ジジロとサイコロ ―ショートショート―
お題「サイコロ」
(お題提供者 twynkl:bat さま)
ジジロは手に握ったサイコロを大きく天へと放り投げた。
これはジジロがサイコロを手放すまでの物語である。
ジジロが小さなプラスチック製のサイコロを拾ったのは、ジジロの父と母が亡くなった日であった。救急車やパトカーの音が雷のように鳴り響く中で、ジジロは転がるサイコロを見つけた。サイコロは1の目を指していた。目玉のような真っ赤な丸はジジロを見て離さない。幼いジジロでもサイコロがどんなものであるかはとうに知っていたが、しかしジジロはそれとは別のものをサイコロに見ていた。
「もしかすると、人生なんてサイコロのようなものかもしれない」
幼心に、人生というもののあり方を悟ったジジロである。ジジロはそのサイコロを手に取ると、それを静かに抱きしめた。抱きしめ、そしてうずくまる。ジジロは静かに泣いた。
ジジロは父方の祖父母に引き取られた。全身の毛穴という毛穴から魂というものが抜けてしまったかのようにぐったりとする。それでもサイコロは手放さなかった。道端に落ちていたサイコロだ。けしてきれいと呼べるものではない。祖父母もサイコロを捨ててしまうようにと何度か言ったがジジロは首を縦には振らなかった。新しいサイコロば買ってあげるよ、と言われてもジジロは「いやじゃ」と答えた。あの日のあの場所で見つけた、このサイコロだから意味があるんだ。祖父母は困ったように顔を見合わせると、どうやら亡き父母の形見であるとでも解釈をしたのか、それ以来口うるさくは言わなくなった。
ジジロは朝も夜も、クソをしていても寝ていても、終始サイコロを手放さなかった。それは病的であった。やがて小学校にあがってからは、何度か注意を受けるようなこともあったが、先生はみなジジロの祖父母のような解釈をしたらしく、しだいに何も言わなくなった。
しかし小学校という環境までも、ジジロを許してくれることはなかった。悪という感情は路傍の石のようにどこにだって転がっている。幼いジジロはそれには気づけなかった。ジジロがいつもサイコロを握っているということは教室の中でも有名であった。どの生徒も、なんでサイコロ持ってるの、などと口々に尋ねるのだが、そんなことを言ってもわからないだろう、とジジロは口をつぐんだままだった。
そしてある日、ジジロの態度に怒った少年がいる。彼の名誉のために、ここでは名は明かさない。Aとでも呼んでみようか。Aは、手ぇ開けろよ、と無理矢理にジジロの手を開いた。まさかこんな残虐なことをする者がいるだろうとはジジロは予想していなかった。あっけなく開かれた手からはサイコロが取り上げられた。それを見てAはげらげら笑い、サイコロを投げた。カラカラカラ、と机の上で軽い音を響かせるサイコロ。その音と共に、ジジロの中には言いようのないほどの果てしない怒りと恐怖が立ちこめた。教室の誰もがこのサイコロを見ていた。ジジロは、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、と叫んだ。
サイコロはころころと転がり、止まった。
2だった。
ジジロは止まったサイコロを、二度と放すものかという思いで奪うと、サイコロを握った拳でAの頬を力強く殴った。Aの乳歯が、サイコロの音よりずっと安っぽい音を響かせて机の上を転がった。
それから十二年経った今でもジジロはサイコロを手放さない。ずっとサイコロを握っていたためか、ジジロは右手が思うようには動かなくなっている。左手で広げてみたところ、掌にはサイコロの形がくっきりと残っていた。おそらく痕は一生残り続けるだろう。
ジジロはそれでもサイコロを握り続ける。
やがてジジロがジジロと呼ばれるようになった。それまでの名を捨ててジジロとなることにジジロは抵抗を抱かなかった。何しろ、「24時間サイコロを握り続けているから」という意味でジジロとなったのだ。それは自分を肯定されているようで、ジジロは嬉しかった。
そんなジジロの祖父が死んだ。祖母は、まあ歳だはんでのぉ、と言うとさざ波のように泣いた。
ジジロは、しかし祖父の死が受け入れられなかった。両親亡きジジロを親のように育っててくれたあの祖父が、まさか死ぬだなんて。
いいかい、じっちゃは死んだんだ、もう帰って来ねんだ。
祖父の死に様は奇妙なくらい静かで、これが死人だと言うことが理解できなかったということもある。何しろ、ジジロの両親は事故により、原形をとどめないほど無残な姿で死んだのだ。死ぬって、そういうことじゃないのだろうか。サイコロはジジロの右手の中で小さくなっていた。
ジジロは不安な思いで辺りを見渡す。そのさまは狂気にも近く、さながら肉を求める獣であった。すると祖母はハッとした顔をして、ジジロに優しく声をかけたのだ。
いいんだよ、死ぬときはぽっくり死ぬもんだはんで、あんたさ責任なんて何もないんだよ。
とたん、ジジロは止まった。
きょろきょろと動かす目は祖母を捉え、祖母の言葉を心の中で反芻した。責任なんて何もない。その言葉がジジロにとっては重く響いた。
もう大人と呼ばれる年齢でありながらも、ジジロは大声で泣いた。その泣き声は響く。子どもをあやすかのようにジジロに温かい微笑みを向ける祖母から、幼い頃にジジロからサイコロを取り上げたAへ、そして死んだジジロの両親にも届き、果てはサイコロを拾った幼いジジロにも届いた。
今はもうジジロの右手には何もない。そこにむなしさと残酷さを覚えるとともに、ジジロはこの右手で本当にできることはなんだろう、と考えたのだ。
そしてその日、ジジロはジジロをやめた。
※お題提供者 twynkl:batさんがジジロのイラストを!
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