『僕の帰る場所』日本・ミャンマー合作映画
「リトルヤンゴン」の異名を持つ高田馬場。ミャンマーに興味を持つ前は賑やかな学生街の印象しかなかったが、改めて意識してこの街を歩くとそこかしこにミャンマーが溢れてる事に気づき驚愕する。2011年の民政移管後には現地から留学生や仕事で来日する人たちも一気に増えたが、かつては民主化を目指し軍事政権と闘い80年代後半に亡命して来た人たちが多く、だいたい老舗のミャンマー料理屋でオーナーに話を聞くと現地では活動家だった人も多くて穏やかな表情と裏腹な熱い信念が垣間見れて驚くこともしばしば。
映画『僕の帰る場所』の主人公は、かつて軍政時代のミャンマーを逃れ、遠い日本で子供たちを育てながら慎ましく生きてきた在日ミャンマー人の家族。日本は「難民条約加盟国」に属するにも関わらず「先進国で最も難民認定に厳しい」といわれる状況にあり、主人公の父親も難民認定が下りず入国管理局に捕まり、一人で家庭を支えなくてはいけなくなった母親は疲れ果て、夫を残し子供たちを連れてヤンゴンへ戻る決断をする。
似たような話を高田馬場のミャンマー料理屋とかでも聞くし、今は最悪に関係がこじれてしまってるが、在日ロヒンギャが多く暮らす群馬県館林市へ行くと、80年代後半にNLDでスーチーさん等と民主化を目指し共に闘った人たちや、日本の難民認定制度に同様に苦しめられている友人がおり、映画の内容は個人的にも胸に響いた。
そして日本で生まれ育った幼い兄弟は「もう一つの母国」であるミャンマー、ヤンゴンの母親の実家で暮らすことになり、日本との環境の違いにショックを受け、苦悩し、そして逞しく順応していく。
私も3つ下の妹と2人兄妹で幼稚園に入る前から広島の母親の実家で育てられたので、境遇は違えどどこか懐かしい気持ちや、「母親に迷惑かけたなぁ」と自責の念を抱いたり、2011年に初めてミャンマーを訪れてヤンゴンの喧騒で受けた衝撃も重なって、完全に映画に入り込んでしまった。本当にミャンマーの列車は真夜中や夜明け前で暗闇を走ってるのは当時の自分も驚いたものだ。東京の虚無感も、ヤンゴンの喧騒も全く大袈裟ではなく、異常にリアルなものだから、ぐっと映画に引き込まれてしまう。後半に父親の実家を訪ねるシーンがあったけど、父親を演じた俳優がカチン州出身だからキリスト教の墓地のシーンがあったのかな...等と色々回想したり。
近年東京では外国人の数が劇的に増えていると実感するし、国内外の難民や移民、外国人の労働等の問題も以前よりはニュースでも取り上げられるようになった。私も学生の頃にアメリカで生活した事があるが、特にそれらの問題に関して疎く無関心な印象の強い日本では様々な事情を抱えた外国人出身者が暮らし、働き、子育てをすることは我々が想像する以上に困難だと思う。それらを改めて考えさせられる貴重な機会にもなった。
個人的にもミャンマーは最も思い入れのある特別な国。きっとこれからも。「僕の帰る場所」とは未だ言い切れないけど。本作で監督をされた藤元明緒さんは以前にと或るイベントでご一緒して、当時は挨拶をさせてもらった程度だったのだが、素晴らしい作品を拝見していつか改めてミャンマーへの想いを直接伺ってみたいと思いました。
ポレポレ東中野では11月2日まで上映。順次全国公開されるそう。まだ観られてない方は是非。
日本・ミャンマー合作映画『僕の帰る場所 / Passage of Life』公式サイト
https://passage-of-life.com/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?