自分の意見

自分の意見とは何だろう。
簡単に言えば「俺はこう思う」「俺はこっちにつく」といった自分の立場を明確にすることなんだろうけど。
それでいうと常にどっちつかずというか、特に間違ってなかったりあまりにも飛躍しすぎたものでなければ別にありじゃない?という感じに終始する俺は自分の意見を持っているのだろうか。
一つ思いつくこととしては、目的に沿った手段であればどんなものでも使うということ。もちろん様々な過程効率リソースの消費いろいろあるから選ぶけど。
だから目的が一緒なら特定の立場には立たないという変な状態になる。完璧に目的志向とでも言うべきか。
言い換えれば全くこだわりがないとも言えるのかな?細かいことは置いといて、達成したいことがあるなら達成する方向に向かえばいいだけの話だし。不思議なことに結果はあまり重視しないけどね。達成できれば御の字だけど達成すること自体はそれほど重要じゃないような気がする。
どれだけできたか、気づいたことや反省点はあるか、やることによって何かを見つけたかをなーんとなく見つけてなーんとなくやり方変えてみたり考えたり調べたりする。その繰り返し。

こんなんだからお絵かきでは絵柄は乗り換えるものではなく増やすものだし、打鍵では運指は乗り換えるものではなく増やすものだし、RTAではチャートは乗り換えるものではなく増やすものだったりするんだよ。
RTAじゃ特に速さが求められるけど、一発勝負のリカバーとか安定チャートも重要になるから手段は捨てずにとっておくほうがいい。ただし完全上位互換が見つかったらこの限りではない。

さらに自分が好きなものがなぜ好きなのか?というところを語ることができないというのも関連するかもしれない。好きなものはあるんだけど好きなところが宇宙まで探しに行っても見つからない。何故か。
なので好きなものの共通点を見つけ出してようやくこうかな?というのが見つかるくらい。
主観と客観の区別がいまいちつかないけど、ここまでくると主観が死んでる可能性も大いにある。固有の定義とか数学の公式とか絶対的に決まってるものでなければほとんど断言とかできないし。常に推論状態だから材料が変わればガラッと変わってくるし。
地球は宇宙人が作ったって言われても面白い可能性だとか言いますよあたしゃ。ただその立場にしがみつかないだけで。不要になったら容赦なく捨てるよ。

この辺の感覚ってメタ認知が異様に強いことが関係してるのかなーという推論が立つ。何かを見て思うことがあればどうしてそう思うのか、好きなものがあればどうして好きなのか。どう考えても普通の人考えないところ気にしてるよね俺。
そもそもメタ認知が本当に異様に強いのか?はわからない。自分のことはいろいろな診断とか分析を通してしかわからないし。
チルノはどうしてかわいいのか?わからん。わからんけどかわいい。

こういったものを外に向けるとやたらと疑問が多い人になるのかなーとかこの記事を読んで思う。

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