2019年、書き納め。

大掃除も終わり、あとは新年を待つだけ。

やり残したことがないと言えば嘘になるが、それでもやるだけやった1年だったように思う。

いつもは記事の構成とか、どういうテーマで書くとかをしっかり決めてから書くのだけれど、今回だけは筆の進むままに、書き納めてみようと思っている。

そのためいつもよりいささか読みづらく、支離滅裂な内容になるかもしれない。「〇〇の話」と申し訳程度に見出しだけはつけておこうと思う。なんだかそれって子供の頃に流行ったお笑い番組「エンタの神様」に出てた芸人、長井秀和みたいだな。今、彼はどうしているんだろうか。まあ、いいや。

「終わり」を意識し始めた話

今後の人生に影響を与える大きな決断や、自分が変化するきっかけの多かった年だったように思う。大げさに言うと、いわゆる「ターニングポイント」というやつだ。

その背景には明確に「30歳」という節目の年(この場合の漢字は「歳」?)が迫っているという、逃れようのない事実があるし、周りにいる同年代の仲間や諸先輩方が、次々と新たなライフステージやら転職やらなにやらに向き合っていることがある。

今僕は26歳で、来年(厳密に言うなら来月)には27歳になる。30歳になるまでちょうどあと3年だ。この3年の間に何ができるかが、確実にその後の人生の方向性を決める。誰に言われたわけでもないが、そんな感じがしている。

30歳になったら、たぶん今ほど趣味に時間を割くことはできないだろうし(とはいえどうにかするんだろうけれど)、仲間と集まって歌うなんてことも、気軽にできなくなってくると思う。そういったある種の「終わり」を意識することが、怠惰な自分を突き動かし、いい方向へと運んでくれた。そんな気がする。

例をあげるならば、1年半以上所属していたアカペラ団体を辞めたことや、自分の「こころ」を知るためにコーチングを受けたことは、そういった「なんかこのまま惰性で生きているのはやばい気がする」「3、4年後も同じように生きていられる保証はない気がする」といった意識が行動に表れたものだ。

(鏡を見つめる猫、かわいい)

とはいえこうした意思決定も一人きりではできたわけではなく、相談に乗ってくれたり、「こんな選択肢があるよ」と示してくれたりした方々のおかげだなあ、と思う。いや本当に、人の縁に恵まれた年だった。ありがたや、ありがたや。

「書くこと」の話

気づけばここまでで988文字。僕のnoteはついつい長くなってしまう。普段から「話が長い」「説明が長い」とよく言われる。反省。

だから話を聞いてくれたり、こうやってnoteを読んでくれたりする方にはやっぱり感謝が止まらない。いつもありがとう。

しかしよく考えてみると、僕はもともと文章を書いたり発表したりすることが好きなタイプではなかった。むしろ大嫌いであったようにも思う。

例えば、夏休みの読書感想文。あれは本当に地獄だった。

本を読むこと自体は大好きだ。小学生時代、僕は真面目な生徒だったが、一度だけ授業をサボったことがある。

サボるつもりなんてなかった。二時間目の授業の後の少し長い休み時間(といっても15分だったような気がする)に図書室で本を読んでいて、気がついたら給食の時間になっていた。それくらい本が好きだ。

しかし本来、本を読んだ感想は内にとどめておき、独り占めして楽しむものではないだろうか?なぜそれをわざわざ文字にして人様の目にさらけ出す必要がある?

そんな疑問を持ちながらも誰にも聞けなかった僕は、毎年泣きながら原稿用紙に向き合い読書感想文と戦っていた。

あまりに書きたくなさすぎて、提出しないこともあった。後日、クラス全員の読書感想文が「学級だより」的なプリントにまとめられ全員に配られた。もちろんそこに僕の感想文はない。親に問い詰められて、また泣く。

…案の定長くなってしまったが、何が言いたいかというと、そんな自分でもこうやって長々と文章を書いて人様の目に積極的に晒されようとしていることは、滑稽というか、皮肉というか、生きていると不思議なこともあるものだなあということだ。

確実に言えることは、このような自分の拙い文章でも、読んで共感してくれたり話題にしてくれたりする人がいるということだ。SNSの時代に生まれてよかった、優しい人たちに囲まれていてよかった。ありがたや、ありがたや。

「アカペラ」、そして「音楽活動」の話

いまだに、「どうして自分はアカペラをやっているんだろう」と思うことがしばしばある。

知り合いには驚かれることだが、僕は普段アカペラをほとんど聴かない。

音楽を聴くタイミングは通勤中や移動中、仕事中(作業に集中している時)、家事をやっている時など。よく聴いているのはもっぱらジャズやボサノバなどのカフェミュージック的なもの、J-POPだと多い順にOfficial髭男dism、aiko、Mr.children。

アカペラはどうかというと、自分のバンドでコピーしているプログループの曲か、本当に好きな一部のプロ・アマチュアグループを聴くくらいだ。あとはTwitterで流れてくるアカペラ動画を少し。強いていうなら、知人が出るライブに誘われた時に観客として聴くくらいだろうか。

それくらいに、僕はアカペラを聴かない。

(意図せずあいみょんの楽曲のタイトルっぽくなり、一人でふふっと笑った。どうでもいいか。)

でもアカペラは好きだし、アカペラをやっている仲間たちのことも好きだ。

いまだに自分の中で、自分がやる音楽が「アカペラ」である必然性が見いだせていない。これまでの人生における出来事の延長線上に、最適解として「アカペラ」があったにすぎないのではないか、という感覚がある。

だから、今自分がやっているもろもろの活動(発信したり、制作したり、場を設けたり)は、僕が続けているものが合唱であっても、吹奏楽であっても、もはや音楽ではない何か(それはマンガがったかもしれないし、自転車だったかもしれないし、銭湯巡りだったかもしれない)であっても、同じような活動をしていたんじゃないかな、と思う。

また話の方向性が迷子になってきたので、今自分が考えていることを端的に言うと、来年は今よりもアカペラ以外の音楽の領域に足を突っ込みたいと考えている。

…と書いていて思い出したのが、今年の誕生日に書いたこのnote。

まあ「アカペラのアレンジャー」自体は辞めてはいないのだけれども、「アカペラの編成ではないアレンジは(クオリティはさておき)少しづつチャレンジしていたりする。

特に、自分が持つ特殊能力(だと思っている)「aikoっぽい作編曲ができる能力」を駆使して投稿した2曲は、SNS上で一定の反響があり、大変嬉しかった。

1曲目、『「龍角散ののどすっきり飴®️」の袋の裏に書いてあった文章』。

曲名長いな。

(ちなみにこれはゴスペラーズの北山陽一さんに引用リツイートしていただき、aiko先生ご本人に届いた可能性すらあり、震えた。いや届いていないだろうけど。)


そして2曲目、クリスマスソングの代名詞『ジングルベル』をaikoっぽく編曲(メロディーもかなりいじっているので厳密には作編曲、というかパロディ?)したもの。

「いいね」がTwitterにおける絶対的な価値だとは思っていないが、1000いいね超えはやはり興奮した。みんなaiko大好きかよ。まあ俺ほどじゃないだろうけどな。(調子に乗るな)


その一方で、結構ガチで(いやわりとガチガチのガチで)アカペラで作詞作曲した曲はまだまだ多くの人の目に止まるとは言い難い。

ついでなので載せる。(嘘。聴いてほしいから載せるに決まっている。)

それでも、2000回も再生されて、40人もの人に共感(「いいね」=「共感」と仮定すればだけれど)していただけたことはやっぱりとても嬉しい。ありがたや、ありがたや。

来年の話

ここまで3198文字。読んでくれている方はよほどの物好きか、あるいはよほど仲良しの友人か。本当にありがとう。

あわよくばそのままの勢いで、来月誕生日を迎える僕にプレゼ…なんでもないです。

少しだけ、来年の話を。

正直、来年のことは割とノープランでいる。正確に言えば、自分の中で決めている大きな出来事が2つあるのだが、あまりに個人的なことゆえここには(まだ)書きづらい。その時が来るまで待っていてほしい。

(あ、でもよく考えてみたら出演決まっているライブとかイベントとか、いくつかあったわ。あと8月にはVocal Asia Festivalが台湾の高雄であるんだった、お金貯めなきゃ。それからオリンピックの期間中どうやって人混みを避けるか作戦立てなきゃ。あともうちょっとゲームやりたい。ポケモン楽しい。)

まあでも、来年もこれまで通り衝動的にいろいろなものに飛びついて、いろいろな人に助けてもらって、少しばかりかもしれないけれどお世話になっている方々への恩返しができればいいか。

実に締まらないけど、今年のみやけんはこんな感じでした。

今年も大変お世話になりました。
みなさま、来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいませ!


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