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004_ときに川は橋となる/Olafur Eliasson
会場:東京都現代美術館
会期:2020年6月9日〜9月27日
恐らく作品を見たのは初めて。
サステイナブルとか環境問題とか一見耳触りの良い言葉が立ち並ぶからこそ、アイスランドから氷河を都市に運ぶのにも、霧に虹を映し出すのにも、どこか違和感を覚えてしまう。
"氷河を運んで都市の広場に置くこと"
がもたらす影響と意味についてどれだけの人が考えを巡らすことができるのだろうか。
霧(虹)が作り出されるための水はどこからどこへ?
照らされた光の供給源は?
どこかポリコレ的な匂いを感じざるを得ない。もちろん輸送におけるCO2にも配慮してることはわかるけど。それよりも大衆の気付きを得られることが重要なのか。群がる人を見て違和感を覚えてしまったのが正直な感想。
でも確かに輸送の面の話とかVBAに関わるまで自分の中で前景化してこなかったと思うと、取り組みとして肯定するべきことなのかもしれない。
でも今回感じた違和感はそういうことでもない気がする。
もちろん鑑賞は自由なもので強制されるべきではないと思うけど、それでも「綺麗だね」「すごーい」「映え〜」だけの言葉で片付けられ、SNSに消費されていってしまう様子を目の当たりにして少々疲弊してしまった。
アートに限らず、その先や背景まで想像力を働かせ考え続けられる人でありたいと改めて感じる展覧会だった。
昨今のTwitterの息苦しさも含めて。