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「集団の思い込み」を打ち砕く技術―なぜ皆が同じ間違いをおかすのか

「集団の思い込み」を打ち砕く技術―なぜ皆が同じ間違いをおかすのか トッド・ローズ NHK出版(2023/05)

著者はハーバード教育大学院心理学教授のトッド・ローズ。
その冗長な語り口は前著「平均思考は捨てなさい──出る杭を伸ばす個の科学」 を読んだ時と同様の苦行であったが、豊富なエビデンスと紹介されていた事例の魅力に抗しがたく、最後まで読み通す。

なかでも、最終章に紹介されていたチェコのビロード革命、その原動力ともなった政治家であり、芸術家であったヴァーツラフ・ハヴェルとその作品を知ることができたのが、一番の収穫であった。

本書の目次は以下のとおりであるが、集団の思い込み、すなわち集合的幻想を打ち砕く手法が、第7章から9章にかけて記されており、自分にとっては最も有用であった。それ以外は、集合的幻想のメカニズム、発生要因が解説にさかれていた。


はじめに――ある小さな町の秘密
第1章 裸の王様たち――「物まね」の連鎖が起きる理由
第2章 仲間のためなら?もつく――個の利益より集団の利益
第3章 裏切りの沈黙――脳が求める多数派の安心感
第4章 模倣の本能――他人のまねが絆をつくる
第5章 多数派の恐ろしさ――「自分はバカじゃない」ルール
第6章 安全さの落とし穴─―「みんな」の価値観は誤解だらけ
第7章 自己一致を高める――満たされた人生のために
第8章 信頼は何よりも強い――不信の幻想を打ち砕く
第9章 真実とともに生きる――信念に基づく声の力


共同幻想から目覚めるためには、まず、自己一致を高め、自尊心を得ること。そして、他者への信頼感を強め、信念に基づく内なる声に耳を傾け、真実とともに生きることにより可能とのことだが、果たして自分はどれだけ出来ているのであろうか。

しかし、ここ数年のコロナ騒動において、「物まね」の連鎖、個の利益より集団の利益の優先、脳が求める多数派の安心感、多数派の恐ろしさ、安全さの落とし穴、「みんな」の価値観は誤解だらけであることは恐ろしいほどに身をもって実感した。

国民の8割が接種するハメとなったあの一大キャンペーンは「集団の思い込み」以外の何物でもないであろう。

備忘と戒めとして、本書で最も感動し、共鳴した部分を書き残す。
共感し、行動してくれる人が一人でもいることを願ってやまない。

「力なき者たちの力」で、ハヴェルは規範への分別なき同調が規範への屈従とまったく同じことであると示した。それでチェコスロバキアの人々は、自分たちが抑圧体制の規範に従えば、抑圧と元凶を支持することになると気づいた。しばしば武力でルールを押しつけてくるソ連のシステムに踏みつけにされて数十年。誰しも自分には力がないと思っていた。しかし、共産主義のバカらしさがにわかに暴かれた。ビロード革命が証明したように、彼らは力なき者ではなかった。
現代アメリカも似たような状況に置かれている。テイラー主義と制度的パターナリズムの歯車に押しつぶされ、私たちも自分に力がないと思われがちだ。実際には、同調に報酬を、集団に所属するための代価として受け入れてしまっている。そして気づかないうちに、社会全体を傷つける恐ろしい集合的幻想の協力者と化している。しかも、革命前のチェコスロバキアの人々と異なり、銃や爆弾ではなく、自分たちの意思で、である。
模倣や連鎖反応、沈黙などの原因にかかわらず、自己一致していない人は自尊心が長く傷つき、幸福が減り、能力が発揮しづらくなる。
逆説的だが、まわりに同調することは集団に害をなす。声をあげなければ、内集団の改善と成長に不可欠な要素ももたらされないからだ。真実、信頼、誠実さ、新しい視点が無視され、抑圧され、責められ、全否定されたとき、進歩は止まる。集合的幻想が発生し、集団のメンバーは幸せを感じられなくなる。そして、幻想に服従しているうちに、自分たちの利益に反する行動をとりはじめる。そこまでいくと、もはや所属することが目的化したゾンビのような儀式主義者だ。社会からの拒絶と孤立がちらついて恐怖を覚え、それゆえみずからの選択が個人と集団に負わせる代償を自己正当化する。
以上のことから、分別なき同調は誰もがとり得る最も身勝手な行動だと断言できる。
すでに述べたように、集合的幻想は実際にはまとまっているはずの現代社会に分断が起きているように見せている。人々のあいだで共有された価値観を覆い隠している。そして人々が警戒し合うように仕向け、協力し合う力を奪い、社会の進歩を阻んでいる。人々の自信は危機的状況に陥り、暗く危うい無力感が蔓延している。しかし、現実にはまったく無力ではない。集団的幻想はただのまやかしであり、指をパチンと鳴らすのと同じくらい簡単なことでかき消える。
(中略)
私たちの力を取り戻そう。これは空虚なスローガンなどではない。現実的で実際的で、一人ひとりの心から始まることだ。実現への道を拓くためには、自己一致を日頃から実践し、傷つくリスクをとり、集合的幻想にヒビを入れようと努めることが必要になる。
ヴァーツラフ・ハヴェルは、私生活の「隠れた領域」における自己一致の「本物の責任」をとることを説いた。しかし、誰も実践した経験がないので、自己一致の「筋肉」を意識的にほぐすことから始めなければならない。ハヴェルの同胞も、長年の抑圧と沈黙に耐えていたせいで、自己一致の習慣を失っていた。官僚主義体制に長いあいだ屈従していた。本物の自己表現を重視して世間知らずと見なされたハヴェルだったが、批判者が知らないことを知っていた。虚偽に基づいたシステムは、真実という光を浴びたらひとたまりもないことを。

「よりよいシステムが自動的によりよい生活につながるわけではない。むしろ逆こそが真である。よりよい生活をつくることのみ、よりよいシステムを生み出せることができる」ヴァーツラフ・ハヴェル




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ぴんぱ
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ。

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