「好き」を続けるって、むじいんだよ。
「あ、30歳になったら、アカペラをやらなくなる気がする。」
日曜、スタジオ練の帰り道、ふとそんな考えが頭をよぎった。
その時僕はたしか26歳、社会人サークルに所属しバンドを複数組み、学生時代ほどではないにせよしょっちゅうアカペラをやっていた。
それにしてはいささか悲観的すぎるような気もするが、無理もない。社会人サークルの先輩方は30歳が近づくと結婚し、子育てを理由にアカペラから距離を置かざるを得ない人が多かった。
当時付き合っていた彼女(今は妻となった)へのプロポーズの計画もろくに考えていない割には、こういうところばかり現実的に考えてしまうものだ。
それに当時はプレイヤーとしてだけでなく、楽譜のアレンジ依頼を受けたり、アカペラのWebメディアを運営したり、小さなオンラインコミュニティを作って交流したり。
少しでも多くアカペラに携わっていることが自分の喜びだった。そしてあわよくば、アカペラ界隈での「何者か」になりたかった。
コロナ禍に入って対面で歌うことができなくなっても、リモートアカペラ作品を作ったりサークルのオンライン交流会を企画運営したり、SNSで自分の作ったアカペラアレンジを投稿したり。
その割には、どこか「アカペラに関わる活動を続けている」ことを人に言いづらい気持ちがあった。
あからさまに何かを言われたわけではないが、どこかで誰かに「まだやってるの、懲りないねえ」と思われているような気がしてならなかった。
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思い返せば、学生時代。ひたすらコンプレックスの塊だったような気がする。
中学高校と合唱部に所属し、歌、こと「ハモる」能力には自信があった。
こんな自分を重宝してくれるだろう、と思い上がって、自分からグループを組もうともせず、ただひたすら誘われるのを待つだけ。
ありがたいことに先輩のバンドに拾ってもらえたり、同じアーティストが好きな仲間同士で組んだりして、貴重な経験もたくさんさせてもらえた。毎日、楽しかった。
でも、どこか根底に、満たされないものがあった。
その満たされなさが「大会でタイトルを取れないこと」「同期のすごいやつと組めないこと」「演奏会のアンケートに自分への賞賛がないこと」だとばかり思っていた。
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そして社会人になり、上京。
新たなコミュニティに所属した僕は水を得た魚のようにのびのびと、自分の満たされなさをアカペラにぶつけていった。
SNSで「いかにもわかってます」という顔をしてみたり、界隈の著名人のプロジェクトに乗っかって大きなことを動かしている気になったり。
自分が発案して動かし始めた企画にも関わらず、ぷつん、と糸が切れて投げ出したこともあった。
(巻き込んでしまったのに今も変わらず接してくれる関係者の方々には頭があがらない)
どうにも、中途半端というか、どこか歪な熱量で動いていた。
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それから、5年ほど経ち。
今はもう、当時のようなエネルギーはない。
複数掛け持ちしていたサークルは全て退会し、固定のバンドも一つだけ。
関わっていたプロジェクトからも、逃げるようにして全てフェードアウトした。
前よりもずっとアカペラのことは考えなくなったし、優先順位はだいぶ下がった。
それでも、時たまにアカペラに関わる時。
当時のような息苦しさや満たされなさはもうない。
ただ自分が好きなことを、気の合う仲間と、細々と無理なくやる。
それに、音楽への関わり方がより多様になった。
アカペラがきっかけで意気投合した同僚と楽曲を作ってサブスクで配信した。
週に一度スタジオを借り、1時間だけピアノ弾き語りの練習を始めた。
自分の知らない音楽を「アカペラのため」でなく、ただ純粋に探し、味わうようになった。
アカペラに固執することを辞めたことで、より音楽を愛せるようになった。
相手が人であろうと物であろうと空想上の概念であろうと、「好き」という思いが行き過ぎるとそれは「依存」となり、「妬み」「憎しみ」を生む。
でも「好き」という思いなしには、向き合い続けることはできない。
「"好き"を続けるって、むじいんだよ。」
今年見たとある映画の中の一言が、いまだに忘れられない。
途切れてもいい。忘れてもいい。
それでも、涙が出るくらいに頭を悩ませ、没頭していたことだけは、大切に持ち続けていたい。
***
もうすぐ32歳になる今。
アカペラはまだ辞めてはいなかった。
限りなく細く頼りない糸の上で綱渡りをしているような関わり方。
でもその糸は、以前よりずっとしなやかで強い。
大学1年生のとき、とあるサークルの先輩が言った。
「アカペラはずっと楽しめるよ。高望みしなければね。」
当時は「まだ始めたばかりの後輩になんてことを言うんだこの人は」とぎょっとした。
今ならその意味が身に染みてよくわかる。
でも、高望みをして、無理をして、ほろぼろになったからこそ見える景色はあって。
テレビで、SNSで、YouTubeで、ライブハウスで、ショッピングモールのイベントで。
声だけで音を奏でる人々をみては、そこに昔の自分を重ねずにはいられない。
どうか、みんなが健やかにのびのびと、「好き」を続けられますように。