なりきりチャットをしたらかかってしまった呪いの話
中学生の頃、リアルで孤立していた私がチャットで出会ったKと知り合い、ネットに居場所を確立していった結果、10年後、Kの影響(呪い)をうけどうなったのかという話。
某呪術アニメ映画のCMを見て、中学の頃からかかっている呪いも、もう10年以上経った事実に驚愕したので、そろそろ祓おうかと思ってnoteに登録した。
誰に見てもらいたい訳でもなく、ただ書くことによる自己満足の意味合いが強い。この記事を読んで共感して(まず共感する人は少ないかと思うが)、その人の何かの足しになれば万々歳だなあと言う感じである。
なりきりチャットで友人作り
さて、本題であるが、私は中学校の頃、チャットサイトでなりきりチャットをするのが楽しみの一つだった。
アニメのキャラクターになりきり、ただ会話するのも楽しかったが、それよりも、そこに来る常連の人たちと親交を深めるのが何より楽しかった。
何せ、当時私はリアルに友人と呼べるものが少なかった。ど田舎出身なので、同年代の子供が少なく、クラス替えは高校になってから初めて経験したといえばおおよそ想像はつくだろうか。
そんな数少ない同年代とまず趣味が合わない。アイドルが好きじゃないといけない謎の同調圧力。アニメが好きだといえばオタクだと後ろ指をさされる始末。そうなると、ネットに友人を求めるのも至極当然の流れだと思う。
チャットでは、オープンで会話できる機能の他に、特定個人とチャットでやり取りすることができる。そこで、仲良くなった人と、おおよその住んでいる地域や年齢などの情報を交換しあったりなどもしていた(危機管理の面からあまりおすすめはしない)。
そこで、仲良くなった友人がいた。仮にKと呼ぼう。Kは、私の住んでいる地域から二駅となりに住んでいる同い年の男の子だ。趣味が合う、話をしていて楽しい。当時、学校生活が楽しくない、同年齢と話していても楽しくない私にとってどれだけ貴重な友人だっただろう。
何せ近所なので、高校見学の時なども行く高校がかぶる。高校見学の時に、「今日すれ違ったよ」など連絡が来ただけで、どれだけワクワクしたことか(名札をつけており、筆者はめずらしい苗字であった)。同じ学校じゃなくても、近くに仲の良い友人がいるんだと感じられただけで世界が明るくなったような気分だった。
チャットでは、顔を晒すということはお互いしなかった。相手は、私のことを上記のような場面で認知していたようだったが、私は、Kの顔を知らなかった。
突然のカミングアウト✖️2
ある日、Kからカミングアウトがあった。某歌い手をやっているということだった。当時歌い手は、盛り上がりを見せていた時期で、私もG●roさんや、ふ●ねるさんなどたまに聞いていたが、そこまで詳しくなく、正直誰?という感じだった。
数少ない友人の好きなものには興味が湧くものである。もちろん、調べてKの歌をきいた。上手かったし、何より知名度があって驚いた。「こんな有名なやつと私友達だったのか!」と誇らしげな気持ちさえ湧いてきた。
「お前のことを思って歌ったんだ」と歌ってみたの動画のURLが送られてきたときは、曲を聞いてめちゃくちゃ号泣した。携帯を手に入れた時には、即着メロ設定をした。
仲良くなってから、家の固定電話で電話するようになった。当時の中学生はほとんど携帯を持っておらず、私たちも類にもれず所持していなかった。初めて電話した時のことはいまだに覚えている。
ドキドキしながら子機の番号を押した。チャットで繋がってから、動画以外で初めて聞いたKの声は、動画よりも高めのトーンだった。ネット上の繋がりから、少しリアル味が増して、より一層近くに感じられて嬉しかった。
それから、毎日のように長電話をし、親に叱られたりしながら、Kとの仲を深めていった。
Kは、もう一つ私に虐待をうけているとカミングアウトしていた。
暴言、暴力にまつわるエピソードをいくつも聞いた。その度、私も心を痛め、話を聞いた。児童相談所に話すよう進言もしたし、すでに関わっているような口ぶりだった。でも、現状は変わらないようだった。
私は、このとき、児童相談所の職員になると、心に決めた。
高校進学
高校受験の結果、Kと私は別々の高校に進学することになった。願わくば同じ高校に行きたかったが、何せKは頭が良く県内で一番の進学校へ入学。一方私は、田舎によくある自称進学校に入学することになった。
高校に進学後、中学の頃から刷り込まれた「アニメが好きと公言してはいけない」という知識のもと高校デビューを果たしたため、趣味の合う友達は作れなかった。アニメ好きだが、運動も好きだったため花形運動部に入部し、ますます高校で仲の良い友人は作れなかった(部活でも変人扱いされて3年間過ごした)。
そうこうしているうちに、高校でクラス替えもあり、まだ話すことができていた友人とも離れ、高校で孤立を深めた。現実で友人がいない分、Kに依存気味になってきたことも実感していた。
お互い、高校進学と共に携帯電話を所有し、以前に増して頻繁に連絡を取り合うようになり、暇さえあればKにメールを送っていた。
高校2年生の修学旅行。本当に最悪だった。特に自由行動の時間が最悪だった。一緒に回る人なんているはずがない。なぜ、一人で回ってはいけないのか。本気で修学旅行行くのやめようかどうか悩んだ。親には心配をかけたくなかった。
悩みは全部Kに話していた。Kは話を聞いてくれ、いつも私の味方になってくれた。もちろん衝突することもあったが、その度仲直りをした。そうしていくうちに、私は会ったこともないKに恋愛感情を抱くようになった。
高校で孤立していた私だったが、どうやらもの好きはいるらしく、何度か異性からアプローチを受けることもあった。その度、コミュニケーションスキルがないために困惑することが多く、Kに相談していた。
ある日、Kから「お前が、言い寄られるのもやもやする」とメッセージがあり、そこからとんとん拍子で付き合うことになった。顔も見たことのないKだが、中学の頃から4年間やり取りを重ねてきた彼と付き合うことに何の抵抗もなかった。
顔の見えない彼とのお付き合い
付き合ってから何度か、リアルで会おうという話になったが、大学受験の時期になり、なかなか叶うことはなかった。
しかし、Kとのお付き合いは至って順調だった。相変わらず頻繁に連絡を取り合い、お互いのイニシャルのキーホルダーをつけ、とても満たされた気持ちだった(キーホルダーや修学旅行のお土産を郵送で送り合っていた)。
高校は相変わらず、通うことがしんどかったけど、Kが味方でいてくれる事実にとても支えられていた。
イニシャルのキーホルダーは高校で馬鹿にされたし、キーホルダーを見て根掘り葉掘り聞かれて変人扱いをうけた。そして、私からのKの情報をもとにKのことを探った友人からある事実を聞く。
「Kって名前のやつ●●高校にいないってよ」
透明人間のK
胸に深く杭を打たれたような気分だった。ただ、仲のよくないクラスメイトよりも4年間付き合いのあるKの方を信じたい気持ちが勝っていた。
嘘をつかれているなんて考えたくもなかった。
「今日、クラスの人にKは●高にいないって言われたんだけど」
「は?いるに決まってんじゃんw」
はい、終了。これ以上詮索する気もなかったし、手段もなかった。●高に進学した友人は、私にはいなかったんだから。
そんな少しのKに対する不信感は、大学受験で散り散りになって消えた。
センター試験に失敗し、志望校に落ち、私のメンタルが地の底に落ち、それどころじゃなかった。
児童相談所の職員になりたいという夢は変わらず、専門性を高めるために心理学の勉強のできる大学に進学した。志望校とは違ったけど、心理学が勉強できるという条件は外したくなかった。
大学に進学してからも、仲の良い友人はできなかったが、Kとは変わらずやりとりしていた。Kは唯一の心の拠り所であることに変わりはなかった。Kの周りの友人と、ネット上でつながり、現実世界よりもネットの世界に私は居場所を確立していった。
あるとき、Kに誕生日プレゼントを買い、大学進学後の新しい住所に送った。その数日後、事件が起こった。プレゼントが返ってきた。東京都だと知らされて送ったはずの郵便物には、東京都のところに訂正線が引かれ、別な県名が書かれていた。訳がわからなかった。
「プレゼント送ろうとしたら返ってきたんだけど」
「宛名書かないで送ってみて」
宛名を書かないで送る・・・?できるのか?
結論から言うと、様々に工夫して送ろうと試みたが、4回目送ったプレゼントが返ってきた時に心が折れた。
薄々感じてた。Kは実在しないんじゃないかって。●●高校に存在しなかった。会おうとしても会えない。教えられた歌い手と声が違う。教えられた住所にいない。
でも5年間も、やりとりして、5年間私を騙し続けるメリットって何?なくないか?ってか、この5年間、本当にKにだけ縋って生きてきたのに、嘘だったなんて信じたくない。けど、Kがいないことの証拠の方が多すぎる。
Kがいないとして、どこからどこまでが嘘だったのか。Kという名前だけ嘘?Kの家庭環境は?歌い手本当にやってた?Kの紹介してくれた友人は誰?何のために私と関わったの?付き合ったの?わからない。分かりたくもない。
それから過呼吸をおこしたり、ボディカットをするようになり、私はKと距離を置き、最終的に別れた。
Kのかけた呪い
Kとは今連絡をとっていない。ただ、連絡先は消せずにおり、過去数年に何回か連絡を取り合った。そのうち一回はただの確認で向こうから連絡がきた。もう一回は、心理学を勉強したことによる、Kが解離性同一性障害なのではないかと言う疑いからのただの私のお節介だ。
Kが実在しないんじゃないか、と確信してからしばらくの間私は鬱々とした毎日を送り、やけくそになり、後悔するようなことをたくさんした。その末、Kとの過去を今も痛みを伴うものではあるが過去のものと昇華することができた。
Kは私にたくさんの傷をつけたが、その分たくさん私の心の支えとなってくれ、そして私に夢をくれた。今の私があるのは、Kがいたからに他ならない。
私は今、中学の時にKと関わり志した、児童相談所には勤めていないが、近しい仕事をしている。
Kがくれた夢は、違う形で実現している。
私がこの分野で仕事を続ける限り、私の中にはKという大きな存在がある。実在するかどうかもわからないKが、確かにいるのだ。中学・高校で孤立感を深めていた私も、そこにいたKの存在も、Kとの関わりも全部、今の仕事に還元していける。
10年以上たっているのに、中学の時からのこのKの呪縛は消えそうにない。
けど、この呪いを祓おうと思って書き始めたこのnoteだったが、書いているうちに祓う必要もなかったんだな、と言う気づきを得た。その分、今回恥さらしとも言うべきこのnoteを書く価値はあったのだと思う。
Kが唯一の拠り所だった私も、今は信じられる人がいる。環境が変われば人は変わるとよく言ったもので、学校で適応できなかった私も、社会ではなんとか楽しく毎日を過ごしている。
当時、学校はやわらかい監獄だと思っていた。今、学生をしている人の中に、そう感じている人はいるのではないだろうか。辛い思いをしている時、見える世界はとても狭く苦しいところである。
でも、世界はそこだけじゃないはずだから。
呪いも悪いものじゃないな。
とりあえず、まだ見に行けてないから某呪術映画を見に劇場に行かなきゃ。
KM