せ合いながら感想をシェアする。
模写の対象は一つの絵だが、一人ひとり捉え方や表現の仕方がこんなに違うものか、と思わず息を呑む。
それはまるで、一人ひとりの心や生き様を写しているようだった。
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「みやけんさんは混合色をしっかり使えていて素敵ね!きっと実験的なことが好きなんでしょう?」
千絵先生の一言ではっとした。
そうか、あの時の美術の先生が言ったのはそういうことだったのだ。
過去と現在が、繋がった瞬間。
百均でフックと紐を買い、引っ越したばかりの部屋の壁に飾る。
額縁も、作品の解説もない。
でもその空間だけは、展覧会のようで。
「描くのが好き」だった自分を思い出して、胸がいっぱいになったのだった。
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