友 今君が見上げる空は どんな色に見えていますか?
2020年3月2日
突然の、あまりに突然の知らせだった。
LINEのトーク画面を見て、頭から血の気が引いていくような感覚とともに、その場を動けなくなった。
人はそれを「頭が真っ白になった」と表現するのだろう。
正直なところ、僕は彼と特別親しいわけではなかった。
それでも、彼のことを尊敬していたし、大切な仲間だった。
ただ呆然と、スマホの画面を見つめることしかできなかった。
30分ほどたち、少しだけ頭の回転が戻ってきた。
遠方なので若干のためらいもあったが、無理してでも行かなければいけない気がして、その日のうちに上司やチームメンバーに連絡し、2日後に有休をとることにした。
2020年3月3日
この日はあっという間だった。
出勤はしたが、午前中にしょうもないミスを連発し、自分が思っている以上に精神的なダメージを受けているのを実感した。
翌日は朝早かったので、必要な物を買うために早めに仕事を終えた。
ぼーっとしていると辛い思いばかりが募ってくるので、移動中にマナーサイトを読み漁って、どうにか意識をそらそうとした。
帰宅後、ちょうどテレビでは「春の歌特集」のような番組がやっていた。
ゆずが出演していて、歌ったのは「友 ~旅立ちの時~」という曲だった。
その曲は、僕らが彼と一緒に、卒業ライブの全体合唱で歌った曲だった。
まだ実感を持つことはできていなくて、「偶然ってあるんだなあ」くらいにしか思えなかった。
その日の夜、まどろみの中で、彼を含めた何人かでライブを見るため、夜行バスで東京に行ったことをはっと思い出した。
大学2年生の頃だったので、卒業して以来4年ほど、その出来事を思い出したことは1度もなかった。
しかし、その瞬間だけは、どういうわけかはっきり思い出した。
布団をかぶって、少しだけ泣いた。
2020年3月4日
最寄りの駅に着き、同じようにかけつけた友人と合流した。
みんな変わらない様子で、少し安心した。
会場について、彼のご親族に挨拶をした。
会が進んでいくうちにすこしずつ実感が湧いてきて、声も出せないほどに泣いた。
友人たちも皆同じだった。
最後のお別れをして、彼のご両親とお話をした。
彼の思い出話をしていくうちに、僕らと過ごした大学生活が彼にとってどんなに楽しいものであったかを悟った。
その証拠に、彼の遺したものの中には、学生時代の寄せ書きや思い出の品がたくさんあった。
彼と同じ時間を共有できたことが、この上なくかけがえのないものだと感じた。
会場を後にし、居酒屋に行った。
緊張が抜けたこともあり、お互いの想いを素直に吐き出しあった。
「たられば」ばかりの、不毛な会話だったかもしれない。
でも、僕らにはその時間が必要だった。そうすることで、僕も友人たちも、自分を保とうとしたのだろう。
ひとしきり話し込んだ後、カラオケに行った。
カラオケでは彼の好きだった曲、よく歌っていた曲、そして僕らが彼とともに歌った曲を立て続けに歌った。
こういった表現は不謹慎なのかもしれないが、彼との思い出を一つ一つなぞるように熱唱しあうのは楽しかった。
彼も一緒になって、いつものように気だるそうにタンバリンでも叩いてくれればもっと楽しいのに、なんて思った。
終了時間が近づいて、最後の1曲を入れた。
曲はもちろん、ゆずの「友 ~旅立ちの時~ 」だ。
友 さようならそしてありがとう 再び会えるその時まで
友 僕たちが見上げる空は どこまでも続き 輝いてる
同じ空の下 どこかで僕たちは いつも繋がっている
今の僕らの心境にぴったりの、彼に贈るにふさわしい曲だったと思う。
カラオケボックスを出て、二手に分かれ、新幹線に乗った。
そして帰りの新幹線でこのnoteを書いた。
彼のこと、そして「身近な人がいついなくなってしまうかは誰にもわからない」ということを忘れないために。
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