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戦前名古屋におけるジャズの普及展開 序文
日本のジャズ[注]は、大正時代に、米国航路の船上楽士が現地のジャズを見聞して楽譜や楽器などを取り寄せたことから始まり、船上だけでなくダンスホールや映画館の奏楽などでも演奏されるようになった揺籃期を経て、昭和に入ってから、ジャズを専門とするプレーヤーの増加に合わせ、ラジオやレコードなどを通じて国内全体に広く普及したとされている。
こうした戦前までの日本におけるジャズの普及過程については、数多の著書や研究書があるが、ほぼ東京や大阪の動きを中心とした記述であり、その他の地域は、国際的な港湾都市のためダンスが盛んであった横浜や神戸ぐらいに言及される程度である。
同時代に活躍したジャズプレイヤーがこれらの都市に集中していたため、ジャズについて語るうえで地域的な偏りが生じることはやむを得ないが、地方都市においても、ジャズの実演がどのような場所で、どのような人たちによって行われていたかを明らかにしなければ、日本の正しいジャズ史とはいえないだろう。
こうした問題意識から、戦前日本のジャズ史ではこれまでほとんど言及されてこなかった名古屋におけるジャズの普及展開について、当時の新聞記事や雑誌などの刊行物、文献などを基に考察を試みたい。あわせて、ジャズとの関係が深いダンスについても考察の対象に加えることとする。名古屋は、東京や大阪と並ぶ大都市でありながら、戦前ではごく短期間を除き、ダンスや、カフェー等でのジャズの実演を禁じられた経緯があり、こうした状況下、ジャズがどのように普及したかについて、重要な素材を提供してくれるものと考えている。
戦前の名古屋のジャズに関する文献、研究書は皆無であり、資料やデータも限られていることから、考察としては不十分な点は多々あると思う。閲覧された皆さま方のご意見、ご批判を乞うとともに、当時を知る関係者などについてご存じの方があれば、情報をお寄せいただければ幸いである。
なお、引用した記事や文章について、旧仮名遣い、旧字体は現代の用法に適宜改めている。また、明らかな誤字は修正するとともに、読みやすさを考慮して句読点の修正や追記を行ったところもある。あらかじめご承知おきいただきたい。
[注]本稿において、ジャズとは本場の黒人ジャズに限らず、当時の用法に倣い、フォックストロットやワンステップ、ラグタイムなどの白人主体のダンス音楽、及びそれらに影響を受けた流行歌なども含めて、便宜上「ジャズ」と呼ぶことにする。