東京霊の二面性に関する感想:死神ドットコム評

はじめに

 本稿は死神ドットコムに関する感想・批評の記事です。レビューの類が苦手な方は読まないほうがいいです。テーマは東京霊のパーソナリティ(性格のことを指す)に関して、ですが、必然的にネタバレを含みますから未読の方は単行本の発売を待ってください。先にこの記事を読んで得られるものは皆無です。キャラットのバックナンバー揃えてもいいけど。とにかく先に漫画を読みなさい。
(この記事書いた後できららベースで死神ドットコムが掲載することが決まりました。きららベースで読んでもいいかもしれない。ただし単行本は必ず買わなきゃダメです)

メルメルとタマとは?

 メルメルとタマはW主人公で、2人は「タマの願いを叶えてその魂をいただくことがメルメルの望みで、願いたる借金返済のために同居する」という独特の関係にあります。友達なのか?同居人なのか?家族なのか?不思議な同居生活。異人との同居は、古くは鶴の恩返しからドラえもんに至るまで創作の一大テーマ、ジャンルではありますが、死神ドットコムのふたりの奇妙な関係はこれらジャンルの中で新たな境地を開拓しているようにも思えます(注1)。
 では「奇妙」とは何でしょうか。2人の関係性に注目するにあたり、この「関係」にタマのメリットはほとんどない点は注目に値します。言うなれば、2人の奇妙な関係は、借金を帳消しにしても魂を差し出さねばならないという契約内容のおかしさを土台にしています。メルメルは魂を回収できるから利がありますが、タマにはメリットはありません。借金が解消されても借金返済という問題が生か死かというより深刻な問題にすり替わるだけだからです。それに、タマはメルメルという「ヒモ」を抱えるわけですからその分の費用もタマが負担せねばならず、メルメルの魔法が貧弱な限り借金は永遠に返済されません。よって解決不能な問題を抱えている時点でこの契約はメルメルにも利がないものなのです(注2)。それゆえに「日常」を描く隙間が発生するわけですが、今回はこのポンコツで奇天烈な契約を成り立たせている2人の人格に注目したいと思います。

メルメルとタマのアンビバレンス

 本稿は、「タマとメルメルは、2人とも相反する属性を抱えた存在だ」という説を提示し、それを前提に論を進めます。先に結論から述べますと、メルメルは、「子供と大人」タマは、「優しさとクズ」という2つの相反する関係にある要素を包含した存在です。

 メルメルは、幼い外見ながら実年齢は人間の感覚だと中高年にあたり、中高生が主役を務めることの多いきららでは例外的に成人女性という属性を有しています。法令上酒が飲める。メルメルが大人であるために、彼女に対する作中の不憫な扱いも、「まぁ大人だし」と読者を納得させ、独自の世界観を造成するのに一役買っています。他方、メルメルの実態は子供そのものです。外見が子供っぽいことはすでに挙げましたが、他にも経済的に全く独立していない点や仕事はあれど能力が未熟な点、さらに子供っぽい行動も見られます。外見よりむしろこうした精神的な幼さこそ注目するべきで、メルメルとは誰かが庇護しなくてはいけない幼い存在なのです。そして、その庇護者とは東京霊です。

 タマは、優しさとクズの同居する人物です。クズ感の滲み出るエピソードには、現金を持っていないのに外食する、初対面のメルメルに金をせびる、借金を滞納しているくせに酒、タバコ、ギャンブルの中毒になっているなどがありますが、他方では作中で最も優しく寛大な存在です。まず身寄りのない死神を居候させてあげています。その死神が自分の魂を狙う存在で、自分に向けて半狂乱になり刃を向けて来るような存在であってもです。人望もあります。ストーカーじみた後輩にも変態の大家にも優しく接しています。他にも台風の最中にメルメルを迎えに行ってます。ボロボロの傘で。ずぶ濡れになって。子供たるメルメルは怒っちゃったけど、優しい行動であることに疑いの余地はないでしょう。

 

タマの優しさをどう理解できるか?


 タマとメルメルが相反する属性をそれぞれ併せ持つキャラクターであると主張しました。では、タマの優しさをどう理解すれば良いのでしょうか?
 例えば、タマは自分のことはどうでもいいと思っている一方で他者に向けては愛情をむける存在だという解釈が成立する可能性。これを一言で言うと清貧や慈愛といった言葉で説明できるでしょう。
 だがしかし、これは作品の描写に沿っていないので反論せねばならない。初対面の死神に金を無心したり自らギャンブルに興じたりするあたり自分のことをどうでもいいと思っているわけではないのでしょう。ヤケになって賭け事に興じているわけではなさそうだからです。むしろ、タマの人格はその暮らしぶりとは対照的に美しいまでに素直な感性に注目して読み解く必要がありそうです。

素直な大人 
 タマを素直な大人として読み進めると、多少上手くいきそうです。酒タバコ賭博に興じるのは、自分の欲望に素直だから。自制心がないと言う意味では子供っぽいかもしれませんが、タマはメルメルの庇護者なので相対的に大人です。台風の中ボロボロの傘で迎えに行くのも、必要があると感じるなら素直にそれに従うという素直さや面倒見の良さの表れとみてよさそうです。
 その一方で、先ほど否定したものの、やはり自分に対する無関心という側面も重要でしょう。健康意識が低すぎるのでゲテモノ食いや嗜好品に違和感を持たず、生活環境を向上させようというプライドもなく、思うがままに生きる。死神と約束しちゃうあたり生そのものに関心が薄いのかもしれない。やっぱり清貧と呼ぶべきじゃないかなこの子。昔、ツボに入って思索に耽ったというディオゲネスなる人物がいましたが、この人物もやはり生活や名誉に対する関心が低く、アレクサンドロス大王が望みを言ってみろと問いかけたらあなたは日差しを遮っているからどいてくれという旨の返事をしたという。釈迦やイエスやムハンマドも財産をほとんど残さなかったといいます。とにかく素直で、自分に対する関心が高くなくて、周囲に優しい。とても魅力的でかわいい存在。好きです。教祖や預言者には向いてなさそうですが。


終わりに
妄言書いてすいませんでした。本文中ではタマのことを優しいクズとか素直な大人と言った割とひどい言葉で評しましたが、漫画のキャラクターであっても生き物のようなものですから一言でこういう存在だと言い切ることは野暮でしょう。むしろ決まった枠に囚われない行動をすればするほどに人間味が増していくものです。もちろん加減がありますが。したがって本来この文章に意味は全くないんですが、タマちゃん好きなのでどこが好きなのか整理する意味も込めつらつらと書き連ねてみました。


反論を待っています。不完全であることは書いた本人が一番わかっているので。指摘が欲しい。より深い理解のために。

なお、まだ本編を読んでないのにこのブログを読んでしまったいけない子は反省していますぐFUZに登録しよう。




注1  ヤクザが借金取りのために同居してくるという展開は半ば古典的な世界観の一つではあります。しかしメルメルは借金取りではありません。また異人(契約を必要とする悪魔)と人間が同居するという点では、「うる星やつら」や「DEATH NOTE」、加えて最近完結した「悪魔のメムメムちゃん」はその類型の先駆にあたります。しかし、メムメムとひょう太の関係性とメルメルとタマの関係性は全く文脈も性質も異なります。前者はジャンプ伝統のラッキースケベを伴うラブコメ文脈の派生ですが、後者は女性同士の生活を主軸とするマンガタイムきららフォーマットの派生です。なお、きららフォーマットに関する考察は後日発表したいと思います。

注2  このような成立しないはずの契約に基づく関係が成り立っているのは、2人が支え合って暮らしているからです。かわいいね。夫婦か❓



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