戦場に名高き花、二輪。

「…デルタ!デルタ!聞こえますか?」
全神経を数キロメートル先の目標に注ぎ込んでいたデルタの耳にその声が届くまで3分以上かかっていた。
「はい。聞こえてます」
「もう3時間もそうしてますが大丈夫ですか?」
「質問の意味が分かりません」
彼女はスコープから目を離さない。トリガーには指をかけてないが銃をしっかり両手で保持しバイポッドに載せた銃身の先の銃口は目標に向けて微動だにしない。
 彼女の体躯はどちらかというと華奢であり手足もファッションモデルのように細長い。しかし細長い手足はしなやかな筋肉に包まれ、野生を駆ける獣のような印象を与えた。髪は短く切られ、個性的な長髪の多い他の特殊個体ネームドNIKKEたちの中ではかなり特異な存在だった。
 彼女は華奢な体には不似合いな無骨なスナイパーライフルを構え、いわゆる「伏せ撃ち」の姿勢を取っている。但し地面の上ではなく、簡易な造りの防御陣地の屋根の上で伏射姿勢を取っている。防御陣地はコンクリート製で高さ3m幅5m奥行き5mほどの直方体をしており、周囲をカモフラージュ用に泥土で塗り固めている。内部は空間が出来ており、仮眠や食事をとることもできる。ただしここは砂漠に近い乾燥地帯であり、コンクリートで作られた防御陣地の中はサウナのように暑く、人間なら数十秒で脱水症状を起こすだろう。気温は摂氏40度を超えそうな勢いだ。乾燥したこの地域ならば恐らく空気より熱を持ちやすいコンクリートは表面に泥土が塗ってあるとは言え、さらに温度が高いと思われる。つまりじりじりとした凶悪な太陽の熱に焼かれるコンクリート製の防御陣地の屋根の上は、おそらくコンロにかけたフライパンのようなものだろう。
 そんな場所で微動だにせず汗ひとつかかず、まるでクーラーの利いた部屋のソファでくつろぐかの如くデルタは腹ばいになり目標の監視を続けている。その表情にはまるで隙がない。一切の感情が消されたかのように淡々と任務をこなしている。
 今朝0600時にスカウティング部隊に下った命令は「第17エレベーター付近へのラプチャー群の接近を阻止するために監視せよ。必要であれば牽制の為に狙撃せよ」であった。デルタはエレベーター付近の防御陣地に拠点を構え、ラプチャー群がエレベーターへ侵攻してくる際に通過すると予想されるポイントの岩場を監視している。
 「まるで獲物を狙う肉食動物ですね」
 先ほどデルタに3分ほど届かない呼びかけをして無駄な努力を続けていた同じ部隊のシグナルはそう感じていた。シグナルの主な任務は情報収集と通信である。背中にはアンテナ部を入れると彼女の背丈の倍はある巨大な通信機器を担いでいる。横幅はゆうに彼女よりも大きく後ろから見れば巨大なアンテナに足が生えてひょこひょこ歩いているように見える。彼女の身長は非常に小さく、デルタがしなやかな動きの大型肉食獣ならシグナルはぴょこぴょこと走り回る小動物だった。しかしシグナル本人はそれを気にしている様子はない。
「デルタ!デルタ!聞こえたら返事をしてください!」
シグナルは地面から3mほど上の防御陣地の屋根の上に腹ばいになっているデルタを見上げ、健気に呼びかけを再開した。デルタがスナイパーライフルのスコープで監視しているのは2㎞先の岩場であるが、ラプチャーはさらに遠くここから7㎞は先にいる。周りに丈の短い草原以外は何もない乾燥地帯とは言え、普段ささやくような声しか出せないシグナルが多少大声で喚いてもラプチャー群までは声が届くことはないだろう。
「はい。聞こえています。」
「そろそろ食事をとってください!」
「いえ。今日は昼食を取らなくても支障はないと判断しました。」
シグナルはようやくデルタに用件を伝えられた。しかしシグナルの伝えた用件はデルタの無機質な返答によって跳ね返り、灼熱の乾燥地域の熱気に溶けて乾いた草原の上を吹き飛んでいった。
ああ、とシグナルは所在無げにうつむいた。防御陣地の中に戻ろうと2歩だけ歩いたところで思い直して、効果は無いと思いつつダメ元で彼女なりの追加情報をデルタに伝えた。
「あの、ニワトリのたまご味とレタス味のパーフェクトと培養肉のハムがあったんで!サッサンドイッチを作ってきたんです!デルタに食べて欲しくって!それだけ食べてもらえたら…うっ嬉しいですっ!」
「何を作ってきたんですか?」
拒否されると思っていたので意外な返答があったのに驚いたシグナルは慌てて返答した。
「サッサンドイッチ!ですっ!」
「サッサンドイッチ?それはどこかの部隊の戦闘糧食レーションですか?」
「違いますっ!サ・ン・ド・イッ・チ・です!」
シグナルは大真面目に1音節ごとに区切ってデルタに伝えた。
「では、食事にします」
まさか自分の提案を受け入れてもらえると思わなかったシグナルはまさかの展開にうろたえながらも次の提案をした。
「では下りてきてくれませんか?一緒にお昼ご飯にしたいですっ!」
「何故ですか?今回の監視任務を遂行する上で戦術としてメリットがあるのですか?」
「違いますっ!デルタと一緒にお昼ご飯を食べたいだけですっ!」
「しかし私は目標を監視していなければなりません。現在半径5㎞以内にいる狙撃兵は私だけ。それ以外の火器を装備している部隊は1㎞後方にアサルトライフル装備のNIKKE歩兵部隊が2個小隊あるだけです。彼女たちがここまで全速で進軍してきても5分はかかります。攻撃態勢で展開できるようになるにはさらに1分。合計で6分間はここは無防備になり、ここから戦線が一気に崩れる可能性があります。」
 防御陣地の上からとうとうと説明をするデルタだったが、彼女の中で何かが反応したのか、ようやくスコープから目を離し防護陣地の下のシグナルの方へ視線を向けた。
 シグナルは申し訳なさそうに下を向いてじっとしている。
「シグナル?どうしましたか?高温と砂ぼこりで動作不良を起こしましたか?」
「違います。ただちょっと私の意見も聞いて欲しかった。目標は5分前にデコイ用のドローンを送って調査しましたが反応しません。ラプチャー反応もコーリングシグナルも3時間前から途絶えてます。海岸からの熱風のせいでエブラ粒子がこの辺りに滞留して濃度がとても濃くなってます。目の前まで近づかないとラプチャーには見えないはずです。………だから、その、複合センサーの感度を最大にして目標の動きがあればすぐに迎撃態勢を取れると思います!そもそも私たちの任務は迎撃じゃなくて監視で、デルタのスナイパーライフルは目標の初動を牽制するための装備で、ラプチャーを倒すためのものじゃないし…」
あわあわと説明を始めたシグナルだったが、さらに慌てて付け加えた。
「いやっデルタのスナイパーライフルの威力がないとかそういうことじゃなくて、それぞれ与えられた任務があるっていうことを言いたくてっ!」
「分かってる。シグナル。」
デルタは立ち上がると防御陣地に立てかけられた梯子を無視してそのまま3m下の地面に飛び降り、シグナルの横に立った。いつの間にかスナイパーライフルをスリングで肩にかけている。
「食事にしましょう」
 シグナルはほとんど涙ぐみそうな顔でデルタを見た。自分の1.5倍くらいの身長がありそうな精悍さを絵にかいたような狙撃兵は、いつもより目元が柔らかいような気がした。
「はいっ。もう防御陣地の中に用意してます!何なら私がのぼって監視します!デルタは食べててください!」
「いや、今日は2人で食べたい。一緒に食べましょう。ただし、5分ですよ」
「はっはい!」
防御陣地の中にはきちんとランチョンマット(といっても軍支給品の砂ぼこり除けスカーフだが)が敷かれ、それぞれにサンドイッチ2つと軍用水筒のコップが置かれている。コップには何か液体が入っている。デルタは胡坐をかきシグナルは正座した。中身をいぶかしんだデルタがコップを指さして聞く。
「これは?」
「あっ紅茶です。デルタは紅茶が嫌いですか?」
「いや、初めて飲むものですから。これが紅茶…良い香りですね」
「えへへ。実は紅茶が好きなNIKKEと知り合いになって。この前派遣作戦で一緒になったんです。デルタは知ってますか?ノベルっていうNIKKEです」
確かにデルタは知っていた。直接話したことはないが確かプロトコール部隊のNIKKEでいつもやかましく走り回っているらしい。戦闘よりも情報収集に特化した部隊で確かもう一人は犯罪者スレスレのハッカーだそうだ。何にしても強靭な肉体と精神で戦場を生き抜いてきた根っからの軍人であるデルタとの接点は少なそうだった。
「ノベルは何とかっていう探偵小説の主人公に憧れてて、その主人公も紅茶を飲むので、ノベルも紅茶が好きになったそうです。そのノベルに紅茶の元をもらったんです。といってもパーフェクトを応用したもので本物じゃないし、いつか本物を飲むのである!って言ってました」
「シグナル」
「あっはい!…私…何かしましたか?」
「ずいぶん楽しそうですね」
「ごっごめんなさい…お昼ご飯っていっても作戦中なのにこんなにはしゃいじゃって…ごめんなさい」
「そうじゃない。私も楽しいんです」
シグナルはラプチャーが目の前で整列してダンスを踊り始めたのを見たような顔をした。
「たっ楽しい?デルタにも楽しいって思うようなことがあるんですか?あっごごめんなさい!私さっきからずっと失礼なことばっかり」
 慌てて弁解に努めたシグナルはさらに驚いた。デルタがニコニコと笑っていた。いつもの軍人らしい峻嶮さは影を潜め、殺気が消えていた。
 シグナルには人間だったころの記憶が少しだけ残っている。近所の花屋に勤める年上の女性店員がいてシグナルは単に「お姉さん」と呼んでいた。彼女は溌溂として明るくそして誰よりも優しかった。身長の低いシグナルをいつもからかっていたが、シグナルはそのお姉さんが大好きだった。お姉さんみたいな優しくてきれいな女の人になってドラマみたいな恋愛をして。そんな人生に憧れていた。シグナルはその頃、情報通信の専門教育を行う学校に通っており優秀な成績を収めていた。いわゆるお嬢様学校だったため、お姉さんを通して大人の女性というものにあこがれを持っていた。
 そんな時、お姉さんがラプチャーの襲撃に遭い亡くなったと聞いた。シグナルの記憶ではそれがいつ頃のことか分からない。地上に人間が住んでいた頃だからかなり昔のことであるのは違いない。それからほどなくしてシグナルも事故で亡くなったらしい。そこからどうやってNIKKEになれたのかは分からない。
 「私も楽しいと思うことはありますよ。シグナルといるのは軍の命令ですが、私はシグナルと一緒に居られて楽しいです。」
「でも、私はデルタみたいに立派な軍人じゃないし、重い武器が扱えないからサブマシンガンしか…」
「でもシグナルには私にできないことが出来ます。その大きな機械を操ってラプチャーの運動性能や攻撃性能を落として私をサポートしてくれます。それに」
デルタはコップに残った紅茶を飲むとランチョンマット代わりのスカーフの上に置いて言葉を続けた。
「シグナルは私に人間性を思い出させてくれるんです」
きょうはデルタから「意外性」が列をなしてぞろぞろとシグナルの元を訪れた。こんなデルタは見たことがなかった。いつものデルタも素晴らしい軍人で尊敬しているが、今日のデルタは「シグナルの好きな」デルタだった。
「人間性ですか?」
「そう。シグナルには話してないことですが、実は私は人間だった時の記憶が全て残っているんです」
「えええっ!そんなことあるんですか?」
「私は公式にはアークでの爆弾テロに巻き込まれて死んだことになってますが、それはテロ事件を捜査するため政府が軍部に依頼して作った偽物の記録です。機密に関することなので詳細は伏せますが、本当の記憶は別にあります。捜査も終了したのでシグナルには話しておきたかったのです」
シグナルの目は真ん丸に見開かれている。手にしたコップを落としそうになり、スカーフの上に置いた。
「でも人間の頃の記憶が残っているとまずいんじゃ?」
シグナルはおずおずと聞いてみた。
「それは作戦実行に支障があるからです。NIKKEは兵器。人間が感じる恐怖が邪魔になることがある。人間としての記憶が残っていると戦場に出てラプチャーと戦うのは困難です」
「そういう事情もあるんですね。あっじゃあデルタは?」
「私は人間だった頃に既に兵士でした。シグナルが人間として生きていた時代より少し前。ラプチャー侵攻以前に人類が世界中の国々に分かれて戦争をしていた時代です。世界中を巻き込んだ大きな戦争が二度もありました。その後に何とか大きな戦争にはならずに世界中のあちこちで小競り合いが起きた時代が100年以上続き、私はその時に生まれました。小競り合いとはいっても100年以上ですから戦争で死んでいった兵士や民間人は何万人もいます。」
ふんふんとシグナルはデルタの昔話に聞き入っている。
「私はかつて世界で最も大きかった国のすぐそばの小国で生まれました。私の故郷は歴史的に争いの中心地にあり、1000年以上も様々な国から侵略され、何とか独立を保ってきました。私たちは生まれた時から戦争がすぐそばにありました。私は18歳で軍隊に入隊し狙撃兵を志願しました。」
デルタは一呼吸おいて続けた。
「女性というのは身体の構造上どうしても戦闘においては男性に敵わない。だから狙撃兵を選びました。今まで非常に優秀な狙撃兵が各国で大きな戦果を挙げています。」
「すごいっすごいです…」
「たくさん人を撃ちました。一日に敵の将官や政府の要人を5人殺したこともあります」
シグナルが何とも言えない表情を浮かべている。
「ある日、私はミスをしました。何のことはない。敵を狙撃しようとしていた私は、警戒を怠っていた別の場所から敵の狙撃兵に狙撃されました。脳に当たらなかったのが幸いしました。軍の研究機関が私の遺体を何とか回収し、脳をその頃実験段階だったNIKKEに移植しました。死んだあとNIKKEになるまでの記憶は無いので後から上官に聞きました。」
 壮絶な話にシグナルはぼうっとする頭を何とか回転させてデルタから紡がれる兵士の話を聞いていた。
「『お前は根っからの軍人で殺戮マシン。普段なら人間だった頃の記憶は消してしまう方がいいのだが、お前の場合は逆に人間だった頃の記憶が役に立つ。NIKKEをより完全な兵器にすることが出来る』とその時に聞かされました」
ふええ、とシグナルはため息のような声を漏らした。ふとそこで、さっきデルタの口から出た言葉を思い出したので聞いてみた。
「さっきデルタが言ってた私が人間性を思い出させてくれるってどういうことですか?」
「シグナルを見ていると人間の純粋さを思い出すんです。私が子供の頃、いつも私の後をついてくる小さな女の子がいたのです。」
シグナルは何故かドキンとした。自分の過去のことを話しているようだった。
「その女の子がある時、私に花をくれました。私の地方では夏に咲く花です。本当はかなり大きくなる花なのですが、その子がくれたのは手のひらに乗るくらいの大きさでした。『お姉ちゃんこれあげる』って。それは私が入隊する前の日でした。女の子はそれを知っていたのです。それきりその子とは会っていません」
 そんなことがあったんですね、と呟いた後にシグナルは質問した。
「それが私と重なるんですか?」
「それもあります。それともう一つ。この前、指揮官に地上で見つけた種を発芽させたことを報告したのを覚えていますか?地上の種を勝手に持ち出し前哨基地で発芽させてしまい軍法会議を覚悟した時のことです」
確かにそんなことがあった。地上の生物をエレベーター内に持ち込むことは固く禁じられている。しかしシグナルはデルタに許可を得ず自分で勝手にやったことの為にまさかそんな事態に発展するとは予想もしなかった。
 しかし指揮官は黙認してくれた。発芽したものを大事に育てて花が咲いたら教えてくれとまで言われた。シグナルがNIKKEになってからこんなに優しく接してくれた人間は一人しかいなかった。
 私は幸せ者だ。シグナルはそう思った。NIKKEになる前となった後に優しい人間に巡り合えた。そしていま私の目の前には、誰よりも優しく自分を包んでくれるNIKKEがいる。
「デルタ、私」
そう言いかけた時、防御陣地の警報がけたたましく吠えた。
「!」
シグナルは素早くそばに置いてある自分専用の通信機器を操作し状況を確認する。先ほどまで監視を続けていた目標、ロード級ラプチャーが移動を始めている。
「ラプチャー群、15㎞/hで南下!防御陣地に向かって移動中!目標付近を通過!数は3,えっ?」
操作パネルの光点が3から5に増えた。そのうち1つはロード級ではない。
「タイラント級です!形状からハーベスターと確認!デルタ!」
「狙撃姿勢に入りました。ソルジャー級を補足中。」
いつの間にかデルタは防御陣地の内部から出て3m上にある防御陣地の屋根の、数分前まで彼女が射撃姿勢を取っていた位置と寸分たがわぬ位置にいた。銃声が響く。続いて銃声。
デルタは淡々とスナイパーライフルで正確に2000m先のラプチャーを狙撃している。彼女の銃ではタイラント級どころかロード級さえも破壊できない。ソルジャー級を行動不能にできる程度だ。しかし彼女に与えられた任務は破壊ではない。後続部隊が到着するまでの牽制だ。
 戦場では目立ちたがりと出しゃばりはすぐ死ぬ。兵士は与えられた任務を何の疑いもなく遂行し後続部隊にそれを委譲する。それを繰り返したものが生き残る。戦場で最も求められるのは慎重さと冷静さ。これを失ったものから今日の夕食が永遠になくなる。ここでは人間性を徹底的に捨てなければならない。
 「狙撃兵は捕虜になれない。安全な場所から敵兵を撃つ卑怯者だと思われているから。敵だけでなく味方にさえ嫌われている」そういう噂が世界中に残っている。デルタもそれは何となく肌で感じていた。敵兵に捕まれば生きていることを後悔するほどの嬲り殺しに遭うとも聞いている。デルタは女性兵士だから、それがどういう意味を持つかも理解していた。人間だった頃に味方兵士に襲われかけたことも一度や二度ではない。だからデルタは機械であろうとした。それは人間であった頃も今も変わらない。派手なタトゥーを入れて髪を乱暴に切り自分から女性と人間性を消そうとした。
 しかし、シグナルとあの変わった指揮官殿に出会いデルタの思考は少し変化していった。シグナルはいつまでも純粋で危なっかしく、変わった指揮官殿は人間とNIKKEの為の世界を作りたいなどと夢物語を語っている。それぞれ守るべきものがありそれを守ろうと自分の出来ることで戦っている。
では、私は何を守ろうとしているのか?誰の為に命を削っているのか?

 私はきっと人間が好きなんだ。
 彼女は最近そう思い始めた。

人間に絶望したくない。生まれてからずっと戦場の中にいて戦うことしか知らなかった彼女にも人間らしく接してくれた人達はいた。小さな女の子がくれた花は黄色い花弁の彼女の祖国を代表する花だった。
祖国を守るために戦うのか?そう思っていた時期もあった。
多分私は人間のために戦う。いつか地上を人間に取り戻し、地上にあの花をいっぱい植えてみたい。そこでシグナルや自分の大切な人達と、紅茶を飲んで青い空を見上げてきれいな空気をいっぱい吸い込んで。
 戦場で考え事をするなど死に直結することなのに。しかしデルタの身体は正確な射撃を繰り返す。排莢し装填しスコープを覗いて射撃する。思考もすっきりして、周りの状況が鮮明になった。ソルジャー級を2体行動不能にした。ロード級とタイラント級は目標の岩場付近には発見できない。恐らくソルジャー級を斥候に出して数キロ後方で様子をうかがっているに違いない。ラプチャーも人間と同じような戦術をとることはデルタでも理解している。斥候つまりスカウト。私たちと同じだ。
「後続部隊到着しました!デルタ!聞こえますか?」
「了解。牽制射撃を終了して待機します。」
その後、ラプチャー群は南への移動を停止。反転して北方へ移動していくのがシグナルにも確認できた。
「こちらスカウティング11。コールサインはデルタシエラ。戦闘指揮所の指揮官応答願います。シグナルです。」
無線の向こうで例の「変わった指揮官殿」が応答した。
「こちらCIC。824中隊首席指揮官KMA中尉だ。スカウティング11。よく聞こえる」
「監視中にロード級に加えてタイラント級の出現を確認。形状からハーベスターと思われます。ラプチャー群は15km/hで南下しましたが、ソルジャー級の2体のみ、目標地点の通過を確認。それ以外のラプチャー群は3.5㎞まで接近しましたが会敵せず。スカウティング10の牽制狙撃によりソルジャー級2体行動不能。指示をお願いします。」
「スカウティング11。後続部隊の我が第2小隊及び第5小隊に指揮権を委譲した。追って指示があるまで待機。」
「了解しました。第2小隊長及び第5小隊長に指揮権の移譲を確認。待機します」
 通信を切ったシグナルは3m上の防御陣地の屋根に腰かけているデルタに向かってハンドサインを送った。「作戦終了。待機」の合図だ。デルタは了解の意思を送った。
 3m下では到着した2個小隊のNIKKE達が慌ただしく整列して小隊長からの指示を受けた後、展開して次の作戦に移っている。デルタは遠くの地平線を見つめた。アークでは完璧に照明によって昼夜が管理されているがここは自然の太陽が支配する地上だ。今まさに地平線に太陽が重なり雄大な夕焼けを見せていた。ここは地上なのだ。
 やがてスカウティング10と11の2人のNIKKEは到着した第2小隊長に呼ばれ、待機の終了を知らされた。装甲輸送車に乗車し、エレベーターまで移動し、前哨基地の観測所にある自分の宿所に戻った。
 シグナルの育てた植物はどんな花が咲くのだろうか?
そんなことを考えながらデルタはベッドの上で、柔らかな寝息を立てていた。

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