こころのけんこう
少し前までは眠い中夜更かししちゃう、みたいな感じやったのに、眠気が来なくて結局夜更かし、みたいな今。
こういうときは多分、心の健康がよろしくない。
漢字で書くとすごく文字っぽいな。中身が見えないな。こころのけんこう、にしよう。
病んでるというわけではない。
ただなんか、元気ではない感覚。
無理しなきゃいけないことがあって、なんとかよいしょよいしょ!ってしてるけど、本当に必要なよいしょなのかを考えている。
足を少し止めてみたいけれど、止めていたら間に合わなくなっちゃう。
頭の中で「あーマスク忘れたな」と思い出した時には家より駅のが近くなっていて、引き返していたら絶対に乗りたい電車には間に合わない、けどマスクは必要、買うしかないかぁ。って、少しだけしょんぼりする感じがある。なんの話。
そんな私は、最近、鈴木の朝代ちゃんと遊んだ。
ともよちゃんとは昨年の秋に「日本演劇総理大臣賞・余話」で二人芝居をした仲である。である、って言いたくなるよね。
それまでは「日本演劇総理大臣賞」の初演の時に、出演者とスタッフという間柄で、特別遊んだりはなく、一方的に俳優として好きだぜぇと心の中で思っていたのだけど、共演して仲良し度がグッと上がりました。ロデオさんは私に友達をも与えてくれました、やったね。
ふざけながらも真面目な話なんかも出来ちゃうので、会うとこころがけんこうになるのである。のである。救われる。
あれをしなきゃ、これをしなきゃ、という焦りもあるし
あれはだめだ、これもだめだ、という我慢もある。
家に帰ったらでっかいわんこがいてほしい。
それだけで救われる。
誰もいない家というのは、楽しくないなぁと、今の私は思う。
隣が友達の家だったらなぁ。
近所に友達がいていつでも会えたらなぁ。
学生の時が懐かしくなるのはこういう時なのかしらね、どうなのかしらね、みんな。
そんな私は推しの子を見終わってしまった。
一気に見てしまった。2期が楽しみすぎる。
遅れてわくわくしているので、今後わたしと会う人で推しの子を話を私からされたら、優しく聞いてあげてほしい。遅れてきた感動を聞いてあげてほしいのだ。のだ。
心の中で動いたものや、なんか気づいたんだけど私、みたいな、ちょっとしたことを私は共有したいと思っているらしい、どうやら。そういうタイプの人間らしい、どうやら。
だけど友達という人たちみんなに、家族のみんなに、唐突に、あれだこうだそうだどうだと連絡を毎日毎日するわけにもいかない。だって困る。私が私にそれをされたら困る。ぼのぼののように首を傾げて?????ってなる。ぼのぼのはかわいい。
たからこうして、noteに、誰もが読めるけど誰もが読んでいるわけでもないこのページに、偶々数人が読むだろうこのページに、話しかけるのだ。のだのだ。
そうすることで、ほんの少しはこころがけんこうになる。言っても言わなくても同じだ、ということでも、言っておいたらなんだか安心することもある。
自分で自分をハグしてあげる方法をいろいろと見つけて試していくしかない。私たちは毎に必死なのだ。生きることは簡単ではない、必死だ。楽しく必死に生きるために、いろいろとやってみるのだ。
つまりは、なんだ、いつもありがとう。
どんなものより、最近はnoteが一番そのままの状態で話しているような気がするよ。
偶々このページをここまで読んでくれてありがとう。
おかげで頑張れる。
今日も大好きな人たちと話すために頑張るぞ。
みんなのこころもけんこうでありますように。