何年か経った後に聴き返して「よかった」と思える歌を歌いたい、という話。
先日、「金曜ロードショー」で『君の膵臓を食べたい』という映画が放送されていた。
この映画の主題歌になっている、Mr.Childrenの「himawari」という曲を、以前アカペラアレンジして歌ったことがあった。
僕はいわゆる「歌が上手い」人間ではないため、過去に自分がリードボーカルを担当した音源や録音をたびたび聴き返すということはほとんどしない。
でもこの動画だけは、時々聴き返したくなるから不思議だ。
思い出して、改めて聴いてみたが、ピッチは不安定だし、声は頼りないし、正直あまりいい気分にはなれない。
でも、自分なりに大切に歌えたし、なにより歌っていたときはとても楽しかった。純粋に、「歌ってよかったな」と思える。
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思えばこの半年ほど、まともに歌っていない。3月〜5月ごろは、自宅で録音した音源・動画を重ね合わた「リモートアカペラ」をやっていたが、段々とその機会も減ってきた。
月並みだが、本当に大切なものは、失って初めてその大切さに気づく。
去年の今頃は月に2回はアカペラバンドの練習があったし、ライブに出ることも何度かあったから、歌う場には恵まれていたように思う。
そんな中、自分があまり好きではない僕は「編曲とか作詞作曲とか、『作る側』として関わることができれば、自分は歌わなくてもいいかな」と思っていた。
しかし、歌うことから少し距離を置くようになった今、歌がとても恋しく感じる。
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だから、家事をしている時や、シャワーを浴びている時、ふと歌を歌いたくなって、近所迷惑にならない程度の声量で歌う。
この「歌う」という行為は不思議なもので、自分が歌うことで、「聴く」だけでは分からなかったメロディの巧妙さや、歌詞のメッセージ性に気づかされる。
一説によると、「歌う」の語源は「訴える」であるという。
ならば、誰かが作り、歌った歌を「歌う」ことは、その誰かの「訴え」を疑似体験する行為でもあるのかもしれない。
(だんだん「歌」という言葉がゲシュタルト崩壊してきた。)
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来年の今頃には状況が変わり、かつてのように歌える日がまた来るのだろうか。
そうなったら、「上手く歌うこと」よりも、旋律そのものの美しさや、その歌に込められている作り手の想いに意識を向けて歌えるように努めたい。
そして、何年か経った後に、聴き返して「よかった」と思える歌が歌えるといいな、と思う。
「来年の事を言えば鬼が笑う」と言われるかもしれないが、そんなときはBank Bandの『はるまついぶき』の歌詞を借りて言い返したい。
「鬼が笑う」なら それもいい
いつか僕らも一緒に笑えばいい
あきれるくらい未来の話をしよう
出典:櫻井和寿『はるまついぶき』
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