13年ぶりの祖父母の家で、答え合わせをした。
祖父母の家に行った。東日本大震災以来だから、たぶん13年ぶり。
東京から高速バスに乗って2時間。田んぼと畑と林しかない道をただ進む。名前はよく知らないけれど、千葉県の海沿いの地域。
途中「干潟」というバス停に留まり、「さすがにそれはネーミングが適当すぎないか」と心の中でツッコむ。
高速バスに乗ると何故か食べたくなる干し梅をちまちまと食べながら、何もない空を見上げてぼうっとする。バスの中は子供の声、旅行好きの老夫婦のぼやき。
中央病院の外れ、ただ平野が広がるバス停に降ろされる。
前に来たときはなかったイオンモールに出迎えられ、ああここにも再開発の波が、と思ったりした。
すでに滞在していた母の車で、祖父母の家に着いた。心なしか建物は以前より小さくなったように見える。
勝手口の看板を見て、祖父がまだ教室をやっていることに気づく(祖父は書道の先生をやっている)。
玄関に入ると、懐かしい匂いに包まれた。もう80代も半ばに差し掛かるであろう祖父母は思ったより元気で(久しぶりに会いに来た孫の前だからそう見せているのかもしれないが)、以前会った時と何も変わらないように思えた。
大人はどうしてこうも昔話ばかりするのだろう、と思うこともある。でも自然と、昔話に手を叩いて笑う自分が気がつけばそこにいた。
ふと玄関に並ぶ壺や陶芸品が目に入る。聞くとそれは、祖母が昔やっていたお店で売られていたものらしい。
僕の祖母がお店を持っていて、自分のハンドメイド作品を売っていたことはうっすらと覚えていた。でも、そういった活動について詳しく聞いたことはなかった。
なんでも祖母がやっていたのは今でいう「セレクトショップ」で、無名の版画家や陶芸家の作品を展示し販売もする、お金に苦労する芸術家にとって当時は画期的な場だったそうだ。
だから、昔から祖父母の家にはただの酒好きにしか見えない作家さんをはじめ、変わった大人が多く出入りしていたという。
そんな縁で付き合いのように作品を購入していたら膨大な量になり、今は手入れも処分もすることもできず仕方なく家に置いているらしい。
その話を聞いている間、不思議と涙が出そうでたまらなかった。何度も鼻水をかまねばならず、鼻炎持ち、という言い訳は苦しかっただろうか。
自分の中にたしかにあり、でもずっと正体を掴めなかった「アートに惹かれる感性」のルーツに気づいた瞬間だった。
大人になった今、親しい人たちは音楽や文章や美術や食やお酒を愛し、モノよりコトを味わう人たちが多いことにも合点がいく。
自分の感性の拠り所は、ここにあったんだ。
答え合わせをした帰り、バスの中でも涙は止まらなかった。
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