幸せの仕組みについて:幸せの基準が低いほど幸せ、なのでは?

*2022/6/22作成

ぼくの場合、日常生活の中で「幸せだなあ~」と思える瞬間がたくさんありまして。

例えばそれは・・。
・食後すぐに皿洗いしたら、簡単にキレイに汚れが落ちたとか。
・たまたま朝早く目が覚めたら、朝焼けがキレイだったとか。
・午前中、いつもの直売所で、元気そうな野菜を安く買えたとか。
・朝、いつもの手順で作るコーヒーとトースト(+ニンニク・塩・オリーブ油+クリームチーズ)が、やっぱりおいしいとか・・。

こういうのは、東京で会社勤めをしてた頃には、全く感じることのなかった感覚だったので。
何となくの直感ですが、これって、
・時間的、心理的な余裕があって、感性が敏感であることと
・幸せだと感じる基準が低いこと
に関係があるんだろうなあと思ってます。

子供の頃からうまいお寿司屋さんでお寿司を食べてる子供は、お寿司についておいしいと感じられるお店が少なくなるので、大人になったら不幸になる。
・・というのが、ぼくの持論なんですが。

この持論を逆方向に応用して。
「幸せ基準」が低いほど、幸せを感じていられる時間が長くなるので。
幸せを感じるレベルが低い人ほど、より幸せなんじゃないか?
という仮説を持ってます。

ぼくの敬愛する、作詞家の吉元由美さんがよくおっしゃってましたが。
「感謝」の反対語は、「当たり前」だと。
この言葉の意味としては、幸せの基準がどうこうというよりは。
大変な経験をした人ほど、日常や普通や当たり前とされることに対して、ありがたいという感覚を持てる、ということだと思いますが。

本質的には、些細なことや当たり前と考えてしまいがちな物事について。
「これって幸せなことなかのも?」と気づける感性の敏感さの話なんだろうと思います。

「幸せの基準が低いほど幸せ」というのは、なんか逆説的で面白いなと思ったので、書いてみました。
個人的には、まだまだたくさん、日常生活の中の幸せを見つけていきたいと思います。

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